人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

drenkaizan.exblog.jp

没後20周年オーマンディー記念-外伝「考えるな、感じるんだ!!」(4)作品への懐疑を超えてヒンデミット

さてオーマンディの演奏でヒンデミットがあることは名曲趣向から言えば意外に思われるが、ヒンデミットに対しては非常に積極的にとりあげており
1950年にはクラリネット協奏曲を世界初演している次第。

当曲のオーマンディの音盤の有無は不明ながら、第二楽章にジャズのイディオムが生かされたところを考えるとヒンデミットもアメリカを意識させていた曲であり、何らかの成立に関与したことが伺われるが仔細は不明
オーマンディ/フィラデルフィアのヒンデミットは「オーマンディ様が見ている」で紹介のEMI録音の二曲「ウェーバーの主題による交響的変容」「弦楽と金管のための音楽」他
今回はヒンデミット:交響曲『画家マティス』の1962年のフィラデルフィアとのステレオ録音などを。

没後20周年オーマンディー記念-外伝「考えるな、感じるんだ!!」(4)作品への懐疑を超えてヒンデミット_a0007939_2145237.jpg

 無調音楽に一度は身を置きながらそれに背を向け、調性音楽を復興しながら、その対位法や和声法の拡大解釈論理実践があくまでも、現代的書法の中世やルネッサンスの音楽への回帰とドイツ的音感に基くゆえの目新しさの無い響きに留まるせいなのか?音楽理論家で、教育者でもあったヒンデミットは作曲者からは尊敬されリズベクトされたりしながらも?(*)一般的に演奏家と聴衆に親しまれているとは言い難い時期を過ごして来たのは確かな次第。
(*)著書作曲法の書物は必ず目を一度は通すバイブルであり、周辺人の人気としてはフルトヴェングラーのマティス事件はもとより、イギリスのウォルトンは彼の主題で変奏曲を作り、フランスのミヨーは彼がソロをする前提のヴィオラ協奏曲で彼そっくりな書法でそれを実現したことが著名なもの。

 それは同じ対位法や和声法の拡大解釈論理実践なのだが、語法に民族音楽的発露を伴い、他社により幾何学的構築感覚を観察されて(*)話題性もあるが、その音彩の包括感覚を耳で顕著に感じられるニールセンやさらにバルトークとは違う一般に不遇な扱いでもあり、ヒンデミットミッドの音楽には聞き手や演奏家の心理に「意地悪な和声法や対位法の課題」(ワルターレッグ)を想起させ音楽の懐疑的にならざる得ない心境に陥らせる「胆汁質」な味のエリクチュールが偏在しているのも確かな次第。
(*)エルネ・レンドヴァイ著「バルトークの作曲技巧」での黄金分割との関連

 それは音楽が表出しようとした音彩より構築原理の先行して追従が著しいゆえに、その構築以前に演奏家が疲弊してしまうジレンマに陥るやもと所見さるるが、今日はそれらを越えてその価値観の新たな局面や初期の作品などが再発見され、すでに過去の症例となってもいる次第でもある。

 その辺ではミヨーとシンクロしたように作ったミニミニオペラ歌劇「行ったり来たり(Hin und Zuruck*)」Op.45aの作り方の違いなど見れば一目瞭然でありミヨーがギリシャ神話のアリアドネネタをラテン音楽で暢気に書く矢先に、ヒンデミッドは殺人事件沙汰が時間逆行で元に戻るような筋書きとおりに調性は維持したシンメトリで書き連ねるというよな硬さという違いようにて候。詳細はオーマンディなのでこれぐらいにして、話をオーマンディー/フィラデルフィアに戻しておきます

 あまり聞き物としては渋いヒンデミッドも、ナチスからの亡命先のアメリカおよび連合国では少々扱いも違い、戦後のナチス排除後のウィーン復興の担い手として重宝しており、かなり知られたことは確かあり、そのようなあたりでアメリカの音楽への影響も十分にあったのはたしかであり、それらを念頭に聞くオーマンディーの演奏はそのようなレパートリの名残あたりでのとりあげも邪推される反面、しかしその演奏技巧の余裕にて、まったく演奏家が、そのヒンデミッドの書法に懐疑的になっていない状態を聞くことが出来るといった、貴重な瞬間を提示する驚異の意義が存在を誇示する次第もありなん。
交響曲「画家マティス」(Symphonie "Mathis der Maler")
の第一楽章の「天使の奏樂」からの、高き所からの和声を背景に出現するグレゴリオ聖歌風の旋律が、相反する緊張度の高い対位法で紡がれる音楽において、通常は調和と緊張ある不協和に管弦楽がすべての音の動きを埋没してしまい、故に「何」が起きているのか不明になる事態が多い中、オーマンディーのフィラデルフィアの器楽の音色は、モザイクタイルのような構築を想起させるように、それらをわかりやすく聞かせるあたり圧巻であり、最初から「おなかいっぱい」は(笑)覚悟は必至、そして、後に続く、葬送と聖アントニウスの試練でのオケの色彩感は、ヒンデミットの構築書法を肯定するかのような面持ちで聞き手を音彩で圧倒する次第であり、もはや演奏家と聞き手に懐疑など持ちようも無い状況になる・・・・果たしてこれがヒンデミッドの真なる姿か?といえばそれは多いな疑問符となりえるが、今まで聞こえたヒンデミットも決して書法を万全の状態で表出していないことも感じられるような気にもなる、そして・・・それらを踏まえても嵩じがたい魅力を放つ演奏がオーマンディの指揮で繰り広げられる。

正にヒンデミットで感覚生理的な「感じ入る」ことのできる唯一演奏??
オーマンディーは1967年にはコンセルトヘボゥで当曲演奏(未聴)しており、そのライヴステレオ音盤も存在しその点から相当掌握していた自信あるものであることも想像しうる。
by dr-enkaizan | 2005-03-15 21:45 | 解説のない音盤紹介
<< 没後20周年オーマンディー記念... 没後20周年オーマンディー記念... >>