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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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没後20周年オーマンディー記念-外伝「考えるな、感じるんだ!!」(2)そして肉欲の海に溺れラテン物

ショーソンの前にオーマンディへまた復帰

何か各方面で話題になる次第誠に恐縮する次第。
精進しても限界ある己なれど皆様の興味頂けるを糧にする所存。

私信#斉諧生様非常に恐縮です#

 さてオーマンディのオケの豊穣さは作品の主義の本質以上の流麗なスタイル形態の様相になる時もあり、この辺が好事の高次たる愛好者に評論家あたりでその作品の時代のイズムに沿うか沿わないことに言及することにより、見事な批判的攻撃も出来ること事実。

 これは書かれた作品の即物的な状態より、イズム(主義内)での尊重さるる事多き作曲家にて、評価が割れるのはドイツ音楽に一部のラテン系楽曲に北欧のシベリウスあたりは端的なものであり、長らく不遇の扱いと評価を受けていた時代があり今日に到るは周知のとおりにて候、むすろスタイル(造形的修辞特徴もしくは書法的な技法に美麗を見出せる)的なものが重視されるスラヴ的楽曲やチャイコフスキーにラヴェルなどには評価が高いのはその側面からオケを論ずる手間を曲の真価と兼ねられるゆえの安易理由とも邪推される次第。
 過去の著名な出版にて幅を利かせていた悪意アル評論の「その手口」ともいえる切り口は?曲本来の先入観からその書かれた音符の即物的な状態を、検証しないで無造作にオケの豊穣さを非難する論調が殆どであり嘆かわしい先人の汚点。僭越ながらオーマンディーの譜面から鳴り響くスタイル的側面の趣旨を即座に判断推理して、相応しい状態にする形態操作掌握の素晴らしさと、それをフェルメノンできるオケに意図を読み解くことのほうが好事として識者行う評論とも思われる所存にて候。
  確かに多くの本場ものとは違う様相になるが、ゆりかもめさんの言う感慨が正解とも考え
「バストが大きくキリッとウエストが締まって、ヒップが大きめな思いっきり豊満な金髮ミセスに抱かれ包まれる歓び。」

かの如しオーマンディー豊穣な音に抱かれる事の意義として、我々は音楽の事象を主義を踏まえたうえで、それを超えたスタイルの次元での掌握による次元での「造形変性や操作への側面」での評価の触感的な体系化を望むことにあると思う次第にて御座候。

まさに多様化した価値と積層著しい記録は斯様にして有効に生かされなければという感もあり「感じる事へ」の意義が評論のポストモダンの先也や?

そんなオーマンディーの側面はまずは。
イベールの「ディベルティメント」と「寄港地」によって堪能されるもの。
没後20周年オーマンディー記念-外伝「考えるな、感じるんだ!!」(2)そして肉欲の海に溺れラテン物_a0007939_4142684.jpg

多くはフランスの印象を重視される事多き楽曲なれど、「ディベルティメント」におけるそのソロの映えるラヴェル的な管弦楽法の巧みさは、この演奏により真価を発揮するといっても過言ではないが、フランスのしゃれと言うより喜劇戯曲の純粋なはしゃぎぶりにこの曲の重点があることをむしろ感じさせるとこころがあり、「寄港地」においては若干イベールの持つラヴェルのそれとは違う東洋というよりよりアフリカに近い、民族音楽への土俗書法的接近はかなり犠牲になっているのは確かにて候。民族的語法は如何様にしても後に言及するファリャなども含めオーマンディの演奏では小さな了見として寛容にならざるべしものなのは確か。
カップリングのルーセルのバッカスとアリアドネ第二組曲は、ルーセルの硬質の響きが丁度バルトークの語法に接近しており、それ交響させることの何かを知りえてる当団とオーマンディーの独占状態でもありミュンシュの名演奏に肉薄する次第。しかも残念なのはカットもミュンシュのそれを踏襲しており、おそらくミュンシュ客演時の伝授の可能性もあるが決して当団に相応しいかと言うと?欠落された箇所でのトランペットの技巧の箇所など考慮すると非常に残念な次第でもあり。


つぎにファリャの「スペインの庭の夜」はアントルモン*を迎えたの成果ありで、むせかえる官能にピアノの心地よき夜風の対比が聞き所であり、ファリャとしては希薄なテクスチュアの聞こえの楽曲にこれほど、聞かせ所が感じるのも珍しいというより、これこそがオーマンディー発掘した聞かれるべき音の真価なのかと感銘受けた次第にて、中間部の安定してトリルに歌われる、木管の巧みな歌は非常にわかりやすいスペインであり、イスラムのアフリカ的側面は少々薄いが雰囲気に誤魔化すことのないオケの技量の直球勝負にて候。
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*自己修正報告カサドシュから修正いたしまします、どうもミトプーNYPのカサドシュを混同しておりましした。*2008/05/27

そして「三角帽子」組曲はとめる者はいないのかと言うぐらい、曲想を超えた音の宴が爆発する、もはや「粉や踊り」から「終幕の踊り」に向かって多少ゆっくりなテンポだがそれを忘れさせるファリャの書かれたスコアのダイナミックさをフォークロアという枷を外して暴走させると言うような状態。

正調の」アンセルメの演奏と比べると?まるで民族隆起でもおきたのかとも思うような「三角帽子」しかしながらファリャは斯様な可能性あるスコアを書いたのも事実と言うことであり。

これらは?主義は歴史により忘れ去れるが造形は歴史に沿うよう受容さる容姿に変容して残るという理の存在を感じる演奏を記録した音盤、ゆえオーマンディの真価と問題知るには最適也
by dr-enkaizan | 2005-01-25 04:22 | 解説のない音盤紹介
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