おそらくおおよそ誰も食いつかない、フランス近代音楽の真髄ネタをここに始めてみる次第にて候。
それはフローラン・シュミットのバレエ「小さな眠りの精(小さな妖精は目を閉じる) Petit elfe Ferme l'Oeil 」にて候。

当曲で今
私たちは20世紀に生まれたのs_numabe氏の記事が熱くそれを語っており、
承前1長年譜面でしか知れない謎の曲の仔細が解りつつあり、コメントで円海山も大いに盛り上がりさせてもらい、さらに最初に言及しているバレエ「小さな眠りの精(小さな妖精は目を閉じる) Petit elfe Ferme l'Oeil 」をアンドレ・エレが絵本にしたもの(垂涎物)について、少々仔細を述べておられ
承前2
承前3
それに大いに刺激させられ思わす今回の譜面からの言及を連作で試みる次第にて候。
作曲家のシュミッドはWIK引用にて言うとフローラン(フロラン)・シュミット(Florent Schmitt, 1870年9月28日、ロレーヌ・ムルト=エ=モゼル県ブラモン(Blamont) - 1958年8月17日、ヌイイ=シュル=セーヌ)はフランスの作曲家。
という扱いであり1889年にパリ音楽院に入学、マスネやフォーレに学んでおり、同時期に学んていたラヴェルの兄弟子に当たり、ラヴェルとは深い親交関係を持ち、ラヴェルに指揮者のアンゲルブレシュトや音楽評論家M.D.カルヴォコレシ、ピアニストリカルド・ビニェスらと芸術サークルアパッシュを結成して、最新の音楽について様々な草の根活動をしたとさるる。
それは時に激しく、最右翼のシュミッドは、ラヴェルのスペイン狂詩曲の初演時に、アンコールとしてマラゲーニャが演奏された直後に、好意的でない平土間のアカデミズム層をやじり「何度でも演奏してやれ平土間連中がわかるまで」と野次を飛ばした次第にて候。
また師匠の一人ビュッセルの証言がその著書に記載されており、ローマ大賞受賞後の作品詩篇47の初演の、その音楽の爆裂ゆえにひるむ打楽器奏者を首にして、代わりの演奏者を探す混乱した様子などが記載されており興味深い。
また日本で同じビュツセル門下だった池内 友次郎(1906年- 1991年)氏の回想とされる話に、当時国家留学生でそれなりの住居に住んでいたゆえに、そこの風呂目当て、放蕩か?貧乏学生で?自宅の風呂が入れない事情になったシュミットが訪れて、風呂を借りていったという、伝説が伝えられている次第にて候。
そんな彼はその後、詩篇47から飛躍しサロメの悲劇そして戦後パリの音楽の重鎮へ駆け上るのだが・・・そんな円熟期に書かれたのがピアノ連弾曲「小さな眠りの精の一週間」1912作である次第。
曲はデンマークの世界的著明な童話作家アンデルセンの童話「眠りの精のオーレ」を題材にした、そのオーレの物語で少年のヤルマーに眠りのせいオーレが語る一週間の眠りに付くお話をモティーフにしている、その辺は上記承前を参照して欲しいが、ここに引用すると、
1. 二十日鼠の婚礼……原作では「木曜日」
2. 草臥れたコウノトリ…… 「水曜日」
3. 眠りの精の馬……「日曜日」
4. お人形ベルタの結婚……「金曜日」
5. 石板の文字のロンド……「月曜日」
6. 絵のなかへの散歩……「火曜日」
7. 中国の雨傘……「土曜日」
というものであり原作の曜日を変え最後の中国の笠は原作に手を加えた筋書きになっておりこれも承前先を参照して欲しい次第にて候。
その後1924年に前奏曲と幾分の間奏音楽(恐らく*)を付け加えバレエ音楽に改変され(『小さな眠りの精 Le Petit Elfe Ferme-l'Oeil』作品73、1923)となり新たな作品として生まれ変わり、そして翌24年パリのオペラ=コミック座で初演される。
このあたりを譜面は如実に示しており、前書きに、一覧があり

その配役キャストが掲示されている次第
その拡大は以下のとおり
タイトル
中の左

中の右
そして下の演奏者・・

なんとアルベール・ヴォルフであり・・・今となってはラヴェルの演奏もクリュイタンスあたりに淘汰され、デッカのシャンタパルティエあたりの管弦楽が廉価で発売され名を留めるほど認識が軽くなっているのがなんともな・・・?次第。
そして曲はおそらくトレモロを交えた、同作曲家のアントニオとクレオパトラの前奏曲や夢想を彷彿させ、映像第二集や前奏曲集のドビュッシーを彷彿させる
前奏曲ではじまる。

そしてアルカイックな三拍子の舞曲で二十日鼠の婚礼が始まる

そして曲がおわると間奏が追加されており?
次へ進みどう各曲曲想の違うような導入や回想がなされており、バレーとして情景音楽を添付している考えられるのだが、その辺が原曲の解説には不足しているか、原曲も接続音楽があるのが、原曲譜面を所有していない円海山には如何しがたいorz・・・
さて中国の笠にて最初の部分すこしのところで
歌詞のある譜面が出現し、これはバレーでは歌が付いたことを示唆するのでと思われる。
まあリクエストあれば続行するが、この辺で一端終わり。
真の知られざるとは音に記録されていない譜面も含めるとまだまだあることをしるべしか?
この路は茨なりや。うーんorz・・・・・。
追伸コメントでは二台ピアノと言ってましたがピアノ独奏譜面でしたこと此処にお詫び申し上げます。
追記’前奏曲を嘗てのデーターを補完してmidiにする、
これ
前奏曲
しかし、この譜面事態バレー用の簡易編曲の譜面であり比較的未校訂と思しき故か、臨時記号の整合性が多少怪しいのと、久々の読譜が災いし1:20以後の半音階部分に舞曲や中華音楽風のフレーズが混ざるところがまだ検討の余地あり(*)、あえて恥を偲んで、この曲への注目を喚起したく、ここに現段階の状態を提示する。
最初はドビュッシーのビリティスの歌や六つのエピグラフに出てくる同音トレモロ音形に始まり、同じく前奏曲集の枯葉や花火を彷彿させるフレーズが現れ、この先の物語を示唆するようなライトモティーフが、シュミッド独自の半音階的までに、拡大された旋法的和声法のけだるい中に、舞曲やお囃子のような旋律が混じる、ある意味この箇所は、後輩ラヴェルのこれに先駆けること十数年の作品、マメールロワのバレー版の前奏曲と言う先駆例に類似しており、依頼主の要求従い踏襲したかが想定できる、しかし手法はシュミッドのラヴェルへの密やかな対抗心をうかがわせる。
そして冒頭のフレーズが盛り上がり、次第に熱を帯びてゆくが、此処は作曲者の詩篇47を彷彿させる箇所などがありこれも興味深い、そして一瞬軽妙で神秘的な音楽に導入されるが突然ポリトナールの不協和音のトリルの咆哮で中断、そしてドビュツシーの牧神午後冒頭に出てきたホルンの動機と酷似したフレーズが朗々した雰囲気を形成しする、おそらく題材の「ヤルマールの夢」と牧神の夢想への導入を捩った意図が強いのではと考察される、自身の作品の類例として、混沌に浮き出るあたりは 夢想 、そして禁欲的ながらエキセントリックな雰囲気は アントニーとクレオパトラでの前奏曲 、そして倒錯した盛り上がりなどは ディオニソスの祭り あたりの関連を示唆したい、そして短調の和音により、次の二十日鼠の婚礼になるが、それはまたいずれ。
*明らかに臨時記号のシャープ・フラッドの解除関係が怪しいようであり、
フレーズの前後の関係から推測すると和声的不整合になり、さらに色々怪しい、件の箇所も果たして中国の笠あたりを意識した中華風なのか?、単なる誤読の結果なのか?どちらか判別しかねる、恐らく管弦楽の譜面もしくはパーティセルに近い段階作者自身もしくはそれに近い立場の正規版としては初版譜面であり、なにか管弦楽スコアあたりは承前での前提が?当譜面の演奏には付きまとうのではと思われます。(教えてエロい人(笑))
尚一部譜面の解像度がソフトで対応できない箇所が生じ、適当にピアノビューででっち上げたグリッサンドや、メロディーラインが単音では弱い箇所は、オクターヴ補強ししたり、トリルの和声箇所は、むしろ管弦楽法でのやり方を踏襲して想定で変更しております