バッハのインベンションを巡って、立場ごと意見感慨が交歓されていて、いろいろ考えさせられる次第にて候。
追記ほかに
胎教に使用しているご報告などもありさらに奥深い。
インベンションはかろうじて上った三声の壁に円海山はDTMの必然を感じさせ、音楽の根底は三声から成り立つことをわからしむるのでありなん。
嘗てクラシック招き猫のスレッドで、「アラベスク」のスレッドが出来た際に、かなりの鑑賞知識のある論客の方々、シューマンにドビュツシーの当該のそれは知っていても・・・、ブルグミュラーのそれは知っていなかったことが、個人的には信じられない意外な驚きであったことや、
あのカール・オルフの活動が、その音楽教育のメソードの快い成果は認知されることは、専門のかたは除いて稀で、カルミナでしか日本のクラオタの間では語られないことなど・・今様にいろいろ歪な伝わりをしていることなどが思い浮かんだ次第。
嘗て。そもそも教養の一つとして一部の、クラ音楽は受容されていた次第であり、一部の練習的ようそのある楽曲は、お稽古もしくは志してピアノ他器楽をたしなんだ者と、そうでない鑑賞者の間で認知の程に違いがある、嘗てはこれほどの音楽情報や趣味に応じた多彩なラインナップで音楽は流通しておらず、さらメディアやコンサート会場も少なかったために、こうしたお稽古事の音楽なども、音楽聴衆の者達の意識残ることも多く、演奏者と聴衆の認知の溝も少なかった次第にて候。
要するに、近隣の生の音楽学習活動を根幹に、音楽を知りうる機会が殆どだったと思われ・・・・
円海山の亡き母も実家杉並の某、顧客の訪問先に重鎮フルーティストY・Y氏がいて、それらの音楽の題名は最初知らないが、あの音楽は・・というように生活体感として音楽を親しんでいたことを回顧しており・・、さらに父は少年時代に大田黒氏の「入門書」(*)を読み、そうした一部体感した音楽のその先を想像夢見ていたとも聴くが、それらを知るのは円海山が知るのは、ずっと後の次第にて候。
もっとも母方の親戚に、部類の諸井三郎の信望者で、前衛現代音楽好きの方がいて、円海山受胎時にそこを訪問しており、その折に無理やりそれ系列を聞かされたと聞くが、その胎教が今を形成しているとしたら、「責任」をとって欲しいような希ガスにて候。(笑)
そうした市井混じって親しまれていたクラ音楽が、一部の楽曲は忘れ去られ、おもむろにマニアックや強烈な情熱的演奏回の慣例パフォーマンスや演奏家フリークが締める歪な楽しまれ方をしだされ始めたのは、社会世相での住宅事情が次第に変遷し、「ピアノ殺人」などの音とプライバシーが微妙な関係に変遷していったのと、70年代の到来したオーディオブームおける視聴覚機材の発展、その後のヘッドフォン帯再生装置の登場と発展による、視聴形態の個人化が著しい進化によると、愚考される。
もはや一部の啓蒙的知識や、お稽古曲や古典的な小品という通過儀礼の初期はなくとも、いきなりインパクトや流行た体感のみで鑑賞を始められる状況に幸いにして発展しており、高みに上った博識のマニアや好事とされる向きにも、以外演奏家には初歩的事項や基礎的事項を知らない用語的空白が自他共にあること、そしてそれらの忘れ去られた楽曲の意外な思い出され方や勘違いしばし遭遇することも多い。
たとえば最近CMで利用されているサティーの官僚的なソナチネが、どれだけの人がクレメンティーのソナチネのオリジナルをしっているかは、CM製作者を含めて、さておきな次第(笑)
昨今クラオタ事情での「古楽や周辺文化の周知」も大切なれど、音楽の深みを望むら、目前に鍵盤楽器ぐらいもを嗜む努力をその収集行動の力から分けてみては如何なものかと、周辺に嫌味なようなことを言っていると、最近TBを返してもらえないブログになりつつある己に拍車をかけそうなのでこの辺に(笑)。
さてそんな、プロローグに言及していたオルフの音楽教育の成果の集成抜粋の三枚がナクソスライヴラリーの存在して、思わず聞き入る。
13104-2 オルフ:シュールヴェルク1 (ムジカ・ポエティカ)
ORFF: Orff-Schulwerk, Vol. 1: Musica Poetica
シロフォンやヴァイオリンの入った楽曲あたりはストラヴィンスキーやショスタコービッチの初期を彷彿させるが概して素朴。
13105-2 オルフ:シュールヴェルク2 (子供のための音楽)
ORFF: Orff-Schulwerk, Vol. 2: Musik für Kinder
Matthias Claudius: Abendlied für Sprechstimme,が語りをリトミックにシュプレヒテンさせており聞き物。
13106-2 オルフ:シュールヴェルク3 (ピアノ作品)
ORFF: Orff-Schulwerk, Vol. 3: Piano Music
教育目的な素朴で単純な小品だが、その素朴なモダンは棄てがたく鑑賞に耐える、当時の音楽教育水準の無理をしないで高さを保つことの出来る余裕すら感じる。
このオルフ・システムは幼稚園や小学校などの音楽の先生に大きく影響を与えたものであり、木琴や各種打楽器にバロックフルーテそしてピアノ、さらにヴァイオリンにチェロといった器楽を使い、語りび歌などのリズム的活用、そいて音楽物語などの題材を、単純な繰り返しや、同一リズム固執してその組み合わせで発展を見出すリトミック論理を根底に、教会旋法にペンタトニックそしてヘキサトニックと、添加六度や九度を導きだせて、しかも短三度や二度という協和音程の拡張に不可欠な、内耳の未発達の児童に認識されやすい音程を多く含んだ親しまれやすい楽曲を、ダルクローズ(オルフがリトミック論理を決定させた独逸第一次大戦前創立の最初の初等音楽教育学校)での共同者GUNILD KEETMANとオルフの作曲で 用意しており、非常に教育的素材として魅力的なおものであり、それ以外で聞いても、バルトークやコダーイのそれとも違い、一部は兵士の物語あたりのストラヴィンスキーやさらにオルフのカルミナ源流も感じさせながらも、誠に素朴で趣の深いものとなっている。
これらの根幹に、鎌倉スイス先生と当該話題のさい言及するとおりに日本の器楽メーカの音楽教育もしくは器楽拡販プログラムは発生発展したが、これらと、決定的違いは、ひたすら幼児に早熟なドレミを今矯正したり、ドッペルだなんだ音楽論理を早熟に認知させようともせず、華やかなコンクールや独創性も求めずに、ひたすら音楽の心地よさを知らしめる美徳に満ちている次第。
さてみなさまご拝聴。