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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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タグ:伊福部 昭 ( 11 ) タグの人気記事

伊福部昭作曲、交響譚詩

 伊福部昭氏作曲 交響譚詩が、遠からん意味での示唆において、戦争の犠牲者由来の音楽であることは、その曲の2楽章の土俗の勢いを失い深い感情的側面へ向かう、構成が、おりしも南方進出(事実上は、物資拠点と航路確保のための他国武力による領地略取)に陰りが見え、戦意高揚がさらに望まれていた時勢との、その違和感に気づかない限り悟ることが出来ないことは、多くの好事の方々には周知の通りになるや。
 曲の馴れ初めは、戦時下の1943年の夏に書かれる、そのスコアには蛍光質(*1)により倒れなくなった、氏の兄君の勲氏を偲んでのものであり、それをヴィクター管弦楽コンクールにの送り、入賞し、国策により愛国的楽曲として、類似の経緯をもつ渡辺浦人の交響組曲「野人」(1941作 なお両曲の初演。録音はともに山田和男(後の一雄)によりなされている。)
等と共にいち早く録音もされディスクが出回り、著明な日本の管絃楽曲(*2)として知られるようになった次第にて候。

(*1)実際にソースが不確なるゆえに、多少正規のトピックで書くのはためらわれるが、日本の「蛍光質」の研究には多様な用途があり?

 一部で、知られる光弾性を利用しての材質本体の変形挙動認識の為の、竹・木質材料の造影に、鉱石の偏光、さらに塗料などの用途があり、一部の放射性をもつものもあり体に有害である、なお諸説ある伝聞ゆえの情報ゆえにさらなる仔細は不明であり、一部は後述の話とごったに伝えられている模様で注意が必要。 

 そして作曲者本人の伊福部氏も北大で木質材料 の振動(建材および航空機がらみか?)の測定の放射能体に変調をきたしており、北大にて林学を志し、そして林務官になった氏が、趣味の作曲へ職務を転向する契機になった。 


 なお氏の振動研究の片鱗は、音楽においても氏の管弦楽法の教科書に楽器の波形の倍音的な特性を言及ある記述や、当曲を含めす氏楽曲の器楽法に弦楽器の特殊奏法多様、はたまた、一躍有名された特撮映画「ゴジラ」での、チェロの音を歪ませた音で「怪獣の咆哮」の音響効果への監修等に伺える次第。 当時の情勢と照らし合わせると明らかに戦時の物資不足の打開を目論む由来での、新材料の開発に軍部からの発破がかけられてた事情が伺える次第。
(*2)戦後に渡辺は芥川氏の同曲の演奏会のプログラムに、野人の作曲の根底の由来が、表向きの表題を実は無縁であったかのような随筆を書かれており、フォンテックのライヴ盤で拝読できるが、本人は何ら意識していない文章ながら、芸術文化の戦中の祭り上げられたかを推し量ることが出来て面白い

 曲は、本人がスコア上で明言する悪化する戦局での管弦楽の人員の確保の困難を受けて2管編成(一部持ち替え)の小編成で作られており、戦局の悪化によると理由はあるが、巨大編成の日本狂詩曲の次の、近作の土俗的三連画の室内管弦楽編成の成果を踏まえた例もあり、これは前作ピアノと管弦楽協奏風交響曲の肥大、複雑化した編成と構成の不評を受たことと関連も一因があるのではと邪推もされルル次第にて候。

構成は第一と第二の譚詩からなっており
第一はアレグロ・カプリチィオーソとなっており、最初に桶の一撃のあとすぐに提示される主要主題は四拍子に三拍子と二拍子交差複合するリズムで、楽章中何度か表われ、曲の構成の主幹をつかさどる。それは常にリトミックで土俗的な性格をもっているが楽章ごとに微妙なアクセントのズレと管弦楽の違いを与えられており、氏の主題展開がストラヴィンスキーや師匠ティレプニンのような小節単位での細胞的な動機のプログラッシヴにあることが伺える、それらの主要なと主題の間に叙情的だったり、非常に野蛮な副次主題の推移が挟まれる構成概要をもつ、そして韻律においても、日本古謡の音階を教会旋法的な拡張を目指す傾向が現れ、時にプロコフィエフの使用するような白鍵盤での全音階的な主題などの主題も使われ、さらに七や九度の和声解釈での三度累積のハーモニーの幅のあるヴォイジングなどが顕著になり、前作で萌芽を形成した後年の音楽スタイルが昇華し、確立したことが解る。
 第二は、アンダンテ・ラプソディコであり二回の序壊急の構成を持つ楽章であり、前の楽章より内省的な音楽である、そのプロセスは冒頭の多オーボエの憂いあるソロから、弦楽の日本情緒ある歌が流れ、管弦楽で盛り上がり、最後の幾分リトミカルなオケの土俗的盛り上がりでオケが雄たけびを上げるというものであり、二回幾分の相違を経て繰り返され、最後にトランペットに導かれた冒頭のソロ回想にて深遠の沈黙を獲て終わる次第にて候。

 それらの管弦楽は前述の通り弦楽器の特殊奏法としてはハーモニクスや開放弦、バルトーク・ピチカート(駒板に弦を当てるように弾く)、引弓による重音など多用、そして打楽器ではティンパニーのバチの種類や方法そして、叩く場所の些細な文字指定があり、そのほか目立たないが常に多くの器楽が何らかの補強するような挙動を示し、小編成の管弦楽から多彩な音色と、音量を多く獲ようとした作曲家の配慮が伺える次第にて候。

これはストラヴィンスキーの火の鳥の1910年とその後の組曲1919-1945改訂や、ペトルーシュカの1911と1947の改訂を彷彿させるものであり、その和声や構成の簡素な整合性追従は師匠チェレプニン(*)の指導の賜物であることは想像に難くない。

(*)なおチェレプニンはモスクワ時代に生徒の一人であったプロコフィエフにおいても亡命直前にハイドンのフォルムでピアノを一切使わないオーソドックス発想で曲を作れないのかと挑発的ともとれる提言をしており、プロコフィエフが古典交響曲を書く経緯になったと伝えられる、恐らく彼がいち早く、春の祭典の外見で誤解されがちな、ストラヴィンスキーの音楽の緻密な書法主義の側面を見抜いていたところがあり、それらを安易に模倣肥大化した音楽を嗜好する弟子に、傾向、流布徹底させていたことも窺い知れる。
演奏としては1984年に外山雄三がNHK交響楽団とおこなった日本の管弦楽作品集での収録が非常に均衡のある演奏を行っており、

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録音の安定もあり、円海山的にはファーストチョイスとしてきき、その後、より作品の共感に満ちた初演者の山田一雄ステレオ再録音

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や弟子の芥川氏の演奏を聞くことで作品の存在する位置推し量りながら聞くことで、

伊福部昭:管弦楽選集
伊福部昭 / / フォンテック
ISBN : B00005EZTX

この曲の後半に拡散しゆく構成のなどの扱いの相違を大いに楽しむことができると、所見さるる次第。
 ただ細部としては芥川氏の演奏では録音レンジが狭く、ティンパニーなどの特殊奏法不徹底がるように見受けられ、それなりの割り切りは必要ではある。

たしょう仔細については、気が向いたら続編にて。

なおスコアは近年ポケットスコアにて発売がある。
OGT-302 交響譚詩
伊福部昭 / 音楽之友社
スコア選択: ★★★★★
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by dr-enkaizan | 2007-06-24 10:24 | 解説のない音盤紹介

タンスマン 弦楽四重奏のための「トリプティーク」

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8.570235 TANSMAN: Chamber Music with Clarinet
いまのクラ人にはこの作曲家はセコビアのギターレパートリそして、伊福部昭の生涯の記述にでてくる音盤で楽曲さらに、御前演奏をしたピアニストとしての認知度がはるかに高く、副次的記述にエコールド・パリの国外からの留学作曲者としての六人組の補欠要員の要請を依頼された(結局アンデパンダンの道を選んだ)ぐらいの内容での活躍が知られ、戦後個性的な作風の新鋭者を推奨するコンクールの別称看板にその名前を冠されるといったぐらいでありなん。

 その創作活動では、かなり歴史忘却された観もある作曲家であるといっても語弊なる言い方ではないかもしれない次第にて候。

 WIKiやナクソスの解説を掻い摘むと、生涯は1897年にポーランドに生まれ1920年代をパリに生き当時の先端である、ラヴェルや、ストラヴィンスキーの影響を受けた民族的語法へのアプローチがある作品を輩出し、前述に六人組に注目もされたが、ユダヤ系である彼は1941年にアメリカへ亡命しそこでさらに、アーノルド・シェーンベルクとの親交をもつも、音列主義にはならす、戦後の前衛の実験にから離れ独自の自国との結びつきをもとめ創作を続け、1986年に没している。

 その作風は、自国の民族音楽語法による影響があるフレーズラインや半音階的動機による表現そして、フランス近代の和声、とりわけモーリス・ラヴェルを拡張したところがあるのと、ストラヴィンスキーの影響下になる形式的美学を重んじたがむしろ、ヒンデミッドに近い書法的派生もくろむ新古典的な構成を特徴としている次第であり、ときおり周辺の新ウィーン楽派との影響も僅かに垣間見られる表現主義的表現もあるが、全体バランスは壊さない程度の均衡を保つ次第にて候。
今回の音盤は斯様なタンスマンのクラリネットと弦楽並びに他器楽が絡むものを、詰めたものである、クラリネットと弦楽四重奏他では、この編成では先例に同じくユダヤ系のアーノルドシェーンベルクの「ピエロ・リュネール」などもあり、その音色的体裁はそれを彷彿する次第であり、ユダヤのおんがくで広く愛されたクラリネットという共通点で何かしら括れる可能性もある、しかしフランスに学んだゆえに、多くはモーリス・ラヴェルの三つのマラルメの詩あたりの難解性のある楽曲であり、さらに激しい表現は半音階的なフレーズや土俗的な旋律であり、前者ではヒンデミッドや後者ではストラヴィンスキーに類例を求められる、その悩ましげな表現は素晴らしいが、一般的なフランス系の音楽としては親しまれる記号が少ないような状態でもあり、長い間忘れ去られてしまった理由はこの辺にあるともいえるが、この情報の入物が拡大した時代の契機広くもう一度評価を定めてみたい作曲家でありなん。

そして最後に弦楽四重奏のトリプティー(三連画)が収録されており、これも非常に機知のとんだ表現をもち非常にわかり易い内容の楽曲であり、もしかいすると、これの弦楽版が伊福部がゼルヴィツキの音盤で聞いた同じ題名の楽曲なのか。その辺はご存知の方々はお知らせをまつとして、実に芥川作品の同名作品と酷似する素材(*)が見受けられ、その点でも拝聴する点としてみるのも面白いことも示唆しておきたい次第にて候。
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(*)第一楽章の旋法由来の動機第二楽章の和声に伴奏第三楽章の連音にまじるトレモロのアクセント。
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by dr-enkaizan | 2007-05-13 22:33 | 解説のない音盤紹介

悩んだ・・悩んださ・・ヤブロンスキーの伊福部

さてブログに年末の宴会と多忙と言う大敵が存在すること痛く理解した次第で、活動再開。

 その間に悩んだトピックにナクソスの伊福部の録音の評価があったことここにカミングする次第にて候。

 此処での音盤の期待と売りは、伊福部の芸術の根源のひとつの、チェレプニンの祖国の「ロシア」のオーケストラによる演奏による、根源的な音楽エネルギーの爆発と郷愁になると思われのだが・・・・。

 むしろこの音盤、演奏するに当たっての超えなければならない、伊福部音楽の音楽情操の深さを、むいろ反面教師的的観点で立証するに至ってしまった顛末を感じることを禁じえない次第。

 利点としてはロシアならではのオケの自体の響きとリズム感で、往来の日本の演奏と違う様相は、伊福部音楽の表出する情操が非常に普遍的なものである点に新たなる感動と発見を見出せた次第であったことは確かでありなん。その端々に見られる歌や表出する雰囲気は別格であるのは確か。

 しかし、それらを打ち消してしまうほどの問題の一つがあり、それは余りに指揮者とオケが譜面に対しての機能を荒すぎる理解で演奏に望んでいることは見過ごすことの出来ない演奏の欠陥として認識すべきことも確かな次第でもある。

 恐らく?録音時間の制約に起因するオケの練習不足は余りに致命的なものではなかろうか?たとえばタプカーラの序奏の後の7拍子の主部のアレグロの盛り上がりで発生する、推進の根源たる「半音階の上向きのオスティナート」(*1)などがそのパートの音量が少なく。その存在が失われており、明らかに録音セッション-指揮者-管弦楽の順で責任要因を追求できそうな内容である。

 次に打楽器の合いの手の表情の戸惑いがあり、特に第一楽章の主部に終止部の中間旋律のリトミックな伴奏上の再現での合いの手の控え具合は、民族的な感性の違いなのはじゅじゅう承知ながらも・・・余りに律動を台無しにしているのは確かであり、結果メ東洋的ロディーによる対位法的な組み合わせと節の異様な音楽として単に提示されたのも否めない次第でござ候。

 これはリトミカオスティナータでの16分音符を維持できない演奏にも共通の問題である。
一部で囁かれる「初見」に近いセッションと言うのはあながち嘘ではないかもと疑う次第。

 それを踏まえたうえで音盤としては最初に言及した利き所はわずかに認められ、また多くのタプカーラの演奏での、多くがそのライヴという異様な高揚感で演奏されている状態から離れ、覚醒した観点での伊福部音楽と言うものの本質を示している貴重さは、伊福部音楽の表現の難しさを感じ、氏の音楽はかなりローカリティーの素材から新たなるコスモポリタンな手法として目論みに作りこまれている理解のバランスはロシア音楽より前衛音楽的なアプローチ必携なことは確かなようでもあり申そう。

 出来うるなら初回の沼尻氏か多くの湯浅氏の演奏で望みたいところでもあり、非常に評価する点で悩まされた音盤であるのは確かな次第でござ候。
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by dr-enkaizan | 2004-12-26 21:55 | 現代音楽

影絵「せむしの子馬」にも共通する付随音楽の原則

 サンタパパ氏の紹介する著書、大変丁寧に紹介がなされ敬服する限りにて候、特に伊福部氏の映画伴奏音楽の原則が、実践されてその最高峰たるものが、おそらく舞台音楽のアニメーション『わんぱく王子の大蛇退治』の音楽であろうと考えられるのはたしかである、件のオリジナル(ユーメックス)を聞いても、最近収録された抜粋(キング)その汎用性と表題性の巧みな使い分けそして音響効果的センスに至るまで、今日の基礎を作り上げた野は確かな次第。

 特筆すべしjは氏提唱する

「映画が表す感情を音楽でエキサイトさせること(反語的用法も含む)。」

「カットバックなどが挟まってもひとつのシークエンスとして見せることができること。」
二点は音楽からもその片鱗をうかがうことができるものにて候。

 氏の音楽でしばし同じフレーズ、類似の音列のオスティナートとしてを、様々な様相で提示することにより、偏在セルことにより・・・・・その場面の推進を誘発する音楽を効率よく供出することは、ある意味では伊福部節とも捉えられることもおおいが。むしろサティーあたりがバレー音楽「本日休演」の幕間の映画のために作成した、類似フレーズの反復構成からなる音楽「幕間」のユニットの構成原理の血筋を受け継ぐような、画期的な映画の音楽手法とも捕らえたほうがよさそうな次第である。

 それらは単一限られたフレースのユニットの組み合わせととその器楽を旋律的もしくは動機的展開手法より、短い時間的推移とダイナミック属性の変性によりいくつかのヴェリエーションが作成される音楽の表情の階調を場面に当てはめるというようなプロセスと観察される。

 映像に合わせる音楽としては当たり前のことながら、その合理的さにおいては他に類を見られないほど徹底しているのである・・そのフレーズから表題の飛躍は躊躇するすぐらいに多様な汎用性しめす。


 それは時に「せむしの子馬」(*)ロシアの田舎の王様の鄙びた行進曲が、ゴジラ対デトロイアでのゴジラの最後を看取る、冷凍超兵器を搭載したスーパーXの音楽になり。


 宇宙人との起動を駆使しての死闘の音楽が、おどけた民族舞曲の人々の踊りの列になったりもするし、ラドンと空中戦を繰り広げるF86の音楽が、謎の虹男の恐怖を暴く場面の追跡劇にもなり。

 そして時に無音に場面の効果音に勝る音量で現る計算された場面のデュナミーク巧みな使い分けがなされ、そうした要素の共通を持つ上で、さらなる律動的要素への対極に、12番ドデカフォニや朗々とした歌が用意され単調な要素と情緒性の欠如を防いで、前述における提唱を実践し、この伊福部劇伴奏音楽を形成しているのはとも考察さるる。

 それは伊福部音楽として不遇な特撮音楽を井上誠氏他の熱意から、作曲者自ら演奏会用音楽に組んだ「SF交響ファンタジー1-3」においても、今度は連続する組曲として全体のバランスを考えて、曲のテンポおよび器楽を多少変更しているあたりも、その提唱となんらかの関連が折ると考えられ、決して音楽作品としての価値を疎かせず、音楽の推進性を考慮しての配慮がなされ、これよりエリクチュールが豊穣な国内に海外の作曲家映画音楽もあるが、この単純な素材が巧妙に組み合わされることで只の映画音楽のコンサート演奏に留まらない聴き応えを示すのはその辺にあるのやもしれない。


伝説は仕組まれたともいえそう・・(なんちて)

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発出時キング スターチャイルドJK32X7034



(*)参考資料:藤城清治影絵劇「せむしの子馬」への音楽(VAP VPCD-81191)
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伊福部氏の音楽としては、キリスト教題材もあり少々西洋的な要素多く、ロシア的な情緒とリズム競演は暫しストラヴィンスキーの器楽伴奏の歌曲や兵士の物語そして狐を髣髴とさせる
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by dr-enkaizan | 2004-11-25 03:25 | 現代音楽

1988マカロニ 伊福部

 伊福部氏の特撮付随音楽の評判は、米国の他にイタリアでの愛好されたも凄まじくある一例を示した一例がこの「伊福部昭作品集 イタリアンライヴ」(SLCS-5004)であり申そう。
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1988年3/15にイタリアのプラトーでのコンサート、しかし演奏団体は無料コンサートで、有志に近いアマチュア団体と演奏者に、多少のプロの寄せ集めであり、譜面も金銭面の関係から東宝のパブリッシュなスコアは得られず、すべて耳コピーの独自のアレンジによる映画音楽の再現とさまざまなアレンジからなるものにて候。
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 面白いのはゲストのアーティストにエンリオ・モリコーネのマカロニウエスタンの音楽でスキャットの朗唱者のエッダ女史が参入しており、「モスラ対ゴジラ」や「キングコング対ゴジラ」の演奏で歌を聞かせる。
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 吹奏楽に若干弦楽が加わった、簡易オーケストラの音色は少々怪しく、ゴジラのテーマは演奏上の制約か?譜面読みの間違いかオクターヴ高いところもあったり、少々失笑を誘うところもあるが、場の盛り上がりは尋常ではなく、イタリアの愛好されかたもたいしたものであるのは確認できる次第にて候。

 ライナーノートによると会場はホリゾントスクリーンに東宝特撮のポスターが投影されたり。
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前衛絵画の芸術家の音楽に合わせたパフォーマンスもあり。
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充実しているが、やはり伊福部というより世評は「日本の特撮」のあつかいなのが、投影されたポスターに伊福部氏の弟子の音楽担当して「妖星ゴラス」などが一緒くたにされているの点で判る。

 そんな点を棚に上げてもこの事例は作曲家を喜ばせ、このコンサートへ国際電話で日本語とイタリア語でメッセージを寄せておりそえも、当音盤に収録されている。

 確かに聞き所はかなりあり、大編成の合唱による、コングコング対ゴジラの合唱の再現などはステレオで聞けることはすばらしく、長らく井上氏の「ゴジラ伝説」でのシンセ編曲の寂しい合唱で聞いてきたものにはすばらしいものでござ候。

 またピアノ編曲による帝都の惨状は、これひとつで独立した伊福部作品のピアノ小品にしてもいいような芸術性の高さも示し、初代ゴジラの音楽のすごさを伝える出来栄え。

 会場ノイズもすごいが場内吊マイクで捉えられた録音は音盤を作る前提ではなく、記念とししての、私家盤的要素が強く・・・このような音盤が国内使用で発売されたのは驚異の事実ながら、演奏家の音楽センスのすばらしさは、面白さを超えて際物との間を微妙に越えるもにであり、さらに深入りする方々は探訪を推奨セルものにて候。
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by dr-enkaizan | 2004-11-23 22:19 | 現代音楽

伊福部 昭-タプカーラとリトミカの元になった「協奏風交響曲」

 さてさらに伊福部祭りの様相は他に波及せる物にて、さらに「てつわんこ」「代々木」様のヤブロンスキーナクソス盤リリースによせてひとつ言及したいことがあり。

今回のラインナップは
日本作曲家選輯:伊福部昭
伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ
ヤブロンスキー(ドミトリ) / アイビィー
ISBN : B00069BP9A

ドミトリ・ヤブロンスキー(指揮)ロシア・フィルハーモニー管弦楽団

シンフォニア・タプカーラ(1954、1979改訂)/ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ/SF交響ファンタジー第1番




 だがSF交響ファンタジーを含めて興味深い関連のある音盤として、キングがファイヤーバードレーベルよりリリースしている「伊福部昭の芸術5」を、もし深入りしたい人がいたら強く推薦せる物也。
楽 協奏風交響曲&協奏風狂詩曲~伊福部昭の芸術5
日本フィルハーモニー交響楽団 舘野泉 伊福部昭 大友直人 徳永二男 広上淳一 / キングレコード
ISBN : B00005F6IO


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曲目はピアノと管弦楽のための協奏風交響曲とヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲(旧題 協奏曲第一番)であり、ともに先の音盤に由来しているものが多数存在する。

 最初の協奏風交響曲(1941)は戦時中に作曲初演され、長らくその譜面は、戦災にて消失されたとされ、また作曲家自身も世評も芳しくなかった「やりぎなモダニズム」不満に思うところがあり、改定も構成はなされずに、その反省と兄の追悼の「交響譚詩」(1943)への簡素で合理的な傑作への筆を向かわせている。(作曲家自身もスコアが焼失してホットしているような発言もある)その作品の出来具合は両者の編成と構成を拝聴願えれば一目瞭然にてござ候。

当時のコンセプトはライナーにある伊福部氏自身の弁を借りれば以下のとおりで

「血液の審美と現代のダイナミズムの結合がこの作品の主体である。」

とはじめ・・ここでの血とは「汎アジア的」な書法に、近代管弦楽のダイナミズムを融合して作品を作り出さんとする意思を宣言せるもの。

 実に三楽章のこの曲は、端々に都節な陰旋法に田舎節の陽旋法、に由来している五音音階や六音音階の音組織からなるエリクチュールを変拍子やポリリズムなどの新興的なを取り混ぜ、それらをピアノのクラスター奏法や。異質な響きで存在を誇示する前衛的で大胆なな管弦楽法にて彩を添えている野心に満ちていることは確か。

 当時の高揚する世相に絆された作曲家が前の代表的作品の「日本狂詩曲」や「土俗的三連画」にて未開拓の書法的追求を目論んだ思いがひしひしと伝わるものでもあるが、その素材の吟味は余丁なるものおおく、散漫な印象も免れないところもあり、世評が答えない理由もその辺に感ずるもの也や。事実伊福部氏自身のこの曲の主に第一楽章の素材から、第一主題にて、その主題展開の書法の再構成(その調性的な秩序立てには極めて近いと感じたのがヤニグ・クセナキスの論文というインタービューでの発言もある)を踏まえて管弦楽とピアノための「リトミカ・オスティナータ」(1961)が生まれ、そしてそれに先んじること1954年のシフォニア・タプカーラの第一楽章のアレグロ部の7拍子の主題は第二主題から採られている。

 実際これらの曲の動機がこの協奏風交響曲から現れる時は、二曲を聞いている者には、衝撃と興奮を持って迎え入れられるものといっても過言はなく。

 管弦楽の響きは日本狂詩曲での管弦楽が「打楽器と対峙」(*)する感のある「大編成」より。一層の熟練を感じる、「融合的」なものとなっており、その後の交響譚詩への萌芽もあるもの似て候

(*)「だがっき」と「おと」の庵から『伊福部昭・音楽家の誕生』

ともかく、深入りをしたい方はナクソスで気になったら、交響譚詩とこれを推奨セルこと必至。

 なお協奏風狂詩曲は第一楽章に「ゴジラ」と「怪獣総進撃」の一節がある流れで一緒なことを気づかせるものにて候、じつは後者は「万博のパビリオンの催し物の音楽」にも流用されておりユーメックスより「わんぱく王子・・」CD音盤の余白の収録され一度発売されている。



なおともにオケは日本フィルハーモニー
協奏風は指揮に大友直人氏ピアノは館野泉氏
狂詩曲は指揮は広上淳一郎氏ヴァイオリンは徳永二男氏
(KICC179)


なお円海山的にはリトミカは 若杉弘氏指揮の読売交響楽団/ピアノ 小林 仁氏の硬質でやや聞きづらいが、なにやら構造的な道理を感ずる演奏が、近年癖になっている次第を付言せり。

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ビクターVCD-5505(廃盤)「おい犬!!早く復刻しやがれですゥ」a0007939_492464.gif



追記作曲者の伊福部昭氏が2006年2月9日お亡くなりになられました謹んでお悔やみ申し上げます。
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by dr-enkaizan | 2004-11-22 03:31 | 現代音楽

伊福部 昭 祝賀コンサート 石井 真木指揮新星交響楽団

1988年の叙勲を祝うコンサートで発起人は石井氏で司会は松村禎三氏にて進められる。
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ここでの聞き物は最初の「伊福部 昭・賛」と題された九人の弟子による連作もくは共作で、氏の初期「土俗的三連画」と同じ14人の編成で二分前後小品として、依頼された、
九人の弟子は以下のとおり
原田甫氏、石井眞木氏、眞鍋理一郎氏、今井重幸氏、松村禎三氏、三木稔
氏、芥川也寸志氏、池野成氏、黛敏郎氏であり
全曲各作曲家のコメントのあと石井氏の指揮新星交響楽団で演奏され。
 おもに原田氏・真鍋氏・芥川氏・黛氏のように日本狂詩曲にゴジラそして交響譚詩に歌曲などのコラージュや、松村氏の歌曲とゴジラのリズムによる、符号変換的モジュレーションな意欲作に、今年惜しむ亡くなった池野氏は「日本の太鼓」からの素描的な考察、今井氏は「プロメテの火」からの引用、石井氏は父の舞踊家石井氏と伊福部氏の絆の曲である「人間釈迦」の断片を再現した、パーソナルな敬意を表したものがあり。さらに強烈のなのは三木稔氏の「ゴジラは踊る」で、阿波踊りの「ちゃんちき」のリズムに件のフレーズが流れ加速し、それが板についているという絶品にして珍品というものまである。

さらにオリジナルの土俗的三連画も演奏されている。とうCDのトリになってもいる次第。

他にヴァイオリンソナタ第二番に、ティンパニー背景の健闘する藍川女史の名演奏のアイヌ叙事詩などもあり。これまた名演奏の嵐でござ候。
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by dr-enkaizan | 2004-11-19 02:43 | 現代音楽

伊福部 昭 シンフォニア・タプカーラ 石井 真木指揮新星交響楽団

各所の伊福部氏話題が発生せるゆえに

我ここで燃料投入競るものなり

これは・・・・前回に愚痴をこぼした、アニメ特撮レーベルに伊福部音楽の充実がすごい一例

ちょっと本気で語ってみましょうかねぇ・・・・・。

 1991年12月13日は平成ゴジラシリーズの映画音楽に全部伊福部氏が音楽を書き下ろし自作自演で音を付けた「ゴジラVSキングギドラ」の封切り日でもあり、それを記念してのイベントの要素もつよいもので、当プログラムの他に同映画作品からのSF交響ファンタジー第四番が作られ初演され、さらに9人の門弟たちの競作の「伊福部モティーフによる賛」が
叙勲祝い以来再演され、そして特筆すべきは、鹿踊りなどの立って踊る太鼓からインスパイアされたといわれる、バレー音楽「ジャコモジャンゴ」(日本の太鼓)が弟子たちの太鼓パートを交えて作曲家自身尾の指揮で蘇演されるる物也。!!!

1991年12/13府中の森芸術劇場   東芝 ユーメックスTYCY-5217-18

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 多少祝祭的高揚感が強い中、非常に冷静に伊福部音楽の先進性をと先鋭を極めた演奏が、この作曲家石井真木氏による演奏でござ候。

 第一楽章においては、打楽器の当てられる適切なタイミングとあわせ、非常に刺激的な意図を明確に再現している、後半の中間での叙情的主題が、律動的変容をもって展開するあたりの、通常では野蛮なフラッターな金管に隠れる打楽器のフィルインや合いの手も克明に聞き取れまことに筋肉質の表現に驚嘆セル物にて候。

さて第二楽章における沈痛にして大地に抱かれんような祈りは、どこまでも響き澄み渡り増大する音響を徹底して追及しており、この点も他に類を見ないものであり、一般的には情緒のみで語られがちなこの楽章の「小さき音楽事象の増幅」というかうされた技術的課題を石井氏は見事に達成する。

そして第三楽章の踊りのリズムと歌の饗宴は、そのリズムの数字が時間的に交差しあるいは時間外の垂直要素で積層する構造的特性を疎かにしない点でも驚異であり、その先駆例としてストラヴィンスキーの「春の祭典」の賢者の行進と大地の踊りあたりのブ-レーズの論文で後日明確に定義される、各々声部が、パート個別に変化する拍子メロディーを交代するリズム細胞単位の組み合われによるマルティミータのエリクチュール(*)をかなり早い時期に会得していた作曲家がこの伊福部氏であることも思い起こされる。


ともかく作曲家眼差しの演奏爆発の一品とも感ずることしかり。

なお石井氏はこのあと喜寿祝いで晩年になってしまった石井氏新交響楽団と再度演奏する、これも音盤が存在している、
(*)このリズムコラージュともいえる語法は「キングコング対ゴジラ」での「中禅寺湖の決闘」場面や同アルバムに収録されているキングギドラとゴジラの対決の音楽にも現れており。

半音階上昇する低音の5拍子のオスティナートに組み合わせれた6拍子のトランペットの刺繍的反復フレーズがあり、それが六拍子と七拍子の交差になりそれの上に4拍子サイクルの伸縮自在のトランペットの反復が乗せられる。書法的にはストラヴィンスキーやドビュッシーに近きものまたラヴェルもピアノ三重奏で七拍子四拍子オスティナート重なるようなことを第二楽章の中間部で行っており、伊福部氏音楽の根底にロシア・フランス近代に根を下ろしていながら、分析的姿勢で接していたことを発見する。
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by dr-enkaizan | 2004-11-18 02:59 | 現代音楽

1984年2月21日のシンフォニア・タプカーラ

オホーツクの海
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そお言えば手塚氏のキーワードで思い出し
KICC2011(廃盤)
データーをみて驚愕これは代々木さんの聞いていた当該演奏会の一部である・・・。
交響譚詩もありオホーツクの海のみ未CD

 少し揺らぐテンポの巧みさがあり、作曲家サイド(石井真木あたり)の演奏よりロマンテックに熱い演奏。

第三楽章の表情の巧みさは絶品な演奏。a0007939_1342413.gif



さて今度でるDCは如何な演奏か楽しみ。
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by dr-enkaizan | 2004-11-16 13:30 | 現代音楽

ファースト「ゴジラ」の凄さ

今現在ゴジラをNHKBSが放送中であるが。

一言

 伊福部の作品への特撮サイドから取り上げられられる不満はあれど、最初のゴジラは別格なのは言うまでもない。

 さらにその後の数作品の伊福部音楽は映画音楽としても神ががりでもある。

 暗闇から足音とチェロのディストーションノイズによる怪獣の雄たけびに、変拍子のおなじみにゴジラの主部が現れるオープニングは電子音もしくは加工と効果音組み合わせにによる音楽はコンクレート前触れでもあり、伊福部の当時の録音媒体の入物を考慮した、ユニゾンに、時に単純なパートの組み合わせ交差はドラマの緊張を持続させる。

 さらにストラヴィンスキーの「春の祭典」の構成が根底にある刺激的な音楽を多用しており、東京の実況中継の名場面は特に効果的でもある。

さらに今で言えば「セルフリスベクト」「セルフパロディー」の類になることも行っており、漁村における正体不明の伝承「ゴジラ」厄災魔よけの神楽は日本狂詩曲の「祭」、ゴジラ自体は
ヴァイオリン(協奏曲第一番)狂詩曲の第一楽章あるフレーズを引用しており、さらにラヴェルのピアノ協奏曲ト長調の終楽章の地雑な引用と揶揄されることもあるが、ラヴェルは双子の立場の左手のピアノ協奏曲ニ短調にもときにジャズ風に不吉な印象として使われており、あのフレーズ自体グレゴリオ聖歌の韻律であり、汎用性の点では、伊福部作品にも多用されおり、伊福部作品の旋法との親和性という注目しその辺の言及こそ意味合いのある事例になるが、ただラヴェルのパクリというネタわおわる方々いて残念でもある。

(追記:そもそもあのフレーズはゴジラに抵抗する人間の意志と恐怖のテーマとして生まれたと聞く、そのごキングコング対ゴジラのでの12音ドデカフォニーによる爬虫類的テーマがゴジラとしてのフレーズで後日それを組み合わせたのがゴジラのテーマとして採用去れるにいたる。)

 その点例外的にラヴェルとの関連で、面白く賞賛できる例はあり、あるお記念に黛氏が書いた、その師匠にあたる伊福部氏の作品群をゴジラをベースにコラージュして、その親和性を提示して、賞賛して後にラヴェルのピアノ協奏曲のゴーダを組み合わせて笑いをとる競作のトりビュート作品は、そんな作風の本質を捉えた作曲家が見据えるまなざしと言えそう似て候。

 また四作のSF交響ファンタジー(1984)にて管弦楽として作品上に正式にゴジラの音楽が登するが、それ以前に吹奏楽のロンド・ブルレスクでフリゲート艦隊の攻撃場面の音楽なども変容拡張されて使用されている。


さて「ゴジラ」ごらんのみなさま何を感じ取りまするか?
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by dr-enkaizan | 2004-11-15 20:35 | クラシック