今月の「フギュア王」にて唐沢兄弟の俊一氏が取り上げており、これに言及せずにいられなくなった次第。
日本のSFが科学というより荒唐無稽の怪奇小説に近かったころの作品といえばよいやもしれぬが、ともかく海野十三1897.12.26~1949.5.17は日本におけるSFの始祖となった小説家と言えるべき人物。円海山は当書は内容を、浮かぶ飛行島をかなり昔にリアルに所有しておったが、後者は理系出身者で太平洋戦争のさなかに海軍報道班員として従軍した海野の科学でみる戦争兵器とサスペンスに度肝を抜かれた思いであり。
そして「超人間X号」はニッポン放送でラジオ朗読ドラマ化され手折りに聴き、長らく心の奥底にインパクトを残された作品でござ候。
マットサイエンティストの谷博士が作り上げた、人工生命体にして完全な知能を有する「超人間X号」が反乱、最終的には核戦争をもくろむのだが、その途上、その技能のひとつにある、人間の脳を自ら脳と摩り替えるあるいは、他人の脳を別の人間に移植する手腕をつかい様々な人間に摩り替わり、さらにいきがかり上、他の人間も脳を摩り替える悪事を行う、そこで当雑誌唐沢氏も「最高潮」とされる珍妙な名場面は、「超人間X号」を追い詰める、むくつけき「おやじ」な山形警部がX号につかまり、その脳を、ある事情から「超人間X号」の恐らく?擬態として自ら用意した人工生命で作られた美少女へ移されてしまうところにある、
(いきががりは本来移植される男性の擬態を電撃工程で焦がし仕方なく少女の擬態を代用した次第)
彼は、一部分黒々と焼けた男性の人造人体を電撃台から引きおろすと、電気メスを手にとって頭蓋をひらき、さっき移植した山形警部の脳髄を取りだした。そしてそれを持って、大急ぎで、もう一つの女体の人造人間のところへ走った。
彼は、非常な速さでもって、今引っぱりだして来た警部の脳髄を女体の人造人間の頭蓋の中へ移植した。そしてほっと一息ついた。
「こんどは、うまくやりたいものだ」
ふたたび電撃が行われ今後は成功
しかいほどなく切れ者の「警部」は逃げる。そして
少女のからだを持った山形警部は、たいへんなかっこうで、研究所の外にのがれでた。それはやっと夜が明けはなれたばかりの時刻だった。
さらに面白いのはその少女との姿と成り果てた彼が全裸で逃げて帰るシーンであり、16-17の少女がおやじ言葉でたどりついた部下の「足柄」に助けを求めるところは、ある意味「萌え」なビジュアル想起せずにいられないものにて候。
研究所からすこしいったところで、彼は非常線をはっている警官を見つけて、その方へとんでいった
略
その鼻先へ、とつぜん裸の少女がとびだして来て、わッと抱きつかれたものだから、その警官は、きもをつぶして、その場に尻餅(しりもち)をついた。
「おお、足柄(あしがら)君。わしは山形警部だが、大至急そのへんの家から、服を借りて来て、わしに着せてくれ。風邪(かぜ)をひきそうだ。はァくしょん!」
と、少女姿の山形警部は、相手が部下の足柄君であることをたしかめ、うれしくなって、急ぎの仕事を頼んだ。
足柄警官の方は、抱きついた裸の娘が、しゃがれた男の声を出したので、ますますおどろいて、うしろへさがるばかり。山形警部は、ここで、足柄に逃げられてはたいへんと、ますます力を入れて抱きつく。足柄警官はいよいよあわてる。
が、ようやく山形警部が、「君は、この寒い山の中で裸の娘をいつまでも裸でほうっておくのか。それは人道(じんどう)に反するじゃないか。早く服を探してやらないのか」と、人道主義をふりまわしたので、若き人道主義の足柄警官は、ようやくわれにかえって、すぐ前の農家(のうか)から借りてくることを約束した。
これについては今に通じる観点を唐沢氏は述べていておもしろくまた「人道主義」に伺われる作者の敗戦の影響を言及するが此処でこれ以上重複することはさけるが、くわしきは今月の「フィギュア王」をご覧アレ。
スカイキャプテンもしくは日本の鉄人28号的なレトロな世界のSF映画ヴィジュアル満載な事必死也。
音楽は伊福部氏かお弟子故池野成氏でお願いしたい次第だったりする次第でもあり。