去年から新年にかけて、なぜか車の中でベルリオーズの幻想交響曲を、聴いている次第にて候。最初は三週連続かそれに近い形で?FMコンサートで出くわし・・・そして
Sonnenfleck さんのトピックそれ以後、自分で家にある幻想を幾つか取り替えては聞いている次第。
元来フランス近代以前は、斯様に夢中に聞くことは、無かったがなぜか、ベルリオーズの浮き足立った、響きの感覚が、移動媒体での体感することで、心地よいのか?不可解也。
これはある意味「庭は夏の日ざかり」のSonnenfleck さんのトピック
タケミツのジャンクな楽しみ方。に通じるところがあるのではと思う節があり、実は、当該記事のジェモーは昔、通勤の某水色の電車での、最初から東京までのBGMとして、ケクランの萌える茂みとともに、ウォークマンのテープラインナップとしてあったこともあり、夢見のなかで聞くうち、次第に「音量の大きな部分のみの脈絡を求め、雑音から音楽の細部を聞く欲求に代わって、ものすごく、耳が詳しくなってしまって、自宅の装置で純正で聞いたときには、その脈絡の欲求満たされて、さらにジャンクならぬジャンキーな二度ウマ状態に陥ってしまった思い出がある次第にて候。
今回も車中で聞くうちに、断片的に聞く、幻想交響曲の脈絡の欲求の受容体が脳内で形成された故なのか・・・・・ミュンシュの三種類そしてアンセルメ・・・マルゲウィッチにそしてクリュイタンスにアルヘンタそしてエトセトラ状態になりつつある。
特にパリ音楽院管弦楽団の二種類アルヘンタとクリュイタンス国内ライヴはどちらも、おのおの異なる熱狂が渦巻くものであり、絶品である、前者は何かデッサンが狂っているような、躁状態に常に向かっている演奏であり、それは第四楽章の断頭台への行進で、スコアにある反復記号を守っても、古典的なフォルムを志向せずに、まるで突然、時間が引き戻される、ような感覚を与え、意図は不明なれど、その演奏内容との相乗にて、非常に幻惑的もしくは幻覚効果を奇しくも生み出している。
後者は絶好調の自身に満ち溢れた演奏であり、的確に抑えつつ、次第に演奏者が興奮して加熱してゆく次第で、実演でこれだけのことがおきていたのは、まことに奇跡であり、その記録が良好にアーカイフに残されたのも奇跡にて候。
(気が向いたらつづく)