グスタフ・マーラー作曲、交響曲第7番「夜の歌」
ある意味円海山の刷り込みのク-ベリックの「夜の歌」しかもその金管の音色へのオケの感慨も同じとは恐れ入る次第、他の交響曲の録音も考慮すると?若干七番は残響も多くことさらその特徴が際立つ次第にて候。
逆に考えればこの軽さは、この七番への巧みなクーベリックの戦略につながるとも妄想することも一興に値するのかも?これはクーベリックのヤナーチェック演奏あたりでの妥当性を考えると、モラヴィアのトデぃショナルな要素を加味しての結果の一抹の可能性を当たりたい次第似て候。
ことさら「夜の歌」はうたかたの夜よろしく器楽も刹那な使用法が光る次第にて候。夜の歌2でのギターとマンドリン夜の歌1でのカウベル。フィナーレーの鐘とカウベル
そして第一楽章の奇妙なテナーホルンと高音域歌唱志向のトロンボーン(*)と信号的な動作に終始するトランペットは前述の演奏でのオケの音色が際立つ無二の瞬間とも言える次第。
円海山的には「遇」としてジェームス・レバイン指揮するシカゴ交響楽団(かつて若きクーベリックが振っていた)の現実的な明るい色彩に彩られた演奏も推奨さらにテンシュテッドのロンドンフィルの録音も(その残響に浮かぶ金管がクーベリックのそれを思い起こさせる)それらの「対偶」関係でさらに「対」としてはレナードバーンスタインのニューヨークフィルの一回目録音の感情移入が歩みを妨げないころの音楽への肉付けとして念頭にあがる次第。
まま此処では「遇」のレヴァインを代表にお勧めする次第。
このジャケッドは世界一「七番」していやがるやも?
さて夜のメルヘンへのいざないあるいは?夜の森羅万象に触るような、不条理な道行の第一楽章のテナーホルンの奇妙な音色は、冒頭の主題から始まり、随所に活躍する、さらに展開部の後半のロンボーンとの対話のモノローグでは交響曲第五の第二楽章の主題が引用されるくだりは、マーラーが夜の闇に見たトラウマか?
下段トロンボーンがモノローグで始まり上段テナーホルンがアレグロ主部の行進曲主題を導入
トロンボーンが第五の第二楽章の主部の主題を・・・・(四角内)
「人間は夜の闇に、星や月に照らされる森羅を見いろんなものを思い起こす理が交響曲の謎めいた音楽挙動と所見もさるる物。
(*)余り話題にならないが一番パートの持ち替えにてアルトトロンボーンも使用されている
第一楽章の第二主題群の確保後の推移する部分でコラールがはいるあたりに明確な持ち替え要なことが判る。
ちなみにこの後のハープに導入される第二主題は
まさに星月夜のような光のさしこみ。
ちなみにマーラーが晩年にアメリカでの初演したドビュッシーの「春のロンド」を含む「管弦楽のための映像(映像第三集)」の「イベリア」が三楽章であり、「夜の音楽」を含み「ジーグ」と「春のロンド」を挟むとアーチ型(夜の香りを軸とする)になるあたりで。何かしらのシンクロニシティと関連をかんじつつ・・この辺で。