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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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ジェームス・レヴァイン ストラヴィンスキー/春の祭典

ストラヴィンスキー/春の祭典 ジェームス・レヴァイン/メトロポリタン歌劇場管弦楽団

当曲の演奏でこれほど、スコアに書かれた音を無駄にすることなく、なおかつ即物的にしかし抑制とは無縁に引き出した、
いや?というより放り出した演奏はめったにない次第にて候。
 それは、春の祭典の理想を求めるカルトな響きへの妄執が実願したかのような、趣であり、本来はある程度抑えるべきすべてが白日に晒されすぎて、受け取る側が飽和する感覚を引き起こし、
あまりに乱雑・未整理*にも誤解されかねない状況を呈し、演奏の充実にも反して、世評は軽んじられている次第。

 *確かにテイクは少ない録音で、あいまに演奏者の雑音なども入ることから一発取りの長いテイクが想像され、録音場所のアコスティークも悪いところで、音盤の作られ方も含め乱雑な部類には入る。ジャケッドデザインも風忍調のサイケトランスアート調でありこれも一因か?

 しかし、との巧みな音色はそれらの批判では見逃しており、多くの理想的一例がいくらでも指摘できることがある、たとえばトラック20の冒頭から「敵対する村との戯れ」の最初のティンパニと弦楽のずれた刻みにと、フレーズが交差する箇所での、ティンパニに合わせられたテューバのバランスは絶妙であり、メーター旧録音やストラヴィンスキーの自作自演ステレオなどのテューバやその逆のデービスやブレーズなど、両者の存在のいずれかにクローズアップされる演奏に付きまとう不自然はなく、ティンパニーの音に被せられた必然的音色音量の意義すら感じさせる次第である。

 今回鎌倉スイス先生の春の祭典トピックのコメント途上で推奨せずはいられなくなり、トピックする次第。
 昨今のレヴァインの注目の低さは・・氏のプライベートの様々な要因?や、一時アカデミーな話題の中心たる、主要オケから外れて、しかもレコーディングから遠ざかった要因もある。さらに確かにフランス近代辺りの音楽では、かなり厚ぼったい印象も否めないところであり、表情を深くとってはいないがグラママラスな音が鳴っているあたりであり、さらにロマン派以後はその裏付けは昨今の学術系の歴史的裏づけという、怪しげなトレンド的擬似音楽史的実証想定のような刺激的な付加価値もない、旧世代の意義の範疇にとどまるとさえとも、認識されてしまっている現状であるのも事実で・・・・・情報媒体の発展の結果、今の聴衆が感傷的要素、上記刺激要素にどっぷりかぶれ、常に安定している豊穣な音を求めていない傾向で、個人的な嗜好で安易に聞きところらしき印象を操作流布するなか、なかなか平均的に鳴らすレヴァインの玄人的な傾向に刺激を見出せないあたりもある。特に日本ではその傾向が強く陰鬱に、もしくは異形に突出した特長がありがたがられるのとは袂を分かつ傾向にある。故に氏の演奏の斯様さが・・・・・
 深みや憂いや影という日本人的感性の極北であるのは確か。しかし、昨今の未達成水準の演奏を、印象操作交じりを?マイナーであることを新味覚と誤解する向きにはこの演奏を再度深く聴いて、何たるカを思い出してもらいたいこと事趣味がスノップする向きに警鐘しておきたい次第にて候。
 奔放を嫌うを良とするのが蔵人の好事の証としている勘違いしている輩が多いが・・・さにあらずや?
 ストラヴィンスキーの鐘楼発言を捩って語るとしての、レヴァインの春の祭典の意義は?スコアのメティエこそ突かれるべき鐘楼の鐘であることを、もう一度思う起こしてほしい主張に他ならない。感じるのは自由だが、つき方が悪い鐘楼の音は遠くまで聞こえないことも事実にてござ候。

 このことはこれの前に1977のペトルーシュカですでに萌芽があったがそれはいずれの機会に。
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ジェームス・レヴァイン ストラヴィンスキー/春の祭典


1992年録音で輸入版がそして来日記念として同演目を含む
1993年にリリースされた音盤、しかも同曲の国内演目はさらにラヴェルのボレロを演奏した記録され、このオケの底力は
フィラデルフィアやシカゴの豪腕を頂点にされるアメリカオケだが、裏方にてもデフォルトこれぐらいはやってのけることを知らしめるものにて候。
1993年6月3日:サントリーホール
ムソルグスキー/展覧会の絵
ストラヴィンスキー/春の祭典
ラヴェル/ボレロ
あなおそろしや、実演見聞した人はコメントキボンヌ

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by dr-enkaizan | 2009-02-08 02:15 | 解説のない音盤紹介

ドクター・ペッパーのような・・・・・セル指揮クリヴランドの海

承前*
某ローゼスの全米無料配布大丈夫なのか、それゆえ必死なのかこのドクター。
*ネタもとの書き手の安易な今様引用に嫌悪とさっ気を覚えつつ、承前せよ
 某所でドーバーのスコア掲げて、「海」の聴き比べ?きっと、セルのドビュッシー海を聞こうとしている、明らかに、海の家に喧嘩を売ろうとしている(笑)明らかに、練習番号63番以下略・・・。

LA Mer (The Sea): Three Symphonic Sketches (Dover Miniature Scores)

Claude Debussy / Dover Pubns


 セルで聞くなら音友のせめて・・・・スコアでないと・・笑以下略

OGTー89 ドビュッシー 海 (OGT 89)

音楽之友社


 というわけで、久しぶりにセル指揮クリヴランドのCBS録音を聞く。
 海の家創設の頃に、招き猫で色々お祝いレス*と情報を下さったかたのおかげで、再発見できた名演奏であり、シャルルミュンシュやライナーと同じタイプの校訂修正方針**の特徴では録音バランスで理想的なのに、その地味な印象と、セルのドイツ物の印象が祟り、いまだ世間には軽視されている次第な、嘆かわしい状況ににて候。

ドビュッシー;交響詩「海」/ラヴェル;「ダフニスとクロエ」/亡き王女のためのパヴァーヌ@セル/クリーヴランドo.

セル(指揮)/クリーヴランド / ソニーミュージックエンタテインメント



 まあ、炭酸ある清涼飲料でステレオ初期の海の演奏を限ぎり比喩セルに、ミュンシュやライナーがコーラ・・・・、アンセルメはペリエと月並みな例えであるが、セルは当然海に関しては,
立場的にドクターペッパーのような気がしてならない今日、この頃各位想像の程。

 多少メタなので、少々演奏を・・・・・とりあえず仔細はここでは、多く語るつもりはないが、セルの演奏による、第二楽章「波の戯れ」の5:18以後でのハープの重音グリッサンドでの背景弦楽の重厚な辺りが、その他の演奏より、響きの層を重視した、当演奏の特徴を端的に現す次第。
  まあこの構築感覚がドイツ語圏で、音楽を深く研鑽したセルならではといってしまえるのだが。・・・・・・・またフランス表層愛好家に余計な先入観を与えかねないのこの辺で。

 *因みに、ドクターペッパーすきといえば、海の家創立時に猫で賛辞を頂き、早期にリンクしていただいた、斉諧生音盤志の斉諧生さんも確かお好きだったような・・・。

**現行譜面が出回っていない頃の当時のアメリカのオケ演奏*の多くは、二版目譜面に、矛盾の修正と初版の特徴を独自に加えている。63の三連音はあるが、セルは同じ、譜面にミュンシュやライナーのように独自の60-8小節のファンファーレは入れることはせずに、おそらく二番目の校訂譜面をなるべく忠実に演奏を行っていると想像される。なお同時期のパレーは現行譜面に近いものを演奏している次第。

、あと現行譜面の校訂の元になったと想像され、第一楽章のチェロの細分パートの一部をヴィオラに受け持たせる慣例を作ったトスカニーニや、それに追従していると思しき演奏家達は、例外的に現行の譜面様相で比較的早い時期に演奏している。多くは右上のリンクから海の家の本分へたどり着く事推奨。
 因みにドーバーのスコアは現行譜面の初期の版下改造の可能性が強く、現行決定は金に物を言わせれば、デュラン-コスタラ版が校訂報告多くの版や全国規模のオケの譜面の校正にあたり、網羅しており非常に順当であり、単にセルの演奏であれば、音友版のエディショナル・ペータが妥当であり、評論に譜面の相違誤認を防ぐことが出来る次第。なお全音はポケットスコアの初期に近い版下で練習番号62等諸々が初版や自筆譜面の特徴を示している。但し60-8のファンファーレはすでに削除されている段階

スコア ドビュッシー海 (Zen‐on score)

ドビュッシー / 全音楽譜出版社


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by dr-enkaizan | 2009-02-04 02:20 | 六国峠海の家「海が好き」情報

牧神を巡り巡って プレヴィンの牧神の午後への前奏曲

承前
鎌倉スイス先生の恒例の季節物の合間に、直の扱いでの、ヂュカスのドビュッシー追悼曲に始まり、牧神の午後へと話が展開する、なかプレヴィンのロンドン交響楽団の演奏へ言及が進み、あまりに円海山的フェバリッツの琴線に触れたところで、新年早々嬉しい限りな次第にて候。


 実にプレヴィンにとっての三度ある牧神の二度目にあたるであろうこの音盤は、EMIの最初のデジタル録音であると同時に、メジャーレーベル史上最初のデジタル録音による牧神の午後であるはずである。
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 LP期初出のころには、その録音の様子をレポートしたライナー、付属されており、医療用のデジタル機器転用の録音ついての困難と、その画期的な成果に、ものめずらしさ、コンソールに詰めはいった楽団員たちが、そのスピーカから流れる管楽器の第一声の生々しさに感嘆した様子などが伝えられている次第で、プレヴィンもこれが一秒に数万回サンプリングしているなんて信じられるかい?と軽い冗談問答すらしている。

その初出のジャケッド初回CD化でも継承されており、スペイン調のアーチがある庭園が、南欧の日差しあふれる、印象派絵画で、イベリアのある映像や夏の草むらの牧神を何かと遠くから暗示する雰囲気あるものでありなん。
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 さて当該演奏は、フランス的というより、あくまでも国籍はない、純粋な音楽表現の模範を示すものであり、ロンドン交響楽団の適度な厚みのある音彩、適度な抑揚に合わせたディレイヴィブラート、ノーマルで深いホルンの音色など、フランスローカリティーとは極北の位置にありならも、見事なフランス近代音楽の書法的効果を的確に捕らえている次第。
 己も含めて、わが国のエスプリだニュアンスだと、お定まりの単語で、お国物の演奏家をありがたがる、この演奏は、それ以外でも成立しうる、視点の定まった路線の存在を痛感させられるものにて候。
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by dr-enkaizan | 2009-01-07 23:48 | 解説のない音盤紹介

アニバーサリーの残り香 151年目のエルガー:スターライト・エキスプレス、他

 去年の150アニバーサリの残り香
当楽曲は以前ジャンドスのNMLネタにて言及澄みながら、対訳込みでデッカがエルガー作品をマッケラスなど中心に大盤振る舞いをしていることを言及しそびれた次第。

 そのなかで、三浦氏晩年の仕事?と考えられる当曲の音盤は国内盤の買う価値は高くあると断言せぜる得ない。

 近年のマニアの解説より改めて三浦氏の仕事は簡素ながら、落ち着いている次第。
それに準拠して当曲の概要は、エルガー58歳時に書かれた劇作品の付随音楽で、当作品はそれからの幾つかの管弦楽伴奏の歌曲の集成となり、その素材には別作品の「子供の魔法の杖」も素材を取り入れいるが、それは三浦氏のライナーを実際にごらんになることを推奨する次第にて候。
 なお当然カップリングには「子供の魔法の杖」の二つの組曲、さらに、小管弦楽のための「夢の子供たち」とエルガーの童心にスポットを当てている様相を呈している。

 その曲の概要は、原作を妖精文学というか一部で怪奇文学では著名なアルジャーノン・ブラックウッドの「妖精郷の囚われ人」(*)を基にし、別人が演劇に仕立てた「スターライト・エクスプレス」への音楽の依頼であり、その長大な演劇から九曲の歌曲を抜粋したものでありなん。

*日本で一度訳本が出版され三浦氏の書く表記よりそれを優先させている次第

 三浦氏のライナーを頼りに劇の粗筋は。「極めて幻想的(ママ)」で、ユラ山脈に移住した、生活に困窮しているギャムデン一家と、おなじ境遇のプールセル村があり、見かねた子供が、星屑を特殊な洞窟に集めた配る「星明りの協会」をつくり、各家に分配し、大人たちを救う、そしてイギリスからおじさんや妖精の協力の末、貧困の両者がクリスマスを越す事できるように救済する、妖精版人情物語なる様相。

登場人物の手回しオルガン弾き(Br)やその女房のラーファーそ長女のジェシー・アン(ともにsop)の持ち歌を歌い、歌詞は草花に風や昆虫の雲やそして星とこの国らしい自然主義に満ちていたり魔術についての話の妖精世界で牧歌的なオカルトに満ちている。

 音楽もエルガーらしい、ドイツ的な書法に立脚しながら、どことなく旋法的な旋律と和声も配合されたあたりに哀愁があり、標榜したRシュトラウス張りの色彩的管弦楽にて、最初の手回しオルガン弾きで歌われる「小さい鈴」の引用フレーズが、フィナーレで鐘を伴い感動的色彩をもって再現されるあたりは聞き物であり、また4曲目での夜風で妖精を目覚めさせる?アリアでは、ウィンドウーマシンが導入され効果的な面白を聞かせ、ラヴェルの子供と魔法の先駆すら感じ、非常にあきさせない。

さて後半にはオルガンも加わりキャロルソングの「最初のノエル」が出現するあたりは、妖精世界のケルトや北欧文化圏とキリスト教文化圏の折衷の軋轢もしくは陳腐さが感じなくもないが?今年のクリスマスに如何な一品にてござ候。
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エルガー:スターライト・エキスプレス、他
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by dr-enkaizan | 2008-10-14 00:38 | 解説のない音盤紹介

オーリック:コクトーオルフェの付随音楽新録音

 近年その音源の一部が姉妹筋のナクソスに移行し、活動が顕著ならざりて、解消しつつあると思った、珍曲の登竜門マルコ・ポーロレーベル・・と思いきや、クラシカルな作曲家の映画音楽のスコアの音化に勤しんでいたらしい次第にて候。

今回はそんな中でも。フランス六人組の一人ながら、著明な三人の影に隠れがちなオーリックの映画音楽であろ、まあ斯様な世評をよそに、オーリックはむしろ六人組の中では一番映画音楽に特筆すべき成果をのこしたのは、彼が精力的に作品を作る時代が、戦後のトーキー以後映画であってのことでもある。

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オーリック:オルフェ/ルイ・ブラス/山師トマ

 特に旧知のジャンコクトーとの完備なるコンビネーションによる彼の映画につけられた音楽は、その当時の貧しい音質からも垣間見られ、一度優秀な録音で聞いてみたい欲求に駆られることが多く、今回の幾つかの音盤はそれを満たす内容になっている次第にて候。

そしてこの音盤での聞きは、最後の最後での切ないどんでん返しで元祖ツンデレだったと解る、の死の国の王女”(マリア・カサレス)の美しさと、死なせてしまった妻を戻しに、その女王と死の国と現世を往来するジャンマレーが美意識溢れて演ずる詩人が、見ものだった白黒作品コクトー作品のオルフェのサントラに始まる。
その音楽は、デリケートな表情豊かな弦楽。しかいドビュッシーやラヴェルに近いが、むしろトリルやトレモロなどの使用は前者の表現の起伏は持ちながらも、ありかたはサティのソクラテスの近親のような静寂を志向している、そして木管の悩ましいモノローグは時に跳躍や不可思議なオギュメンンス嗜好音程移動だったり半音階的になり、金管と合わさりの抑圧的にて抑制的な葬送の旋律として、旋法的にもあらわれ、そしてハープやクロッケンシュピールの音彩や、葬送の示唆である小太鼓のトリルなどの効果的使用というように、多彩な語法に支えられ、地味に(この作曲家として隠れた側面であろう)オーリックの折衷的特性が生かされた内容で展開する。

このほかに後半は恐るべき親たちや山師トマにてオンドマルトノなどが使用され、オーリックらしい気の聴いた劇伴奏堪能できるが、各位耳にて確認されたし。

マリア・カサレスはツンデレキャラにしてみたい
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by dr-enkaizan | 2008-05-02 04:34 | 劇伴奏

ジュ(エ)フスキー:不屈の民変奏曲の新録音


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8.559360 ジュフスキー:不屈の民(ドゥルーリー)
Ralph van Raat (ピアノ)
録音:21-22 April 2007. Bachzaal, Amsterdam, Netherlands
RZEWSKI: The People United Will Never Be Defeated
URL: http://ml.naxos.jp/?a=8.559360


 芸術におけるアンガージュマン的姿勢は・・・・その異能や技能を極限に持って表すにいたってその真実味が増し、それの意味合いと符合しない受容においても深い芸術的造形の局面を占めすことが多いのではと・・・・そんなことを強く感じさせる見本が、このジェフスキーであったり、多少アレだが?ジョンレノンの奇行パフォーマンスや歌であったりすると思う今日この頃にて候。
 表現者たるもの?昨今の例宜しく、ただの意思表示声明文になを連ねることで満足をしてしまっては如何なれど・・・それも様々な対立構造を渡って巡り渡る利権や使役序列が、単純ではない今を生きる時代の難しさゆえと所見され、それは仕方なしの思いあり、せめてもの善意なのか自己免罪なのかという感慨はどちらか明言しかねる次第にて候。

 少なくともかの国に危機感を感じさせ、表向きなれど対話へ導かせたのはたのは、明確にことを知らしむる思いある動きを成しえた人であり、それは単なる暴徒でもなく、まして権威者の名を連ねた文章ではないことは確かでありうる。

 さてそんな自由を謳歌するもう一つのカの国もその権利闘争の暗黒歴史があり、彼はそれらに起因した労働歌を素材に、古典から近代そして現代(ミニマル~即興)の音楽技法の尽くして音楽作品を作り上げる一連作品群を作り著明になる。

その作品の代表格不屈の民変奏曲は
政治闘争歌 "El pueblo unido jamas sera vencido" による36の変奏曲という実体をもつ一時間に及ぶ長大な曲ながら、主題がさせる懐かしさと親しみと・決して安易な民衆主義傾かない、ハードな技巧までのレンジを具有する内容を誇る。
日本での影響は、当曲を高橋悠治がレパートリにして、その会参加のあり方は、高橋悠治の率いる水牛楽団の端緒にもなる次第であり、さらに武満徹氏も作曲家と対談さらに、氏の企画したミュージックトディーにては、氏の音楽を数多く演奏するオーッペンス女史を招き、ノースアメリカン・バラードの本邦初演なども敢行されている。
 当アルバムには、そのノースアメリカンバラードの最終章の
第4曲「Winnsboro cotton mill blues(ウィンスボロ綿工場のブルース)」が収録されている、本来ならこれも全曲録音されるべきものであり、初演者のジェコブズと作曲者の録音以来なされていないのは遺憾な次第にて候。
(これではオッペンスの初演のFMエアチェックテープはまだ手放せない)
この曲は低音クラスター*に始まり、それの合間からけだるいブルースが現れ、陽気な音楽の成りになるが再びクラスタの雑音に引き戻されるという内容であり、なにか・・・wikiで確認できる歌詞の怒りと符合する、因みに二台にピアノ版がこれには存在しており、日本で演奏され、これもFMで放送されているが、その折には、来日した作曲家自身がオリジナルの歌を歌いその後に、演奏された次第である。

なお語弊ないがあくまでもプロレタリアだがこの作曲家は反体制ではなく、それにありがち興酔てき身振口ぶりは一切無い。この辺は武満氏の対談をご覧推奨、あくまでも目線は民衆と同じというところがあり・・・ノンセクトラジカルにも好感がもてる次第。
*紡績工場著と知る円海山思うに糸巻き機器のラインを示唆するかのような音響になっている。因みにこの譜面は所有しているが、このクラスター部分のお茶付けのノリを五線譜に落としたような状態を人に見せるとたいがい引く(笑)
追記:同刑務所服役囚からの手紙に曲付けした カミング・トゥゲザー Coming Togetherや ミニマル時代の初期代表作もナクソスで聞けるので推奨

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CDR90000-084 ジェフスキー:「フレッド」 - ポケット・シンフォニー/パニュルジュの羊/カミング・トゥゲザー(エイス・ブラックバード)
RZEWSKI: Fred - Music of Frederic Rzewski
URL: http://ml.naxos.jp/?a=CDR90000-084

、「パニュルジュの羊」付和雷同者達を意味する作品でであり、一つのテーマをずらす軌範の即興性のある階層属性での導入コンセプトが、芸大時代の久石譲のミニマルコンセプトなどの発端になったのでは思わせる。
ないNMLではジェフスキーがジュフスキーとなっており発音のこだわりか?毎度の中華クオリティー発動なのか子一時間問いただしたい。

さらに追記、ようつべに当該音盤の演奏者演奏映像がある、是非視聴推奨。
http://jp.youtube.com/watch?v=FJbROXEiwjY&feature=related

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by dr-enkaizan | 2008-04-29 11:26

カラヤン生誕100年

承前:帝王百年
生誕百年記念演奏会

ヘル・ヘルベルト!

世評どおり反発も共感もし、そ晩年の活動はFMでリアルタイムに体感。
とりあえずベートヴェンの序曲集にて生誕100年を祝う次第。
Overtures
/ Universal Internation

 情報未開発の時代の折に、巨匠主義と放送と記録媒体にて世界の隅々に、研磨された流麗さをもってクラ音楽を届けた彼の功績にどれだけ我々は報いたのか、これをもって考えてみたい所存。

 なおスイス放送曲にルツェルンのライブがデジタルで録音されており、その音源がいつか音盤にならんのかと期待もしている。

 主にオネゲルの交響曲第三番やプロコフィエフの第五交響曲などは、壮絶ながらDGのデジタル正規録音から漏れたレパートリーでありなん。

またバルトークのピアノ協奏曲第三番もザルツブルクでのゲンダのライヴから以来の?演奏である手兵ベルリンとルネ・デュシャーブルのライヴもあり、それら放送音源に商品化絶対なにかなされるべきであるが・・・なされず、業界の弱体を意味するのか否や?
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by dr-enkaizan | 2008-04-05 23:44 | クラシック

NMLで聞けるドビュッシーの「燃える炭火に照らされし夕べ」の世界二回目の録音

さて4月早々ドビュッシーからNMLでの話題を。
ドビュッシー愛好家の間では最新の話題の一つとしては2001年に発見されたピアノ曲
Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon「燃える炭火に照らされし夕べ」であり、すでに専門家においてレコーディングがなされているが、今一入手困難なものであるのは変わりない事態にて候。

このたびNMLのブリッジレーベルにてのベネット・レィマーBennett Lerner のドビュッシーピアノ曲集にて収録が確認された次第にて、ゆえに此処に報告せるものにて候。
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BCD9219 DEBUSSY: Piano Music (Complete), Vol. 3
リンク

 当曲は晩年の第一次大戦物資不足の折に、ドビュツシー家に石炭の補給を特例的手配をした石炭商への感謝が契機になった曲だが、実現の契機は石炭商のドビュッシーへの懇願としての「自筆の譜面の所望」ゆえであり、自身は余り乗り気で書いておらず、心なしか、某サイトの紹介言及にもある、前奏曲第一集の四番目の「音と香は夕暮れの大気に漂う」の素材が使用されており、多少労力が軽減されている、冒頭の音形が低音で移行され、一瞬同じ和声展開になり、前奏曲第二集の「カノープ」にでてくるジプシー風もしくはMTL風音階のフレーズが導入され展開、その後四拍子刻みに三連音の朗々とした主題が演奏されクライマックス形成して、その後消沈しながらも暖かい思いをこめて終止和音が低音と高音の隔絶した作曲家らしい配置で終わる。
 ただヴァイオリンソナタ等と比べると、かなり前奏曲集の頃のドビュツシーの要素が強く、色々検証が要する可能性もあるが、創作力の減退の時期、過去の作品のスケッチから、短時間にてでっち上げた想像もできる次第にて候。

 実にドビュツシーの前奏曲集は映像第三集のスケッチに書かれた要素が多く、これ真作ということ前提に意義考えると、そうした混沌としてなされた、斯様な創作現場と思考の一端を垣間見れる貴重な資料とも言える次第。
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by dr-enkaizan | 2008-04-02 23:04

年越しコメント目安箱

去年からありえない、不健康と多忙(乏)ゆえに、多くは語れず、僅かに1年の総括トピックでもと思いつつ立ててみる次第。

さてなにしろNMLでリアルの音盤をまったく購入に至らないという事態に陥る。
 そして雑誌界隈ではレコゲイの管弦楽部門受賞ラインにによいよ、「父さん酸素欠乏症で・・・」という台詞が浮かびしことと、週間アスキー紙上にて、ピアニスト三柴氏のフォロー無きエルネストアンセルメのヘッポ子発言がいずれストコフスキーの魅力とアンセルメとフォローなしに論じる問題を語り報復したいのと・・・そしてその三柴氏が音楽を担当する深夜アニメ「BLUE DROP」が世評の不人気をよそに、無骨なストーリーと付随音楽が感動的で、その細部は昭和世代のヤマト・マイティージャック世代を百合路線という倒錯した観点から意表をつくように直撃したかのような当りも論じてみたいが・・・同じく深夜アニメのefが、前クール期での放映中止番組と同じように、ヤンデレや青春恋愛の縺れを題材にしながら、切り口が違い、エロゲ原作とは思えない実写ドラマを意識した台本に、新海氏の背景と独自のアニメならでは可能だが、直接前例のない異色な画面演出に金縛りにあい、中盤クールのひぐらしの最終章のしょぼいアニメ化のフラストレーション分を補うものにて候。

 さて六国峠的はメルクルのドビュッシー「海」が個人的には嬉しき内容であり、須賀田作品の音盤新録音など前述ナクソスツボな活動振りに今後注意と問題を感じつつもある次第にてというところで、筆を置いておく次第にて候。
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by dr-enkaizan | 2007-12-31 17:00 | 雑文

秋の夜長祭り・・・・・かかれる前に書いておこうアッテルヴェ(ル)リといえば・・・

承前
さてひそやかに楽しみにしている鎌倉スイス先生の季節物セレクション・・・今回はスエーデンの近代作曲家のアッテルヴェリ(アッテルベリ) ピアノ五重奏曲・・・実は円海山のトピックの予定あった曲であり、これとあわせてそれのもう一つの形態である交響曲第六番もあわせて聞くことを推奨セル物にて候。(尚当曲の経緯は承前を参考に)ナクソスのライヴラリーにあるゆえにアカウントあるものはこちらにて聞くべし。
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アッテルベリ:ピアノ五重奏曲/組曲第1番/ホルン・ソナタ

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アッテルベリ:交響曲第6番/ヴェルムランド狂詩曲/無言のバラード Op. 56(ノールショッピング響/広上淳一)
写真の車は交響曲六番でもらった賞金でかった車

その作曲家にて、いろいろ聴いてもらいたい音楽は多く、円海山的には、交響曲四番の民俗的旋律と儚い叙情のあるアンダンテが念頭にあるがこれは春向けであり、そして海辺の情景を刹那に描いた交響曲第三番は、台風シーズンで多少時期を逃した感もあり、今様の頃での、少々ひんやりとしていて出来れば月の光が少しでもあるような秋の夜には、ホルン協奏曲も相応しいのでは思う次第で御座候。

 ホルンのレシタシーヴォと管弦楽対話にピアノの硬質な和声の装飾がちりばめられ、魅力的に悩ましくも切ない旋律がうねりだす、第一楽章、そして弦楽のピティカートの上の律動の上に、嘗てないほどの朗々と歌われる、歌にピアノ華やかな音階的な律動が彩りを添える第二楽章、そしてスケルツアンドな舞曲で少々スリーステップなジャズを思わせ、哀愁にてユーモラスなフィナーレで、終わりは加速にて遂げられ、全体構成が序破急のラプソディックな仕掛けであったことを感じる。

ナクソスには三種類有るが往年の名盤であり円海山的にもリアル所蔵にも思い入れ深い。
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CAP21364 アッテルベリ:交響曲第3番(ストックホルム・フィル/エールリング)/ホルン協奏曲(リンデル/オスカンプ)
に涼しげな夜空ような音質の録音と緊張感の素敵な持続が一長秀でていると感ずるもの也。
是非拝聴推奨。
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by dr-enkaizan | 2007-10-31 01:20 | 解説のない音盤紹介