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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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タグ:譜面問題 ( 23 ) タグの人気記事

引き続き少女椿はペトルーシュカの夢を見るのか Aパート(3)

さて三回目ついてける人だけ見てください・・あくまでもこの台詞は康代さんのキャラもはいってますので、素では捕らえるのは止めてください。wwなお多少未校正ですので記述の妙なところは、いろいろ気がつき次第差し替えます。六ページあります
追記 多少、写植で行ごと落ちていたところを、肯定し校訂。orz

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by dr-enkaizan | 2009-04-12 10:23 | 康代さん

少女椿はペトルーシュカの夢をみるか?-1- Aパート(β版)

 さて色々飽きる中断おおい、康代さんシリース。懲りずに、相変わらずネーム写植に毛を生やした落書きでもう一ネタ(苦笑)
 おそらく一番古いであろう、着想ネタであるペトルーシュカ版問題の件。
さて構想はおそらく三年はかかっているが、なんとも酷いまとめ、そろそろ形にしてみようかと着手中。
最初のプロローグ3ページあたりをお試しに。これから始まるのでたいした内容でないことご了承。
追記、まとまりを考え追加して4ページにした。
さて準備に1911年版はブーレーズの旧音盤で
1947版はレヴァインとかを用意してくれると作中に使う予定なので・・・・。

私信おかさん片菜さん借りました・・・・ww。

なお今回のタイトルの由来は?個人的にはブレーズの聡明で迫力あるもの、自作自演での克明さやレヴァインのようなキャッチーでカラフルな演奏を校訂しつつ、アンビヴァレントにペトルーシュカの哀愁が、丸尾末広の劇画・・・少女椿しているような、フリークな見世物小屋するような演奏をも望んでいる・・・・・その点では、抵抗はあるがクレンペラーの演奏あたりがそれに抵触していると思う次第にて候。
さて皆さんは?版云々はここではおいて置いて、どうでせう。

見てみる
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by dr-enkaizan | 2009-03-30 00:20 | 康代さん

新年早々脱力ネタ

年末のレコ芸に読者投稿欄にて、マーラー交響曲第一番の第三楽章のネタで、ネット初心者と思しき団塊世代がさも得意げに、出典元ウィキとする薀蓄を開陳して、それをそのまま掲載しておる状況で、ウィキの問題を当編集が問題視していないことが明らかになって呆れたのは、件の元官僚襲撃テロの予告騒ぎの次でありなん。
 ウィキの時系列や情報の出典そして専業の執筆者や責任が自己にあるために、個人の研究や思いつきに思い違いまでらしく見えてしまうことに、再度警鐘を鳴らしておきたい。

鎌倉スイス先生も激怒した未出典アンセルメのユダヤ排除説や、世相問題視された大学のレポートにウィキ掲載の俗説にて展開するもの、(源義経や天草四郎等)も個人的には記憶に新しい。

 得られる当情報、ネット間でのやり取り、ブログなどの仔細説明に内容を吟味という条件つきで、 ソース・ロンダリング された 文字媒体 でのデーター素材に適しているのだが、ロンダリングゆえに、公の報道や、出版そして学術に、これは使用できないことを認識できないような、スィーツ脳が蔓延しているのは?どうやら確か似て御ござ候。
 そして今回はプロコフィエフ交響曲第四番
以下引用2008年の12/5時点の
傑作である《交響曲 第5番》の後に改作されたため、改訂版がより練れた交響曲様式をとっていると評する向きもある一方で、初版の新鮮で軽やかな魅力を惜しむ意見も見られる。ジャン・マルティノンによる交響曲全集が新旧の両方を録音してから、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチやネーメ・ヤルヴィ、ヴァレリー・ゲルギエフらの指揮者もこれに追随するようになり、両方の版の比較が可能になった。

引用終わり
最大の間違いはマルティノンの扱いであり。
 マルティノンjは70年代リリースのVOXの全集で初版のみ録音しており作品番号112の改訂版は録音していない。
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その全集は2009現在入手は困難だがナクソス(NML)で聞ける。
また名演奏の六番や二番そして道化師を含む第二集も現在聞ける次第で

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 以上がマルティノンのVOXに録音した全集の全貌だが、無論、円海山所有のリアル音盤と同一内容であり、掲示板などの会話内容から判断されるであろう、CDになり存在が明らかになった?、道化師組曲の音源の他は、オミッドされていたと言う可能性もなく、かつての国外VOX箱物LP×2セットとも変わらない。*おそらくコロンビア国内販売もそれに準ずるはずである。
そして当然四番は改訂前の Op. 47しかない。

 さらに、本来ここでの両版を最初録音したのはジャンドスのネーメ・ヤルヴィであり、他の2者が追従したとは思えず、発言出典が無い限り個人の憶測の域を出ておらず、両者は同素材による別作品の魅力を感じていたとしか考察できないのは確かである。

Prokofiev: Symphony No. 1 'Classical'; Symphony No. 4

Chandos


改訂版

Prokofiev: Symphony No. 3; Symphony No. 4 (original 1930 version)

Sergey Prokofiev Neeme Järvi Scottish National OrchestraChandos


原典版
これもナクソスで聞ける。
 また楽曲解説にCDやレコードの媒体や演奏家情報が、楽曲の事実解明に感慨として存在しており、本質になんら寄与するところでないことに、この執筆者、弁え無きぶりを察する次第にて候。

 ともかくあのところの情報は一旦考慮の段階を経て引用はデフォであるのは確かにて候。
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by dr-enkaizan | 2009-01-03 11:11 | プロコフィエフ@交響曲

フローラン・シュミットのバレエ「小さな眠りの精(小さな妖精は目を閉じる) Petit elfe Ferme l'Oeil 」

おそらくおおよそ誰も食いつかない、フランス近代音楽の真髄ネタをここに始めてみる次第にて候。
 それはフローラン・シュミットのバレエ「小さな眠りの精(小さな妖精は目を閉じる) Petit elfe Ferme l'Oeil 」にて候。
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当曲で今
私たちは20世紀に生まれたのs_numabe氏の記事が熱くそれを語っており、
承前1長年譜面でしか知れない謎の曲の仔細が解りつつあり、コメントで円海山も大いに盛り上がりさせてもらい、さらに最初に言及しているバレエ「小さな眠りの精(小さな妖精は目を閉じる) Petit elfe Ferme l'Oeil 」をアンドレ・エレが絵本にしたもの(垂涎物)について、少々仔細を述べておられ
承前2

承前3
それに大いに刺激させられ思わす今回の譜面からの言及を連作で試みる次第にて候。

作曲家のシュミッドはWIK引用にて言うとフローラン(フロラン)・シュミット(Florent Schmitt, 1870年9月28日、ロレーヌ・ムルト=エ=モゼル県ブラモン(Blamont) - 1958年8月17日、ヌイイ=シュル=セーヌ)はフランスの作曲家。
という扱いであり1889年にパリ音楽院に入学、マスネやフォーレに学んでおり、同時期に学んていたラヴェルの兄弟子に当たり、ラヴェルとは深い親交関係を持ち、ラヴェルに指揮者のアンゲルブレシュトや音楽評論家M.D.カルヴォコレシ、ピアニストリカルド・ビニェスらと芸術サークルアパッシュを結成して、最新の音楽について様々な草の根活動をしたとさるる。
 それは時に激しく、最右翼のシュミッドは、ラヴェルのスペイン狂詩曲の初演時に、アンコールとしてマラゲーニャが演奏された直後に、好意的でない平土間のアカデミズム層をやじり「何度でも演奏してやれ平土間連中がわかるまで」と野次を飛ばした次第にて候。
 また師匠の一人ビュッセルの証言がその著書に記載されており、ローマ大賞受賞後の作品詩篇47の初演の、その音楽の爆裂ゆえにひるむ打楽器奏者を首にして、代わりの演奏者を探す混乱した様子などが記載されており興味深い。

 また日本で同じビュツセル門下だった池内 友次郎(1906年- 1991年)氏の回想とされる話に、当時国家留学生でそれなりの住居に住んでいたゆえに、そこの風呂目当て、放蕩か?貧乏学生で?自宅の風呂が入れない事情になったシュミットが訪れて、風呂を借りていったという、伝説が伝えられている次第にて候。
 そんな彼はその後、詩篇47から飛躍しサロメの悲劇そして戦後パリの音楽の重鎮へ駆け上るのだが・・・そんな円熟期に書かれたのがピアノ連弾曲「小さな眠りの精の一週間」1912作である次第。
曲はデンマークの世界的著明な童話作家アンデルセンの童話「眠りの精のオーレ」を題材にした、そのオーレの物語で少年のヤルマーに眠りのせいオーレが語る一週間の眠りに付くお話をモティーフにしている、その辺は上記承前を参照して欲しいが、ここに引用すると、

1. 二十日鼠の婚礼……原作では「木曜日」
2. 草臥れたコウノトリ…… 「水曜日」
3. 眠りの精の馬……「日曜日」
4. お人形ベルタの結婚……「金曜日」
5. 石板の文字のロンド……「月曜日」
6. 絵のなかへの散歩……「火曜日」
7. 中国の雨傘……「土曜日」

というものであり原作の曜日を変え最後の中国の笠は原作に手を加えた筋書きになっておりこれも承前先を参照して欲しい次第にて候。

その後1924年に前奏曲と幾分の間奏音楽(恐らく*)を付け加えバレエ音楽に改変され(『小さな眠りの精 Le Petit Elfe Ferme-l'Oeil』作品73、1923)となり新たな作品として生まれ変わり、そして翌24年パリのオペラ=コミック座で初演される。

このあたりを譜面は如実に示しており、前書きに、一覧があり
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その配役キャストが掲示されている次第
その拡大は以下のとおり
タイトル
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中の左
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中の右
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そして下の演奏者・・
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なんとアルベール・ヴォルフであり・・・今となってはラヴェルの演奏もクリュイタンスあたりに淘汰され、デッカのシャンタパルティエあたりの管弦楽が廉価で発売され名を留めるほど認識が軽くなっているのがなんともな・・・?次第。

 そして曲はおそらくトレモロを交えた、同作曲家のアントニオとクレオパトラの前奏曲や夢想を彷彿させ、映像第二集や前奏曲集のドビュッシーを彷彿させる前奏曲ではじまる。
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 そしてアルカイックな三拍子の舞曲で二十日鼠の婚礼が始まる
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そして曲がおわると間奏が追加されており?
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次へ進みどう各曲曲想の違うような導入や回想がなされており、バレーとして情景音楽を添付している考えられるのだが、その辺が原曲の解説には不足しているか、原曲も接続音楽があるのが、原曲譜面を所有していない円海山には如何しがたいorz・・・
 さて中国の笠にて最初の部分すこしのところで
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歌詞のある譜面が出現し、これはバレーでは歌が付いたことを示唆するのでと思われる。
まあリクエストあれば続行するが、この辺で一端終わり。

 真の知られざるとは音に記録されていない譜面も含めるとまだまだあることをしるべしか?
この路は茨なりや。うーんorz・・・・・。
追伸コメントでは二台ピアノと言ってましたがピアノ独奏譜面でしたこと此処にお詫び申し上げます。
追記’前奏曲を嘗てのデーターを補完してmidiにする、
これ
前奏曲
しかし、この譜面事態バレー用の簡易編曲の譜面であり比較的未校訂と思しき故か、臨時記号の整合性が多少怪しいのと、久々の読譜が災いし1:20以後の半音階部分に舞曲や中華音楽風のフレーズが混ざるところがまだ検討の余地あり(*)、あえて恥を偲んで、この曲への注目を喚起したく、ここに現段階の状態を提示する。



最初はドビュッシーのビリティスの歌や六つのエピグラフに出てくる同音トレモロ音形に始まり、同じく前奏曲集の枯葉や花火を彷彿させるフレーズが現れ、この先の物語を示唆するようなライトモティーフが、シュミッド独自の半音階的までに、拡大された旋法的和声法のけだるい中に、舞曲やお囃子のような旋律が混じる、ある意味この箇所は、後輩ラヴェルのこれに先駆けること十数年の作品、マメールロワのバレー版の前奏曲と言う先駆例に類似しており、依頼主の要求従い踏襲したかが想定できる、しかし手法はシュミッドのラヴェルへの密やかな対抗心をうかがわせる。

 そして冒頭のフレーズが盛り上がり、次第に熱を帯びてゆくが、此処は作曲者の詩篇47を彷彿させる箇所などがありこれも興味深い、そして一瞬軽妙で神秘的な音楽に導入されるが突然ポリトナールの不協和音のトリルの咆哮で中断、そしてドビュツシーの牧神午後冒頭に出てきたホルンの動機と酷似したフレーズが朗々した雰囲気を形成しする、おそらく題材の「ヤルマールの夢」と牧神の夢想への導入を捩った意図が強いのではと考察される、自身の作品の類例として、混沌に浮き出るあたりは 夢想 、そして禁欲的ながらエキセントリックな雰囲気は アントニーとクレオパトラでの前奏曲 、そして倒錯した盛り上がりなどは ディオニソスの祭り あたりの関連を示唆したい、そして短調の和音により、次の二十日鼠の婚礼になるが、それはまたいずれ。

*明らかに臨時記号のシャープ・フラッドの解除関係が怪しいようであり、
フレーズの前後の関係から推測すると和声的不整合になり、さらに色々怪しい、件の箇所も果たして中国の笠あたりを意識した中華風なのか?、単なる誤読の結果なのか?どちらか判別しかねる、恐らく管弦楽の譜面もしくはパーティセルに近い段階作者自身もしくはそれに近い立場の正規版としては初版譜面であり、なにか管弦楽スコアあたりは承前での前提が?当譜面の演奏には付きまとうのではと思われます。(教えてエロい人(笑))

尚一部譜面の解像度がソフトで対応できない箇所が生じ、適当にピアノビューででっち上げたグリッサンドや、メロディーラインが単音では弱い箇所は、オクターヴ補強ししたり、トリルの和声箇所は、むしろ管弦楽法でのやり方を踏襲して想定で変更しております

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by dr-enkaizan | 2008-04-30 23:50 | クラシック

ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」原典版

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ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」/歌劇「ペドロの親方と人形芝居」
FALLA: Amor Brujo (El) / El Retablo de Maese Pedro


リアル音盤は
De Falla: El Amor Brujo; El Retable de Maese Pedro
さて今年2007の「熱狂の日」でも演目に上がりっている当曲・・・
スペインのマラガ文明の端たる楽曲でもあり、ファリャの切り詰めた近代管弦楽法の見本たる傑作。

 その物語は若いジプシーの未亡人カンデラスが、亡き夫の幽霊に付きまとわれ困惑しているが呪術師の助言で女たらしだった亡き夫の幽霊に別の女をあてがって囮にし、そのすきに新しい恋をみのらせ、夫の霊は成仏させるという内容であり。
 音楽は、スペインの民俗的語法をフランス近代音楽の延長上として捕らえ、所にオカルトめいた情景で幽霊や鬼火、にジプシーの住む洞窟や歌や踊がちりばめられ、見事なスペイン土俗を舞台上で昇華したかのような印象を持つ。

 今回の音盤はファリャが、ジプシーバレーの依頼で作曲し、1915初演(不評だった)から、その管弦楽拡大と構成を変更削除した現行(1925)ではない、その初演の譜面を使用しており、管弦楽は小さく、構成は現行の単幕から二幕になり、火祭りの踊などや恐怖の踊の位置が違い、女声独唱のほか曲の合間に語りがつく箇所などあり、削除された曲も含めたきわめて新鮮な手触り満ちており、ゆえに打楽器は減り、オケのショッキングな表現は後退するも、ピアノや管楽器の弦楽の活躍でその歌が浮き彫りにされ、そのジプシーの寓話の譚たる印象をさら強まるのが好感触であり、その後年の改定などから、作曲家の手腕の観点なども考察できる次第にて候。

 演奏はオールイタリアだが、そのラテン気質は幾分スペインのそれより穏やながらも、曖昧ささない心地よさで音楽を披露している次第。


さてこれも皆様ご拝聴推奨。


なお現行ではじつは・・フリンツ・ライナーのシカゴ交響楽団が「鉄板」だとおもってたりするので・・・このさい推奨。
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ファリャ:恋は魔術師~スペイン管弦楽集
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by dr-enkaizan | 2007-06-02 19:46 | 解説のない音盤紹介

チャイコフスキー:ロメオとジュリエット(1869年版)

さてオーソドックスと思われがちなだか、近年の研究でその創作プロセスに並々にならぬ労力を費やしていたことが解る作曲家と注目もされているチャイコフスキーについての音盤を。
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CHAN10041 チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872年初稿版)/ロメオとジュリエット(1869年版)
最初期のジャンドスを飾るアーティスト ジェイフリー・サイモンの活躍は、おもに、既存の作曲家の影にかくれた曲に、周辺の珍しい反応など網羅するものが多く、それらはレスピーギ二枚に、フランス近代の競合舞台音楽作品集などが、残されており、のちに、自主レーベルに独立して、ドビュッシーやラヴェルの表曲+他作曲家の編曲集やストコフスキーのアーカイヴにレスピーギの続編そして珍しい器楽編成などの音盤を輩出しているしだい。
なお当音盤はもう一枚のCDと共にLP時代二枚組で出され、レコ芸の海外版視聴記にも紹介されている。

 ここでの注目は当作曲家の各種稀なる作品と初期原稿での演奏が主であり、とりわけ興味深い状態での、幻想序曲ロメオとジュリエット(1869年版) が収められている次第である。

 現行版との違いは耳でも明らかであり、悲劇を暗示するコラールがなくこれは冒頭から展開部など全体を通じて存在なく後半では致命的な充実の不足となって表われており、その代わりに冒頭がバレー音楽の一場面のような、サロンのような緩い舞踏会風の舞曲になっており、おそらく物語の筋をおった構成になっている次第である、この主題は中盤の展開部に変容され推移の区切りの素材に使用されているが、余りに唐突な感慨をもたされる。

 そして金管の変格的な終止が特徴的な短いコラールと弦楽のフレーズの交代など推移かなされティンパニーのトレモロの起伏の後。静かに二人の愛の主題が先行して提示され低音に半終止され、やっと主部のアレグロで通常に戻り進んだと思うと、愛の主題の推移部分が途中ハープのアルペジオのみの集中を欠いた部分があり、そしてアレグロの主部の推移の両家の対立を描くような、対位法的な遁走的展開がなされるところが多少入り組んでおり、技巧的課題の回答めいていおり、非常に現行のスパルタンな様相から比べると興をそがれる思いにかられる。

 さらに愛の主題での主部との交差は現行とかなり異なっており、その素材の断続的対比にためらいが見られ明らかに集中力を欠く、そして後半に至っては突然四度上下するテンパニーの導入という後のマーラーの巨人の葬送行進曲の先駆けのような音楽に導かれ、やがてハープのアルペジオに導かれた和音強奏のゴーダであっけなく終わる。

 まあ・・・・感慨はロシア五人組の誰かの作品といってもおかしくない構成の緩さでもあり、音楽ファンにとってはある種の刺激あるネタになりうる新鮮さでもある次第にて候。

 先日鎌倉スイス先生の所コメント楽しく炎上していた、チャイコフスキーの他人補筆の問題にも関連する問題に共通する事項として、冒頭のコラールの有無や、推移素材吟味削除そして、フレーズの曲想の統一とおそらくチャイコフスキーは「最初の掴み」と全体統一を、消去的な観点に立ち返り、改訂をする傾向のでは思われる次第であり、そのほどは皆様これをご拝聴して何が現行に残り、残らなかったを個人の好みという逃げ道を作らすに真っ当な判断を下す事を切に願ってこの項終了セリ。
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by dr-enkaizan | 2007-05-20 11:55 | 解説のない音盤紹介

なんだって!!ラヴェルはドビュツシーのノクチュルヌを一度は全曲編曲していた?

鎌倉スイス先生の情報にて叱咤もとい知ったサイト(この記事を承前のこと)での
ドビュッシーのページでのノクチュルヌの版を調べるとなんと、ラヴェルの二台ピアノ版そこに奇妙な記述があり、本来現行では第三曲の海の精は割愛されており、それをもどかしく思ったゾルテンコチシュが編曲したものが出版されちるが、ここではラヴェル編曲とされている。

 一瞬苦笑 まあそんなもんだと思い、中身をみると純粋なParis: E. Fromont, 1909, plate E. 3005 F. でありラヴェルの編曲の表記がある次第。
もしかすると初版編曲譜面にはあって重版時に割愛したということか・・・・・・ 謎が深まる。

かりに捏造としても出版譜面を通し番号にして表記をコラする騙し甲斐はない・・・・・・・・

これはしかし秀逸な編曲であり・・・・さて真意はいかに?
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by dr-enkaizan | 2007-05-04 16:20 | クラシック

続一人レスピーギの和声に対する雑感

さててつわんこさんが、持てる語学と海外文化の知識にてドビュッシーの前奏曲集第一巻を、ブログにてトピックしてゆく件誠に興味深い次第でにて候。


ドビュッシー:前奏曲集第1集から第1曲「デルフィの舞姫」"Danseuses de Delphes"

ドビュッシー:前奏曲集第1集から第2曲「帆」" Voiles "

ドビュッシー:前奏曲集第1集から第3曲「野を渡る風」 "Le vent dans la plaine"を文学的に聴いてみる

 さて最近思うレスピーギのローマの松でのジャニコロの松での和声にて、その前奏曲集の第八曲の亜麻色の髪の乙女との類似も感じられ、当曲のドビュッシーイズムのレスピーギの傾倒および語法の吸収具合がわかる面白い瞬間であるゆえに、再度継続雑感を述べてみたい次第にて候。

 前回レスピーギの四度累積の和音組織を、巧みな扱いにて使用にいたらしめる点、言及したとうりだが。

そのあとの数回繰り返されるクラリネットのメロディーとの関係が非常に、興味深い事をおこなっている。
レスピーギのジャニコロの当該部分はピアノのカデンツアのアルペジオに続いて、継続する前述の和音の上をクラリネットがペンタトニック的要素のある牧歌的なメロディー朗々と演される次第。小澤盤冒頭から00:30
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 このとき、このクラリネットのメロディーは数回類似の形で、そして幾つかの器楽によって引き継がれ反復され、それらに答えるエピソードが挟まれ、中間で別の歌唱が始まるまでそれはつづく、そして展開され再び、クラリネットで再現され、有名なレコードプレーヤーの鳥の声件を経て、ハープのハーモニクスにて回想されて、弦楽の終止にいたる。

 上記殴り書きの譜面は、今回話題にしたい、その最初の部分の件のパーティセルに起こしてみた、妄想スケッチである、
ここで一度目のクラリネットの背景はメロディーからも、ここ記されている#五つの調号から解るようにロ長調の主和音(トニック:T)B69の和音にてなされており、前回のトピックに言及あるユニークでかつ広がりあるこの曲の特徴を決定付けるものである。

 そして舞台照明交代のようにその弦楽がミクソルディア的な節でオルガヌムの拡大解釈の背景和音の並行進行で、レスポンスのような歌が出現して、最後の部分の節の音により導きられた緊張ある和音C#m69からこの調性の下属和音(五度下サブトミナント)のE69へ一端落ち着く。小澤盤0:51-0:57
 さらにそして、注目すべきはこの上に最初に主和音上で歌われた節がそのまま最初の楽句にてはいり、次の音程跳躍で二音だけ構成音を変えてカンタービレになり、再び節を戻してゆく箇所があり、そのあたとは弦楽が揺れ動いて、さらに背景照明が変化するような感慨の上に三度目のメロディーが歌われていゆき先へ続くといったものであるが。小澤盤00:59

ここでの、二度目のメロディーの前後の拡大したオルガヌムとサブトミナント上での固定フレーズのメロディの扱いは、ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女の後半の、オルガヌム調の和声での主旋律の変奏のあとのサブトミナトの擬終止的な引き伸ばしの上に、高音で主旋律が回帰するところと非常に道具立てが酷似している点にある。

 その後のジャニコロでは対比音や二度を含む未解決な属和音の並行進行など、一般的なドビュッシーの和声語法のオンパレードなところもあるが、当該箇所でのオルガヌムと解決、メロディーの和音での乖離での、フォーマルな借用は、レスピーギのドビュッシー語法の慎重な研究を匂わせる次第にて候。

それは丁度鎌倉スイス先生のおこなったこれのようなものと推定される。
亜麻色の髪の乙女の主観的分析

 無論下属和音に合わせた二音の変化などそれらを匂わせないような配慮もあり、当作品が、レスピーギの印象主義とフランスで呼称された音楽の研究成果であったことをひたすら感じる次第にて候。

さて亜麻色の髪の乙女を聞きジャニコロの松思うのか、あるいはその逆か。
二つをご拝聴推奨。

 作りを時にいつくしむ時、レスピーギの仕事は下らないとはいえないのだが、・・・・世間のクラジャーナリズムにては見下し膨大な難解な未見なる情報を提示して、カルト的観点をありがたがる風潮は、余りに虚しく、短くも感覚に訴える仕組みに愚鈍なりや。
と言ってもこの妄想もカルトかもしれないが・・決して誇張ではなく、ご拝見の皆様の手元にあるものの「形」で御座候。

ここらあるなら時間をもって音楽ゆえあっての音体感すべし。
さて次回イタリアの近代音楽とファシズムの続きにからめて・・・。



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by dr-enkaizan | 2007-03-20 00:50 | クラシック

一人レスピーギの和声に対する雑感

さて今後の「康代さんのサティーねたその2」で言及したい「星の息子」の和音に似ていて、対称的な用例の四度累積構成の和音の話を作るべくレスピーギの「ローマの松」のスコアでのジャニコロの松の冒頭のから殴り書きでメモしてみたが、その四度累積和声を音色と機能和声の両方を巧みに摩り替えて使用している様に、改めて惚れ込む次第にて候。
OGTー184 レスピーギ 交響詩 ローマの松
当方所有はリコルディーだかいい時代になり申した国内スコアがあるとは・・・・うーん

ここでのレスピーギの和音の基本概念は主音H(ロ音)に対する四度下降五層の累積.もしくは、五度の上方五層の累積の構成音から低音部に三和音が自然な状態響くように配置したものであり、その透明で深い響きが特徴的ある。これらの分類は和声的にはSUS表記以外での表記であるなら、構成音からドミソの和音に6度のラと9度のレが加わったシックスナインズコード(アルファベットに69が付く)とされるにて候。
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さて「69」に反応する中年的セクハラな(笑)破廉恥は誰かは置いておいて。

 曲は、前の曲のカタコンベの松のホ短調から半音的楽句で転調を唐突にしてゆく終止部の陰鬱な低音D#を引っ張っているうちに、その上に、この曲の調性の主音H(ロ音)に対する四度下降五層の累積もしくは、五度の上方五層の累積の構成音のペンタトニック的なロ長調上でのピアノの黒鍵が主体のアルペジオではじまるが。
 和音は、その余韻をなぞるように、ロ長調主和音に六度と九度の追加された和音をD#低音から積層させて、次のクラリネットの郷愁溢れる癒しある旋律の背景の透明な和音を準備しており、ここでは主和音のミが最低音で鳴らされるゆえに何処となく浮遊した感覚を催す、そしてそのメロディーが一段落すると応答のようにメロディーが伴奏パートが広がりと透明さを維持しながら、その和音構成一部上下関係が変わり、前述の低音に三和音が開放形でよく響く形に変え、この調はミクソルディア旋法の律を示唆するAから並行進行で表われる。
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すいません酷い殴り書きですが・・・ピアノとアルペジオはめんどくさいので省略(笑)
ジャニコロ松の冒頭を聞けばわかります。

 そしてその応答の最後の音(和音)メロディー並行進行の結果発生したC#m69を解決(構成音A#-Hへ)して次の和声のE69の和音伴奏(これもEの四度もしくは五度の累積和音)へ橋渡するプロセスはまるで舞台上での応したプリマと群集の巧みな交代もしくは、舞台照明の巧みな交代を思わせる次第でありなん。
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 通常三和音に追加された6度と9度を持つ和音は密集型として、並行進行され近代の音楽や印象派と呼称された音楽には、ドビュツシーのサラバンドなど秀逸な代表として使用される用例が多く、さらにカデンツ的な機能的挙動をつけ加えて使用したラヴェルの存在は考慮されるが、これとは違うオルガヌムの概念の拡大から生じたであろう五度上向もしくは四度下降の累積和音に結び付けて、さらにその概念を広い音程での音色と機能の狭間で使用するレスピーギのこの透明なる広がりある和音の創意(*)はもっと評価されるべきなどかとも思う日々にて候。

(*)偶発にてはデュカスのラ・ペリのファンファーレなどが類似の結果を生み出している。

演奏は同様の和声語法があるベルファゴール序曲があるランベルト・ガルデルリのロンドン交響楽団
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Ottorino Respighi: Orchestral Works
が広がり十分で大スキなのだが、さらに愚鈍凶暴なスヴェトラノフでもここだけは粘る弦楽に走り気味のクラリネットがたどたどしくて可愛い(笑)・・・まあ現行では入手しやすく安心(祭りは除く)な小澤ボストンSOで
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レスピーギ:ローマ三部作


実際これを影で注目していたのは、カルミナブラーナでのカールオルフでも、スエーデンのギョスタ・ニーストレムでもあるのだか・・これは諸氏へ謎を委ねてこの辺で。
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by dr-enkaizan | 2007-03-06 00:30 | クラシック

猫話・・・・つーち氏のハルサイ話1

なつかしの招き猫名物になっていたつーち氏の春の祭典話
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各演奏の細部が異なる1913年の原典の謎。
マイナーな1943年-5の改訂版で熱く語れ、さらに1967-8と微細な相違を検証するごとに判明して集まる情報というフェイズを繰り返して、スレッドの発生ごとに盛り上がるよき思い出。
そんな話題の切っ掛けがモントゥーのサンフランシスコとボストン交響楽団の音盤での、最終部分での打楽器の有無での、情報のやり取りから盛り上がる。

つーち氏は何処へ・・・・。降臨キボンヌ
ストラヴィンスキー:春の祭典
モントゥー(ピエール) / / BMG JAPAN
ISBN : B0002YD7EU





Stravinsky: Le sacre du printemps; Pétrouchka
/ RCA Red Seal
ISBN : B0002VYDXW
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by dr-enkaizan | 2007-02-19 23:53 | クラシック