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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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タグ:近代音楽 ( 12 ) タグの人気記事

( ;゚д゚)))だめだ・・・私は負けている・・・・時代は「僕何某」

承前何子
「ぼくゴリラ」の短歌で市長賞てっ

ダダイズムを意識しているならいざ知らず。
>「小中学生にも新鮮な感覚の作品があり、左千夫も喜んでいるでしょう」
戸塚のマスコットといい新鮮崇拝の芸術家様の有難いお言葉なんでしょうにて候。

ぼく評論家
であろうあろうあろうといえようuuuuuu
ろうろうろうろうあろうuuuu
言えようuuu
別にうらみはないが・・・・将来芸術作品が・・・・以下略。

そんな作品の先祖にプーランクが曲つけた「黒人狂詩曲」

仮面舞踏会(プーランク:歌曲集)

ブノワ(ジャン=クリストフ) / EMIミュージック・ジャパン



ホノールル・ホノルールをピューと吹く! ジャガー好きな菱木君にささげ、さらなる活躍をきたいせん。

おれも
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by dr-enkaizan | 2009-01-19 20:56 | とろける脳みそ

あのハルヒの山寛がまた蔵的に・・・・

図らずも最遅の最終回視聴となってTVK放映の「かんなぎ」視聴終了。

 数年前から、月姫アンソロジーの同人作家のプロ連載でその界隈や同じ系列の「ひぐらし」界隈にて話題になり、単行本もその頃購入開始済みで、氏神が事故で美少女で顕現して主人公を日常で地味に翻弄するといった、変な世界に関わらずに日常的地味なしぐさで、存在の謎と青春と土俗がラブコメする、結果萌えな内容が微妙に魅力な当作品であり。

かんなぎ 1 (1) (REX COMICS)

武梨 えり / 一迅社



そして今回あのハルヒの監督 山本寛とかみちゅやRODの 倉田英之の構成と脚本ということでアニメ化、その斬新な演出やセルフパロディー、アニメオリジナルのストーリーの奇抜さ、そして原作の進行でのファンの反発、作者の急病休載*で、年末の話題を多く引っさらって いった次第で、今回好評のまま継続中*のアニメを損なうこと無しに終了せり。

 今回驚愕したのは、やはり監督および周辺のの蔵使用のセンスの卓越似て候、
第十一幕 でも、あやふや でのブル七第一楽章冒頭での劇中BGM*のコラージュに始まり。
今回最終回でのシベリウスの交響曲使用は、この手のアニメ系列での使用は画期的
*山本氏との名コンビ神前 暁氏担当?

 個人的に原作でのあの河辺草むらのシーンは、個人的にシベリウスの六番とか七番の弦楽のドリア旋法のあたりとか、アッテルヴェリの四番の第二楽章の音彩と思ったら、見事にシベ7を使用して、台詞の進行にあわせて、あの弦楽からトロンボーンソロの旋律あたりを使用しているのに大いに戦慄する、旋律だけに。

シベリウス:交響曲 第6番 第7番

Bis



ハルヒ クラナドなどでの、必然や独自仕様でのマーラー・ラヴェル他の楽曲の使用の実績は、この監督ならではだが、考えている事が同じなのは、氏も蔵世代が近い故なのか?所見さるる次第。

*原作では現在ヒロイン「なぎ」の元彼の出現でファンの間で「中古」事実が発覚とされ、一部趣向の妙な向きから批難を受けている状況であり、初版単行本既刊まで全部破いた画像をアップして実物原作者へ送りつけたと豪語する異常者も出る始末にある。

 そして同時期に作者が急病で無期限休載になり、その関連を疑うファン大多数に対して、出版社が否定と事情説明をHP上通知する、異例な事態ともなっている。

一寸オーディオ詳しい香具師これを・・・・
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by dr-enkaizan | 2009-01-03 02:21 | 劇伴奏

今回は深井をねたに その2

前回から一月
今回は続きをまあ

あの状態で七ページ・・・。
追記五ページ改訂も一つ追加で八ページに
このほうが本来の続くなのでした。

ミミは問いかける・・で続く。

見てみる
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by dr-enkaizan | 2008-06-16 22:42 | 康代さん

バラキレフ:ピアノソナタ ピアノ表現の歴史を一気に無謀に駆け抜ける書法カオス

 さてバラキレフと聴くと、皆様のうち、ピアノでの技巧難曲の「イスラメイ」以降記憶がたどれる方々がいたとしても、交響曲や交響詩であり、それをなぞるかのように音楽ベンダーも、イスラメイ以外のレパートリーは希薄に辛うじて大半の各分野のレパートリーが点在する次第。
 しかしながら、恐らくロシア五人組のなかでも、とりわけ音楽書法を自在扱える教養をうかがわせ、リスト ショパン シューマンを理想とするピアノ技巧性とロシアおよび中央アジアの民族性そして、西欧文化圏のロマン主義にまで広い視野のある音楽は今後注目される作曲家であるのは、昨今の彼のピアノ作品全集の譜面などの話題からも、今後我々が知りえる音楽宝庫として留意すべき事項の一つであると所見さるる次第にて候。

さてそんなバラキレフの知る人には著明な稀少なものに、あるピアノソナタはその宝庫への導入として相応しい、珍妙な内容ゆえ我拝聴推奨セリ次第。
ピアノ・ソナタ変ロ短調 (1900-5)

嘗て80年代レコゲイの特集にも紹介がなされており、かなり昔からの珍妙な秘曲だが、昨今のトレンドから忘れ去られている観もある。

第一楽章はダイアトニックな短音階の装飾が、ドビュッシーの「ピアノの為」の前奏曲や、ストラビンスキーの春の祭典の冒頭などの主題の原初の血脈を感じるロシア的主題が、バッハのフーガのような遁走的多声展開がなされ、それ古典派のような伴奏上になって、それがショパンのピアノ曲の響きに変容し、最後はまた折り目正しい終止がなされる。
第二楽章のマズルカはリズムの扱いはドビュッシーのそれに近いが、ロシア調の節回しがかなりの風情。
そして第三楽章は間奏曲であり、歌というよりショパンの楽曲にあるアルペジオや途切れる歌による音詩であり、次第にスクリュアビンを思わせるかのような官能的盛り上がりもするが、静まり途切れるような終わりかたをする次第。
そしてフィナーレはチャイコフスキー的なアカデミズムなエリクチュールでロシア的叙情を表現し、技法的要素で開放している音楽展開している、短調のロシア的情緒あるロンド主題に前の楽章の回想もなされ、構成を引き締めても進み、最後は、ハーフディニッシュコード含む機能進行で、多少静まり心地よい憂鬱で曲は終止する。
現状どれだけ音盤があるのか不明ながら、NMLでモノラルながら、ケントナーの演奏で再会できるのが嬉しい次第。

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8.111223 バラキレフ:ピアノソナタ/リスト: 巡礼の年 第2年より/他(ケントナー)

なおショパンについてバラキレフの考は、ピアノ曲を簡素整理したような、敢えて編曲と呼ばず組曲「ショパン」としている作品のスケルツオなどで伺え知れるが各位に委ねる。


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8.220324 バラキレフ:ショパンの作品による組曲/序曲集
BALAKIREV: Chopin Suite / Overtures
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by dr-enkaizan | 2008-01-07 01:09

須賀田礒太郎:交響的序曲/双龍交流の舞/「生命の律動」 神奈川フィル/小松一彦

待望のナクソスの日本音楽シリーズよいよ 円海山的にはご当地横浜しかも神奈川フィルで、須賀田礒太郎氏の登場なのは誠に興深い事と相成った次第である。
 
 大戦により生活文化事情が変わり、忘れ去られてしまった作曲家の一人であるが、その作品大変に機知に富み、フランス近代に後期ロマン派に表現主義、新古典主義そしてロシア音楽などの熟知していることが窺い知れ、当時の日本が西欧文化の認識において猛烈な収集の勢いをもってなされたことが解り、同時代を生きた作曲家よりも個性は希薄で書法や模倣的要素がつよいが、その日本土俗から西欧の書法に及びたる、的確な語法掌握や用例は、ある点では共通する時代感覚をもつ、伊福部氏や早川氏の「所在をつねにプロンプトする音楽」とも微妙に違う多彩をもち、それは今のネットでの情報社会の先例をみるような、幅広い興味と好奇心とそれを支える知性などをこの人物が持っていることを証明するものであり、その点では深井氏など共通の日本人の、西欧の文化の歴史的および地域的な相違を同列に扱えた環境にいたゆえの、折衷的気質美徳において気質を共にするものである。

 この作曲家は忘れ去れたが、その博識なる幅広い書法認識を渇望する態度は、繰り返すが現在のネットやメディアでの並列化された情報を捨て選びしながら進む創作や論説の潮流に通じるものにて候。

これはある意味横浜という町に育った人物の気質とも愚考さるる次第。
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8.570319 須賀田礒太郎:交響的序曲/双龍交流の舞/「生命の律動」(神奈川フィル/小松一彦)


さて曲は皇紀2600年のコンクール受賞作「交響的序曲」
のレスピーギとマリピエロとヒンデミッドの合間のような、ポリコードやSUS4の和声や変形されたリディア旋法のバリエーションのような音階による前奏曲やアレグロそしてフーガとコラールと西欧新古典主義を標榜しつつも、後期ロマン派の劇的展開を模索する意欲作品に始まり。
雅楽の原曲を西欧語法と編曲の枠を超えて融合せんとした、「双龍交流の舞」
という個性の萌芽たる作品と、晩年の地方にて演奏される可能性の低い中、自己の興味でのストラヴィンスキー「春の祭典」や「ペトルーシュカ」、そして「火の鳥」あたりの語法を吸収せんとしたかのような和声や書法の追従著しい「生命の律動」というバレー音楽作品、そしてまた初期作品のリムスキー・コルサコフの異国趣味を模索する「東洋の舞姫」という網羅的ないようである。
惜しむらくは、さらに「横浜」や関東・東北のような氏の得意としていた可能性のある
地域性を音楽に当て嵌める書法のコラージュが世評さるる作品が聞けないことだが、かえってこの作曲家の音楽の技量の卓越と問題を計り知る内容と相成っている点になったので、続編を期待もしつつ、絶妙な選曲を評価したい。

なお録音は近年のナクソス録音では珍しいデットな傾向にあり、アンセルメのデッカのでの録音を彷彿させるところがあるのが嬉しい次第であり、ある意味そちら方面の方にも所見を伺いたいほどの感慨を持つ次第にて候。
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by dr-enkaizan | 2007-07-01 03:07 | 解説のない音盤紹介

ゲーザ・アンダとヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン バルトーク

 最近一周年を迎えた、音盤好事の方々らはパレーの音盤などの、その書籍に復刻の解説等で「神」同然の、
s_numabe氏のブログ私たちは20世紀に生まれた の記事内容に円海山的の音盤鑑賞経験や趣向と非常にクロスオーバしうる情報が多く、目が離せない次第。
  それはこちらが主幹に扱う内容と、共通るところも多い、ロシア・ソビエト音楽にフランス近代の音盤に文化周辺などの秘話にはじまりパレーの音盤・書籍など多彩であり、非常に濃い情報に支えられた記述であり、80年代の販売音盤の事象の仔細ナ感慨と反応の記述生々しさは、当時のリアルタイムで少ない資金で音盤を集めていた頃を生々しく思い起こされる。


 さて今回にこれがこれほどに、注目されるのは、初めてではないかという
音盤が紹介されている。
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バルトーク: ピアノ協奏曲 第3番
シューマン: 交響曲 第4番
ゲーザ・アンダ=ピアノ、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
Deutsche Grammophon 447 666-
1972年の8/13でのザルツブルクのライヴ(ステレオ録音)であり

カラヤンのバルトークはオーケストラの為の協奏曲と弦楽器・打楽器・チェレスタの為の音楽は正規録音での音盤になるが?なぜかコンサートで取り上げるピアノ協奏曲第三番は音盤になっておらず、今回のライヴは正規リリースでは初めてであり、このあとの80年代の手兵ベルリンフィルとのルネ・デュシャーブルの音源も名演奏であるが、現在正規リリースがなされていない次第である。

 そして当音盤も、限定の上に、カラヤン好きとバルトーク好きの共通層が少ないうえにシューマンの四番好きも相乗して、発売後世間から瞬く間に消え去って、人々の忘却に消え去り、現在中古で安値という憂目を受けている。

 おりしも、当音盤発売の時期はインターネット前夜であり、ニフティーのコミュニティーという選民閉鎖的な情報交換のみがパソコン通信の情報交換の主幹で、雑誌も余りこれを取り上げて折らす、国内リリースも企画されないという状況であり、仕方ない状況であり、インターネット普及後も「クラシック招き猫」にても話題にしてもあまり盛り上がらない惨状であり、かなり珍妙な次期の狭間の知られざる名盤と相成り申す次第にて候。
その内容は氏の言葉を引用すると
「これは凄い顔ぶれ、カラヤン=ドレスデンの共演とは、この音楽祭ならではの珍しい聴きものだ」とその通り、円海山がバルトークのピアノ協奏曲第三番の推薦を考慮する時に必ず屈指する一つにある音盤であり、さらに今回は主幹でないシューマンの交響曲第四番も、ベルリンのものよりテンポ・ダイナミックスにおいて起伏が激しく幅広い表現が聞け、多少無骨なオケを神経質にドライヴしている作為的印象もあるが、しかし個々のパートのオケが応じようとする熱意による音彩は、すばらしきものであり、ある意味カラヤンの演奏史上では一つの良い演奏成果としての特異点を示す。

 話をバルトークへ戻し、そもそも、これ以前にバルトークは第二協奏曲にてフリッチャイとの競演でアンダでザルツブルクに登場したような旨が、ライナーにあるが、目ざといカラヤンは、事実関係は不明ながら、用意周到に競演機会を伺っていたのような、年月と自己鍛錬を望んだではないかというような感が、当演奏には成果があり、フリッチャイとの競演のステレオ音盤でも聞けるアンダの明確な表現に、カラヤンがさらに流麗を増して呼応するように、オケパートへの徹底した歌部分のレガートの効果的部分への徹底指示(*)や、バルトークの書法における対位法的線の明瞭さに、第一楽章の副次主題提示再現などのの推移に目られる、ポルタメントの速度按配(*多少注意して拝聴)などに代表される演奏効果の徹底、アーキュレイトなど、カラヤンの音楽美学とバルトークの晩年の書法の親和性の可能性を、恐ろしいほど感じる次第にて候。


(*)端的に解る部分は、第二楽章の夜想曲的なアダージョでの導入の弦楽のカノン交じりのコラールで、一瞬頭に乱れのある部分(2:18)などで、おそらくバトンに由来するレガート拘りに、やはり不慣れな客演先のオケが破綻をきたしている瞬間がある

怪人:ザルツブルゲン仮面って・・・・
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by dr-enkaizan | 2007-06-17 15:17 | 解説のない音盤紹介

潜水艦轟沈す

潜水艦轟沈すという邦題にてしらるる、49度線という原題をもつ戦争映画の音楽を含む、
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CHAN10244 ヴォーン・ウィリアムズ:映画音楽集 - 2
VAUGHAN WILLIAMS: Film Music of Ralph Vaughan Williams, Vol. 2
ちょうど鎌倉スイス先生の取り上げている
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KORNGOLD: Sea Hawk (The) / Deception
と同時期の1940である。

 この次期は、前年の1939年は、1935年にヒトラーによるナチス政権を樹立した独逸が、機動部隊にてポーランドを圧制侵略、そして1940年にはフランスへ、そのマジノ要塞を無効にする電撃作戦にて侵攻、ついにイギリスは大西洋沿岸に追い詰められたフランス軍を救うべく、ダイナモ作戦を発令し、独逸と実質的交戦状態に入り、イギリスへの爆撃なども始まり、国内防衛として空中戦を繰り広げる「バトルオブブリテン」などもおきる時期であり、参戦はしていないゆえに娯楽を極めたアメリカと、社会世相と戦争への不安を反映したイギリス双方の映画の姿勢の違う内容が、その音楽からも聞いて取れる次第にて候。
音楽として端的ナるは、どちらも黎明的な音楽の模索が見られRVWの映画は題材が独逸の潜水艦の乗組員の、作戦行動中に潜水艦を失い、逃げる数奇な運命を軸に舞台は、ヨーロッパイギリスそして米国大陸カナダとつづくもので、交響曲に見られる、独自の響きやトラッド調旋律はおなじみで、さらに幅広い音楽を筋書きにあわせて書いている次第にて候。
これらのうちで最高なる珍妙はRVWの書いたインディアンの音楽なども短くも聴ける次第。
コルゴルドのほうは海賊冒険物である。
スペイン帝国をあらわす音楽が誰でも思い浮かべる、ビゼーのカルメンからの闘牛士の歌(Chanson du toreador)の節を借用しており非常にベタでもある次第。
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by dr-enkaizan | 2007-06-11 01:46 | 劇伴奏

ヒナステラ:交響的三連画「オランタイ」他

NMLでヒナステラ(アルゼンチン1916-83)の狙い撃ちをすると非常に成果のあることに皆様はお気づきであろうか?
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GINASTERA: Ollantay / Pampeana No. 3 / Jubilum
FECD-0015 ヒナステラ:オランタイ/パンペアーナ第3番(田園交響曲)/ユビルム
 初期のささやかなる集大成で、書法の円熟の兆候が著しい交響的三連画「オランタイ」の初録音に近い初期の録音が収録されおり、このほかにピアノ協奏曲のころの現代音楽の実験的テイストとリズムある野蛮なリフが交差する世界に近親ある「ユルビム」はステレオで収録されており、非常に熱演しだ、前者の第二曲の野蛮な低音弦の刻みに、短三度を核とした、バルトークのようなペンタトニックの土俗的主題がコラージュされる次第に細胞的発展を繰り広げも盛り上がる様を早いテンポで一気に描くのは、ルイヴィル管弦楽団という余り知られないオケの力量をコントロールするジョセ・メスター(Jorge Mester)の楽曲の理解度の深さであり、メキシコやアルゼンチンがヨーロッパから戦災を逃れた音楽家がそこで音楽並びに教育活動を行った(*)故の土壌化ともふと愚考する次第にて候。
(*)「オランタイ」なども、南米の山岳地帯の民俗を題材とした楽曲ながら、初演は独逸からアルゼンチンへ亡命したエーリッヒ・クライバーによりその初演がなされているなども象徴的な一例

またパンペアーナ第3番と言うヴィラロボスならショーロスに相当するヒナステラのライフワーク的パンベアーナ名義の連作の一端も、モノラルながらあり、これも中々優れた表現を提示する次第。
さらにこれと酷似した曲目でブリッジレーベルからも
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BCD9130 ヒナステラ:オランタイ/パンペアーナ第3番(田園交響曲)/エスタンシア
GINASTERA: Ollantay, Op. 17 / Pampeana No. 3, Op. 24 / Dances from the Ballet "Estancia"


がありこちらは代表曲エスタンシアに、たしかマーキュリーレーベルでのイーストマンオケの録音でハンソンの録音である「ファウスト序曲」の新録音が収録されている次第。
当序曲は一音のユニゾンから五度の累積の交差にはじまり、エスタンシアのような六拍子系の行進の主部を持つ機知に富んだ楽曲だが、余り知られていないのが残念な楽曲ゆえ、新録音は大変嬉しいしだいにて候。

さらに
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CHAN9094 グリエール:コロラトゥーラ・ソプラノ協奏曲/ハープ協奏曲(ハルス/マスターズ/ヒコックス)
GLIERE: Coloratura Soprano Concerto / Harp Concerto / GINASTERA: Harp Concerto
があり、当曲はハープという楽器のギターに通じる撥弦律動に着目した土俗性と神秘性を前面意押し出した問題作であり、非常に南米の熱気溢れる曲想にてハープの優雅なイメージを逸脱させるに十分な曲といえる次第。

このほかに
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8.557582 ヒナステラ:バレエ音楽「パナンビ」/「エスタンシア」
GINASTERA: Panambi / Estancia (Complete Ballets)
コニファーソサエティーからの移行販売で当初ヒナラーの間で初のパンビナとエスタンシアの全貌を知る音盤として、その秀逸な女流指揮者の演奏とともに、重宝がられた経緯を持つもの也。

歌と語りを交え途中未知の楽曲を交えたエスタンシアは当時全曲ピアノスコアを見て想像してた円海山にとっても、実際に管弦楽で繰り広げられる豪快な音楽に感嘆し、さらにグーゼンスの組曲でしか聞いていない「パンビナ」のラヴェルとバルトークの影響がさらに全曲にわたっていて、ヒナステラが消化していたことに、感心したしだい。

圧巻は組曲未収録の「ロデオ」の場面で六拍子(修正:五拍子らしく聞こえる)の豪快な音楽続き、ちょうどジェリー・ゴールドスミスの映画音楽に通じるオスティナートとメロディであり、当初ピアノスコアのころから目をつけていた楽曲であるが、このクライマックスは組曲からは想像しない次第にて候。

追記:鎌倉スイス先生の所では鍵盤音楽の音盤が紹介されておりいずれにしても、ピアノ協奏曲のELPやエスタンシア以外のヒナステラも、今後意欲的CDのリリースやNMLを通じて、容易に広く聞かれる可能性がでてきたことを歓迎される次第。

この南米のバルトークの世界を皆様ご拝聴召され。
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by dr-enkaizan | 2007-05-02 01:47 | 解説のない音盤紹介

ウーノ・クラミもいれてフィンランド近代-現代音楽の言及が出来そうな気もするんですが?

 ウーノ・クラミについて、これは嘗てクラッシク招き猫での「印象派」スレッドにての、北欧好きの方々と話題になり非常に楽しい思いをした話題が思い出ともなる次第。
 それは、その出現スレッドの話題に相応しかった、フィンランドでのフランス近代の印象主義と呼称され括られた音楽形態をとった作曲家である。
 さて鎌倉スイス先生の作曲家の耳を持ってしてのNMLを巡っての、フィンランド音楽の現代に至る作曲家をご紹介なさっているが、実のところアホラウタヴァーラときて、円海山的独善では?両者のうち後者が礼賛もするゆえに、芋蔓式にこの御仁と言う図式を期待していたが、フランス近代音楽の影響下としてもれたのかここにきて蔓が切れてしまった(笑)次第、これにはある意味語法的作曲家の耳で聞くとオリジナリティーという点より、フィンランド外の音楽文化の受容の一端としての評価が先行されるゆえの割愛か。・・・・それとも多忙のなせる業かという、通りすがり問答よりたちの悪い、意地悪な問答(笑)はこれまでにしても、書法は後述の理由によりフランス近代音楽でのモーリス・ラヴェルや、同時代パリを生きたイーゴル・ストラヴィンスキーの影響を真っ向から受け、もはやそのフォーマルな要素は別に素材での模倣ネタがわかる位の状態もある初期の楽曲もある次第な作風をもちラウタヴァーラにアホ周辺のフィンランドの折衷的な作風の者達にすくなからん方向性を与えているとも愚考さるる次第にて候。

 1900年フィンランドの海岸沿いののVirolahti生まれ、貧しい家庭から 作曲家になる強い意志をもってヘルシンキ大学を経済上の理由で幾分の休止をあれど学び、1920年代にパリへわたり、当時の中堅になりつつある、幾分後ろ向きになりつつあったフランスの作曲家のフローランシュミッドにモーリス・ラヴェルに学んで、1924年に成果ありとしてヘルシンキに戻り、パリのでの書法で自ら敬愛する祖国の伝承題材の民俗詩である「カレワラ」を先陣のシベリウスらと違う色彩で描くこと試みた、1928年カレワラ狂詩曲を発表、そして再びウィーンに留学(1929迄)などして自らの作曲技法を確立してった次第にて候。

 先に述べたとおり、クラミの作風の要因は、フランスのメソードにつくことなく、関係者に師事したゆえの、それを理想とするラヴェルにストラヴィンスキーそしてファリヤあたりに、近代書法の色彩的使用要領とする、フォーマルな模倣あたりから創作の出発を始めた節があり。

 例えば、かれが敬愛する「海」を題材として、スペインへの憧れまでを想起した、組曲「海の絵」では、そのスペインを想起させる素材として、この作品がかかれる前に著明になったラヴェルの「ボレロ」(一曲目後半および終曲)の断層的コラージュだったり、ホタ舞曲やその和声の変格旋法的な使用が、ファリャの「三角帽子」を思わせる次第であり(二曲目)、その辺では書法的追求と興味が、世評の熟知を上回ったベタな引用だったのかとも邪推されるところもあり、実際ナクソスの当曲のボレロの引用をキワモノ的にあつかった国内コピーが帯で売りに出されていた次第でもある。

 しかしながら二度目の同一題材の使用による「カレワラ組曲」での、フィンランド流の天地創造から伝説がフレスコ画のような色彩的繰り広げられる音楽は紛れもなくフランスの音楽語法をストラヴィンスキーの春の祭典ばりの原始的衝撃までを網羅し、フィンランドのシベリウスの音楽の後の世界として円満につなげたことを確認できる次第であり、決して軽んじはできないフィンランドの近代音楽史の地位を担う人物であるのはいうまでもなしにて候。

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8.553757 クラミ:カレヴァラ組曲/海の絵
KLAMI: Kalevala Suite / Sea Pictures

 1935年には詩篇でそのカトリック信仰的な素養で描き、そして50年代にはィンランドでのアカデミーの代表に先行もされ重鎮ともなり、1957-60年のバレー「回転」未完成で、後輩的なアホが近年補筆完成している次第である。

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BIS-CD-696 クラミ/アホ編:バレエ音楽「回転」/クラミ:ヴァイオリン協奏曲
KLAMI / AHO: Pyorteita / KLAMI: Violin Concerto
さて皆様はどのようにお考えか?あの程度で書籍に出来るという(笑)驚くべき事例が大祝福される事例たる。「知られざる佳曲」よりも深き領域行きそうな北欧の音楽巡礼へのお誘いはこの辺で・・。
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by dr-enkaizan | 2007-04-29 11:23 | 解説のない音盤紹介

戦闘機P-47「サンダーボルト」他マルティヌー音盤2題


多少の休止ごの再開には
一味違うマルティヌーの音盤を
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Martinu: Works Inspired by Jazz and Sport
主に最初の軽妙な「調理場のレビュー」や「ジャズ組曲」そして「六重奏」などの作曲家がジャズに多くの作品の推進を得ようとしていた時期の小編成&室内楽作品と、モダニズムによるメカニカルな表現と瞑想を獲得する当りの管弦楽作品を収録した音盤にて候。

管弦楽は
世界で一番強い者は誰か-1幕のコメディー・バレエ(1922-1923)
からシミーフォックストロッド作曲者台本(東洋のおとぎ話による)

は当時流行していた黒人系のアメリカ音楽のフォックストロッドであり、厚いオケによりながらユーモアがある楽で、トロンボーンのグリッサンドや、不協和音によるトロッドのリズムの刻みなどは、モーリス・ラヴェルの子供と魔法(1922-25頃)の東洋の陶磁器のティーカップやポットがボクシングを始める件での歌「5時のフォックストロッド」に酷似しており、両者に共通した元ネタがあるのか、双方での前後影響は今後の調査対象に価する。
ジャズ(1928):後半にスキャットによる主旋律が歌唱されるユーモア溢れる展開であり、当時のデキシーランドジャスのヨーロッパへの普及され具合が推定できる一曲
ハーフ・タイム(1924)
リズムとメカニカルな抽象的なパリのモダニズム方向へ向かう姿が伺い知れてプロコフィエフがこの場所で機械様式極めた「交響曲第二番」を作り気持ちなったのか、パリの聴衆から受け入れられなったのかは、巷にこれらが溢れていたゆえの二番煎じぶりだったとも想像される次第。

ラ・バガーレ(1926-5)
上記と同様な次第ながらも若干の瞑想的要素の仔細的音形の扱いが、楽曲を支配しだしており後の、交響的幻想(交響曲第六番)の到達が必然とも思われる。
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マルティヌー:交響的幻想曲
最近CD化されたミュンシュ指揮ボストンSOで・・霧の中から立ち上るドボルザークのレクイエムの引用のコラージュが劇的でモダンさを失わない怒涛の表現で聞ける次第。
 そしてさいごの楽曲は
サンダーボルトP-47(1945-49)
あるオケの依頼が契機になり、「速さを讃えて」という意での三部形式の古典的形式のスケルツオであり、その表現は不協和音によるアルペジオのオスティナートに始まるメカニカルで奇抜な主部に、ベルリオーズかメンデルスゾーンのような、軽妙な管の刻みに始まる牧歌的なトリオによる音楽。

その後につけられたタイトルは、第二次大戦に活躍した空中戦や地上攻撃で欧州や太平洋の戦いで活躍した重戦闘機、リパブリック社のP-47「サンダーボルト」である次第。
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 この戦闘機は図太い機体に動力:P&W R-2800( 出力2,430 HP)の強力なターボエンジンを積み1,813 kW の出力で四枚のハミルトンプロペラを起動して、最大速度:697 km/h に達する速度を誇り。
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 武装は両翼に装備された計八丁の12.7mmの機銃による絶大な破壊力をもち、地上攻撃では爆撃やときに噴進弾(ロケット弾)を使い、その任務をこなし敵国ドイツ戦車隊からは「ヤーボ」として恐れられた次第である。
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 斯様な武器としての宿命な「殺人道具」な性能と機能ながらも、同時期の日本旧軍などにありがちな「乗務員にも悲壮な仕様」は皆無であり、のその「機体の頑丈」さと、「コクピットの安全と快適」は大いに信頼されており、アメリカの人命尊重を加味した上での余裕ある物量での設計思想が感じられる。

 また後期にはパイロットの視界改善要請に答えて水滴キャノピーになったのもあアメリカならではの合理思想の表われでもありなん(*)。

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(*)日本では陸軍参式戦闘機や五式戦闘機などが同様の仕様変更をしているが稀少な例である。

この戦闘機をタイトルに使用したのは経緯詳細が不明な点もまだ多いながらも、「速さを讃える」に加え、祖国を蹂躙し自らを追いやったナチスの機動戦力へ対抗した点と、ヨーロッパ各国へのの義勇軍へこの戦闘機が供与された事実関係を踏まえると、上記感情での共感もありうるのでは思え次第だが・・詳細がわかる方のコメントを希望するあたりで・・・。
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by dr-enkaizan | 2007-01-20 22:55 | 解説のない音盤紹介