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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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タグ:ドビュッシー ( 37 ) タグの人気記事

昔はデジレー・エミール・アンゲルブレックと読まれていた。

承前
さて海のネタでかつての掲示板のやり取りで思い出したのは、やはり耳学問が結構展開するターム多かった次第にて候。

 某英国の長老巨匠のドかトかという話にはしまり、ルかリの問題など本筋からもれる場合はそれとなし、殺気オーラのあるレスをして相手を恐縮させてしまい、本意の効果にながら申し訳ない思いしてしまったのは良い思いででもあり、あの頃は全国の独尊がネット上で初めて、各種整合の必然というプロセスにあったゆえの、黎明期ならではだったのだと、好意的にも考えるが・・・しかし、音楽をかたるものであり。承前の言葉を引用すると。
>日本語なんだから別にいいじゃん。方言だってあるんだし。

の如しと同じく思う次第にて候。
 猫でドビュッシースレッドで展開するさいは必ず避けて通れない、逸匠、現行発言での、デジレ・エミール・アンゲルブレシュトも、かつてはタイトルの表記で呼ばれており・・・これも、アンゲルブレックで発言すると遠まわしに、アンゲルブレシュトではとまるで、俄かのような耳学問へ展開して、各種書物でアンゲルブレックで承前だった当方は、あのころの俄かバブル経済が背景に涌いてでたマニア気取りな輩の振る舞いには、少し血管が走った思いでもあるが、しかしながら、日本人のフランス語のカタカナ表記の発展して、ドビュッシーですら昔は、だったわけであり(笑)今の表記を戻せとはいわないが・・せめて 大田黒氏やあらえびすの本とか全盛期の頃の発音は?はアンゲルブレックの表記だったりもすることは、ふまえて各位コレクトのコンタクトは取るほうが、なんか積み上げある箔のある趣味らしくなりはしないかとも、我大いに愚考致す所存にてござ候。

 正直、1980年代前のEMIのフランス音楽のエスプリ第二期にて、評伝でしか知りえなかったこの指揮者の音を始めて知り衝撃を受け、バークレーのペレアス涎し・・・EMIやエラートの管弦楽集やライヴに感激、CD時代にモンターニュステレオライヴに驚嘆して再受容組であるが、なぜかネット世代では?奇妙な耳学問はそれを支配するのか、それ以前の親戚や同興らのコミュニケーションでは、そちらのほうで通用していた次第であり、むしろネット黎明期に、早い者勝ちで発音のとどまらない、様々な慣例や評判を個人的技量で再構築してしまったのではとも、自らも含め反省する問題ではある次第、一概に音楽マスコミが偏向しているのではなく、双方で、つねにコンブアイランスは必要であることは肝に銘じておきたい次第にて候。

因みに1984年六月のレコ芸では巨匠達の時代という特集でジレー・エミール・アンゲルブレック表記で古川登志男氏が丸々1頁記事を書いている次第。まだドビュッシーのサンセバスチャンとフォーレのレクイエムしかディスコグラフィーの復刻が国内ではなされてなく、バークレーのペレアスの復刻希望が書かれている。

内容として簡素だが、父はフランス人で母はイギリス人で母の手ほどきの後、パリ音楽院に入って、(成績がよくなかったため放校)など両親の国籍なども触れており。あとはシュミッドのサロメの悲劇や1920-30年代のスエーデンバレー団(1921)オペラコミック(1924)や劇場そして、コンセール・バドルのコンサート兼任(1924)でのドビュッシーやラヴェルそしてフォーレの演目にか軽く触れ、コンセールバトルーでの1931年のカルメンの成功、1934年のフランス国立放送の成立、そのシャンゼリゼ劇場で1935年の辞任(後任はロザンタール)まで、演奏を週一回放送していた事も言及。さらにその後も客演で同団とは共演して、それらでも、1939での、ティボーを独奏者迎えた演目が評判でありヴィヴァルディーとバッハ(1月)ベートーヴェン(3月)メンデルゾーン(4月)を放送していて、記録があればと筆者がフランス以外演目*にも秀逸な指揮者だったことをもしのび渇望している(笑)。
 そのあと、その物腰と人柄に触れ、演奏については、晩年の円満な人柄の頃で、曲の真髄と魅力を引き出す洗練された指揮と評し、国立放送の指揮者たる所以と賞賛している。
 代表的レコードは当時未復刻ながらドビュッシー「海」(A AB8134(廃盤))そして復刻されたフォーレのレクイエムでの、カップリングのパバーヌが割愛されているのを残念と記述する次第にて候。
 そして締めくくりは当時一年前に音楽院教授を退官したもモラーヌがペレアスを歌いしドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」の1963放送録音のバークレー(当時廃盤)を紹介している。

その後EMIがデュルクレトムソン盤ドビュッシーの録音集成をLP組で復刻、後にCDに・・・なかなか当時のレコ芸は凄かった・・・orz

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関連

*アンゲルの放送録音は戦後では放送素材の音盤LPが放出されおりマニアの糧になっている、一部は承前の家主が紹介しているが、円海山もマーラーのなき子を偲ぶ歌と、ラヴェルのしシェヘラザ=ドとチガーヌを青◎でなにしたが・・・・すさまじい細緻な演奏に聞きほれた次第、フランスはもとよりマーラーは、この頃から歌曲でのマーラーはそれなりに認知されていたのか不明ながら、淡白ながらも、あまりに端的にマーラーのスコアを捕らえている、成る程ドビュッシー同時代の背景の響きを成しえることに、納得させられるものにて候。ミュンシュもRCAにボストンで録音しているが・・・これがあったゆえかとも妄想を書掻き立てるものにて候。
追記

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またあの妖精が
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by dr-enkaizan | 2009-02-05 02:16 | ドビュッシー蟻地獄@円海山編

ドクター・ペッパーのような・・・・・セル指揮クリヴランドの海

承前*
某ローゼスの全米無料配布大丈夫なのか、それゆえ必死なのかこのドクター。
*ネタもとの書き手の安易な今様引用に嫌悪とさっ気を覚えつつ、承前せよ
 某所でドーバーのスコア掲げて、「海」の聴き比べ?きっと、セルのドビュッシー海を聞こうとしている、明らかに、海の家に喧嘩を売ろうとしている(笑)明らかに、練習番号63番以下略・・・。

LA Mer (The Sea): Three Symphonic Sketches (Dover Miniature Scores)

Claude Debussy / Dover Pubns


 セルで聞くなら音友のせめて・・・・スコアでないと・・笑以下略

OGTー89 ドビュッシー 海 (OGT 89)

音楽之友社


 というわけで、久しぶりにセル指揮クリヴランドのCBS録音を聞く。
 海の家創設の頃に、招き猫で色々お祝いレス*と情報を下さったかたのおかげで、再発見できた名演奏であり、シャルルミュンシュやライナーと同じタイプの校訂修正方針**の特徴では録音バランスで理想的なのに、その地味な印象と、セルのドイツ物の印象が祟り、いまだ世間には軽視されている次第な、嘆かわしい状況ににて候。

ドビュッシー;交響詩「海」/ラヴェル;「ダフニスとクロエ」/亡き王女のためのパヴァーヌ@セル/クリーヴランドo.

セル(指揮)/クリーヴランド / ソニーミュージックエンタテインメント



 まあ、炭酸ある清涼飲料でステレオ初期の海の演奏を限ぎり比喩セルに、ミュンシュやライナーがコーラ・・・・、アンセルメはペリエと月並みな例えであるが、セルは当然海に関しては,
立場的にドクターペッパーのような気がしてならない今日、この頃各位想像の程。

 多少メタなので、少々演奏を・・・・・とりあえず仔細はここでは、多く語るつもりはないが、セルの演奏による、第二楽章「波の戯れ」の5:18以後でのハープの重音グリッサンドでの背景弦楽の重厚な辺りが、その他の演奏より、響きの層を重視した、当演奏の特徴を端的に現す次第。
  まあこの構築感覚がドイツ語圏で、音楽を深く研鑽したセルならではといってしまえるのだが。・・・・・・・またフランス表層愛好家に余計な先入観を与えかねないのこの辺で。

 *因みに、ドクターペッパーすきといえば、海の家創立時に猫で賛辞を頂き、早期にリンクしていただいた、斉諧生音盤志の斉諧生さんも確かお好きだったような・・・。

**現行譜面が出回っていない頃の当時のアメリカのオケ演奏*の多くは、二版目譜面に、矛盾の修正と初版の特徴を独自に加えている。63の三連音はあるが、セルは同じ、譜面にミュンシュやライナーのように独自の60-8小節のファンファーレは入れることはせずに、おそらく二番目の校訂譜面をなるべく忠実に演奏を行っていると想像される。なお同時期のパレーは現行譜面に近いものを演奏している次第。

、あと現行譜面の校訂の元になったと想像され、第一楽章のチェロの細分パートの一部をヴィオラに受け持たせる慣例を作ったトスカニーニや、それに追従していると思しき演奏家達は、例外的に現行の譜面様相で比較的早い時期に演奏している。多くは右上のリンクから海の家の本分へたどり着く事推奨。
 因みにドーバーのスコアは現行譜面の初期の版下改造の可能性が強く、現行決定は金に物を言わせれば、デュラン-コスタラ版が校訂報告多くの版や全国規模のオケの譜面の校正にあたり、網羅しており非常に順当であり、単にセルの演奏であれば、音友版のエディショナル・ペータが妥当であり、評論に譜面の相違誤認を防ぐことが出来る次第。なお全音はポケットスコアの初期に近い版下で練習番号62等諸々が初版や自筆譜面の特徴を示している。但し60-8のファンファーレはすでに削除されている段階

スコア ドビュッシー海 (Zen‐on score)

ドビュッシー / 全音楽譜出版社


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by dr-enkaizan | 2009-02-04 02:20 | 六国峠海の家「海が好き」情報

牧神を巡り巡って プレヴィンの牧神の午後への前奏曲

承前
鎌倉スイス先生の恒例の季節物の合間に、直の扱いでの、ヂュカスのドビュッシー追悼曲に始まり、牧神の午後へと話が展開する、なかプレヴィンのロンドン交響楽団の演奏へ言及が進み、あまりに円海山的フェバリッツの琴線に触れたところで、新年早々嬉しい限りな次第にて候。


 実にプレヴィンにとっての三度ある牧神の二度目にあたるであろうこの音盤は、EMIの最初のデジタル録音であると同時に、メジャーレーベル史上最初のデジタル録音による牧神の午後であるはずである。
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 LP期初出のころには、その録音の様子をレポートしたライナー、付属されており、医療用のデジタル機器転用の録音ついての困難と、その画期的な成果に、ものめずらしさ、コンソールに詰めはいった楽団員たちが、そのスピーカから流れる管楽器の第一声の生々しさに感嘆した様子などが伝えられている次第で、プレヴィンもこれが一秒に数万回サンプリングしているなんて信じられるかい?と軽い冗談問答すらしている。

その初出のジャケッド初回CD化でも継承されており、スペイン調のアーチがある庭園が、南欧の日差しあふれる、印象派絵画で、イベリアのある映像や夏の草むらの牧神を何かと遠くから暗示する雰囲気あるものでありなん。
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 さて当該演奏は、フランス的というより、あくまでも国籍はない、純粋な音楽表現の模範を示すものであり、ロンドン交響楽団の適度な厚みのある音彩、適度な抑揚に合わせたディレイヴィブラート、ノーマルで深いホルンの音色など、フランスローカリティーとは極北の位置にありならも、見事なフランス近代音楽の書法的効果を的確に捕らえている次第。
 己も含めて、わが国のエスプリだニュアンスだと、お定まりの単語で、お国物の演奏家をありがたがる、この演奏は、それ以外でも成立しうる、視点の定まった路線の存在を痛感させられるものにて候。
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by dr-enkaizan | 2009-01-07 23:48 | 解説のない音盤紹介

NMLで聞けるドビュッシーの「燃える炭火に照らされし夕べ」の世界二回目の録音

さて4月早々ドビュッシーからNMLでの話題を。
ドビュッシー愛好家の間では最新の話題の一つとしては2001年に発見されたピアノ曲
Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon「燃える炭火に照らされし夕べ」であり、すでに専門家においてレコーディングがなされているが、今一入手困難なものであるのは変わりない事態にて候。

このたびNMLのブリッジレーベルにてのベネット・レィマーBennett Lerner のドビュッシーピアノ曲集にて収録が確認された次第にて、ゆえに此処に報告せるものにて候。
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BCD9219 DEBUSSY: Piano Music (Complete), Vol. 3
リンク

 当曲は晩年の第一次大戦物資不足の折に、ドビュツシー家に石炭の補給を特例的手配をした石炭商への感謝が契機になった曲だが、実現の契機は石炭商のドビュッシーへの懇願としての「自筆の譜面の所望」ゆえであり、自身は余り乗り気で書いておらず、心なしか、某サイトの紹介言及にもある、前奏曲第一集の四番目の「音と香は夕暮れの大気に漂う」の素材が使用されており、多少労力が軽減されている、冒頭の音形が低音で移行され、一瞬同じ和声展開になり、前奏曲第二集の「カノープ」にでてくるジプシー風もしくはMTL風音階のフレーズが導入され展開、その後四拍子刻みに三連音の朗々とした主題が演奏されクライマックス形成して、その後消沈しながらも暖かい思いをこめて終止和音が低音と高音の隔絶した作曲家らしい配置で終わる。
 ただヴァイオリンソナタ等と比べると、かなり前奏曲集の頃のドビュツシーの要素が強く、色々検証が要する可能性もあるが、創作力の減退の時期、過去の作品のスケッチから、短時間にてでっち上げた想像もできる次第にて候。

 実にドビュツシーの前奏曲集は映像第三集のスケッチに書かれた要素が多く、これ真作ということ前提に意義考えると、そうした混沌としてなされた、斯様な創作現場と思考の一端を垣間見れる貴重な資料とも言える次第。
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by dr-enkaizan | 2008-04-02 23:04

なんだって!!ラヴェルはドビュツシーのノクチュルヌを一度は全曲編曲していた?

鎌倉スイス先生の情報にて叱咤もとい知ったサイト(この記事を承前のこと)での
ドビュッシーのページでのノクチュルヌの版を調べるとなんと、ラヴェルの二台ピアノ版そこに奇妙な記述があり、本来現行では第三曲の海の精は割愛されており、それをもどかしく思ったゾルテンコチシュが編曲したものが出版されちるが、ここではラヴェル編曲とされている。

 一瞬苦笑 まあそんなもんだと思い、中身をみると純粋なParis: E. Fromont, 1909, plate E. 3005 F. でありラヴェルの編曲の表記がある次第。
もしかすると初版編曲譜面にはあって重版時に割愛したということか・・・・・・ 謎が深まる。

かりに捏造としても出版譜面を通し番号にして表記をコラする騙し甲斐はない・・・・・・・・

これはしかし秀逸な編曲であり・・・・さて真意はいかに?
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by dr-enkaizan | 2007-05-04 16:20 | クラシック

ドビュッシーの最近発見された譜面「序曲ダイアナ」がwikiにある件

作曲の学生たちに。楽譜のことなら…
に早速飛びつく

そこでドビュツシーの初期の発見作品の譜面などもあり仰天・・・・これは紛失したローマ留学作品の森のダイアナとは別の初期の作品といわれているが・・・・作風は選ばし乙女や道楽息子のそれにて候、嘗て2002年頃にアリオンからノエル・リーほかの演奏ででた初期稀少作品を含む四手ピアノ曲集に収録されていたそれ・・・。
恐るべしオンデマインド・・・。
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by dr-enkaizan | 2007-05-04 00:43 | クラシック

手配書 昔のロス伯爵家の人々の行進曲の民謡のモトネタは?

昔のロス伯爵家の人々の行進曲 「Marche des anciens comtes de Ross 」

悩んでおります。

同時にジーグのモトネタもコメント願えれば幸せなのですが。

おそらくトラッドのメロディーなのは確かであるが、仔細はやはり当方も不明な次第。

業務報告ストロング小林少年様ジーグのモトネタでもいいからここにコメントキボンヌ

追記早速TB元からの言及でクリュイタンスの音盤の解説に思い出し、あるのを発見
NMLにて氏ご紹介の
フェリア, キャスリーン:英国諸島の歌(1949-1952)を発見
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8.111081 フェリア, キャスリーン:英国諸島の歌(1949-1952)
FERRIER, Kathleen: Songs of the British Isles (1949-1952)

Songs of the British Isles
2トラック目に
The Keel Row (arr. W.G. Whittaker) 01:47 が存在確認

 文献より説得力ある資料、音盤情報感謝とNML普通買わない音盤が手軽に聞ける至便にまたしても唸る次第。
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by dr-enkaizan | 2007-04-30 22:56 | クラシック

クラヲくん2007記念アンソロジー「下心の難易度は青帯だった」

クラシカさんでクラヲ方面に動きがあった記念に・・・・うーん苦言を呈されそうだ(笑)酷い南徳ぶりな絵だ・・・現状は字が潰れてい読めないので絵クリックして画像窓を出してフルサイズで読んでください。
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さてネタに登場のドビュッシーの練習曲は・・・某のせいで・・・昨今のコンクールにありがちなと思われがちな「喜びの島」で知った気で紹介記事書いてウツツぬかしている諸氏には是非聞きなおして欲しい気骨ぶり・・・。
元ネタと違う意味で苦言を・・・・リスベクト(笑)
サティーの官僚的ソナチネとラヴェルのソナチネそしてこの練習曲で悪意ある発表会を(笑)

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Debussy: 12 Etudes安定して聞けるが・・・・・多少厚ぼったいのが気になるなら
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Claude Debussy: Complete Piano Music, Volume II
ギーぜキングの弟子ウエルナーハース頼み。

しかしドビュツシーはまあ誇張としても・・・姪が実際いきなり夜想曲といってショパンでなく・・・フォーレのとかがでてきて焦ったのは事実。
といってもブラームスは千秋の買ってるしなぁ・・・(爆)
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by dr-enkaizan | 2007-03-05 00:51 | 康代さん

水の束がその沢山の花を揺らし、月がそこを横切り・・・

てつわんこ様への月ネタおよびゆりかもめさまへのドビュツシーねたにて候

 さてドビュッシーといえば「月の光」が余り有名であり、ほかにも月の光を題材にしてもが多く。それらを全て掲げるときりがないので、今回の「噴水」そして次回予定の「月の光が降りテラス」あたりで・・・。

ボードレールの五つの詩(1887-1889)から「噴水」
当曲は歌曲集としては初期のドビュツシーの集大成的な作品であると同時に、ワーグナーの影響からドビュッシーの独自の創意あらゆるところで拮抗対立している、転換的な意義を感じ取れる作品にて候。

その後ドビュッシーはワーグナー先を探すように自作の詩で歌曲集「叙情的散文」を作成し自己の作風を確立する。

 なかでのその第三曲目の「噴水」はドビュッシーも後に管弦楽伴奏に編曲(1907)に選定するほど、絶品であり、旋法や半音階的メロディーにて、そのテクストたるフランス語を割り当てた朗唱直前の旋律に、二度や九度の開放感ある和音や全音音階で彩られた崩壊直前の転調を繰り替えす伴奏、水を表現した様々なピアノの伴奏はおそらく長らく論争となっているラヴェル対ドビュッシーのピアノ書法先駆論争(*)に終止符を打つ革新的な官能性を提示する。
(*)多くの言説がラヴェルの水の戯れとドビュッシー版画を比較論じ、さらにラヴェルの言説を鵜呑みにして「印象主義」と括られた作風でのピアノ書法の先進性をラヴェルする向きが多いが、しかしこれ以前のドビュッシーの歌曲でのピアノ伴奏の書法の存在を無視しており、実際革新的な先鋭的ピアノでの音彩はドビュッシーにも存在してたことを考慮にいれると、はたしてそのような断定ができるかもう一度よく考えてみよう

その情景は月夜の庭園の噴水で、まどろむ恋美と過ごすそのときの、流転する庭園の噴水を取り巻く情景と当事者(笑)の感情を描く次第であり。

全ての引用はしかたないので多少の紹介で。

最初に二度のクラスター的な律動和音の上に
「お前の美しい目がまどろんでいる、恋人よ!!」と感嘆あるさまが 解る半音階な旋律で歌われるあたり
この曲の歌詞的にもリフレーンたる「水の束がその沢山の花を揺らし、月がそこを横切り・・・」の箇所での前節より律動ある、上向き半音階は月の光との近親的発展ながら書法は先進的な和音付けがなされ、月の光と水のコラボエレーションをすごす恋人との素晴らしい一時が官能で歌われる
そして、後半の「夜がこれほど美しくするお前、お前の胸に(おいおい)体を預け・・・・」のくだりまで一気に心に訴える音彩が我々の聴覚を襲う次第。

 そして前述の管弦楽編曲は、ドビュッシーの繊細ながら、珍しくラヴェルばりの濃厚な工夫ある管弦楽編曲がきけ、その官能は数段上であり、ドビュツシー歌曲への入門としては最適なる次第にて候。

その音楽は「選ばれし乙女」や「春」やピアノと管弦楽の幻想曲の面影があり、そしてピアノ曲「バラード」も想起させ、゙なおも後の牧神の午後や夜想曲やペレアスに海の萌芽を含む摩訶不思議な混在を感じさせ、「海」のような層の厚い編曲により、それはなおさら高まり、熟成した芳醇な葡萄酒のような状態の音楽を堪能させる。

最初のこの管弦楽の版で推奨すると
ブーレーズが唯一録音を推奨
ラヴェル:歌曲集〈シェエラザード〉
オッター(アンネ・ソフィー・フォン) ブーレーズ(ピエール) ブーレーズ(ピエール) オッター(アンネ・ソフィー・フォン) クリーヴランド管弦楽団 ラヴェル / ユニバーサルクラシック

(あとシカゴ響楽団とのライヴにDVDに収録がある)
原曲は
旅への誘い(フランス歌曲集)
クロワザ(クレール) リーブス(ジョージ) ドビュッシー デュパルク トゥリュック(ジョルジュ) プーランク(フランシス) / 東芝EMI
ISBN : B00005GJDD
スコア選択:
歴史的名演奏に
ドビュッシー:歌曲集
スゼー(ジェラール) ボールドウィン(ダルトン) ブルジェ ドビュッシー ベルレーヌ / ユニバーサルクラシック
ISBN : B0006GAYC2
スコア選択:
名演奏で

ちなみに初期ドビュッシーに関わるなら必携アイテムやも・・・。
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by dr-enkaizan | 2006-09-18 22:22 | ドビュッシー蟻地獄@円海山編

改宗したブルターニュのケルト人の伝説の無き寺の鐘

さてドビュッシー生誕日ゆえ、道楽息子祭りの前の「鐘」企画
当然前奏曲集第一巻の「沈める寺」でそして鎌倉スイス先生負けずに一ひねりして、ビュッセルの編曲した版のある音盤で
Impressions of the Sea
Frank Bridge Claude Debussy Anatol Konstantinovich Lyadov Felix Mendelssohn Joann Falletta / Albany
ISBN : B00003XAUP
スコア選択:
当曲は余りに有名なゆえに多くを語ると陳腐ながら、ドビュッシーの「鐘」といえば映像第二集の第一曲よりもドラマッティクに仕上がったのは確かである所見さるる次第にて候。

 聞くところによると・・・・そもそもドビュツシーの管弦楽の為の(元は四手9の為の)映像第三集の第二曲「イベリア」のスケッチ帳に描かれた冒頭の酷似した断片が発端であり、最初はそこからスピンオフして、曲として書き上げられた次第であり、そのとき、題名を後に明記するルールの前奏曲集第一巻の10曲目(*)として、どの時点で作曲者が「鐘」と後述の「イスの伝承」を結び付けたかは不明ながら、どう聞いても意図的に伝承の一部の件の過程を克明に追った、ドビュッシーとしては珍しくも・・・交響詩的なる直接的な描写に富んでいる楽曲にて候。 

(*)手稿の前奏曲集での曲の銘銘は宜しく、終止線の後ろに控えめに書かれていた、ゆえに最初から題名で書いた楽曲というより曲のイメージにより題名をつけた可能性のある楽曲もままあり、その後の第二集では、さらに抽象性が増したもので、そのピアノの指の動きだけ明記した「交代する三度」という題名以外に着けられなかったものも現れ、さらに次回作の練習曲集では、さらにピアノ技巧のノウハウ的な題名にて題名が構成されるに至っている。
因みにスケッチの本筋のイベリアも後半に鐘が様々に使用されているゆえに、その素材は鐘と関連深いものを含有している節も推測できる。


イスノ伝承は下記を参照にするかしてもらえれば(笑)曲のあらましがわかる次第だか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9_(%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)

 要するに後半の件における、罰当たりな顚末で沈んだ町「イス」が
水没したものの、今でもイスは海の底に地上にあった頃と変わらぬ姿で存在し、いつの日か復活してパリに引けを取らない姿を現す

そのときそこの寺院の鐘が鳴り、浮き上がった寺院から人々の古い聖歌の合唱が鳴り響き、モ一つの伝承としてのそれは再び幻としてその歌と鐘を鳴らしながら静かに消え行くといった、有様を描写した次第である。

 冒頭は空虚五度と四度が低音と高音に隔離された、長いペダルの上に、水の波紋のような四度の和音の上昇と低音の動きでピッチを下げて反復され、やがてその和音の動きの頂点でなされるEの音が直接的な鐘の音とし現る。

、その上に東洋の陰旋法とも中世の旋法にもとれる物悲しい、歌が現れ、次に冒頭の和音の動きが上下に山を描くように動き、低音の律動が始まり、みなの強大なるなみの如し、そして鐘楼の鐘とダブル四サイクルでの転回込みでの刺繍進行和音が繰り返され、寺の浮上の予感・・・・・・・そしてそれが頂点になり高音に、中間部の聖歌の冒頭の音形の先取りとも取れる三サイクルの鐘の上に、気高き寺院の大伽藍を表現したかのような、煌めきたるミクソルディア旋法による幾分斜めに雁行しながら下降する音形が現れ、頂点にたっし、その安定の上で圧倒的な象徴での心理的効果の鐘のうとかオルガンのペダルか?最低音cのソステヌートペダル上に、両手のオクターヴを押さえたユニゾンを含む、並行進行和音の壮絶な響きで聖歌が歌われる。

そして、ペンタトニックでの朗々とした盛り上がり、二つの隔離した音程による鐘の対話があり、その下のの鐘の音程が下がる時に、消え行く幻である定めのように、最初に出た東洋の陰旋法とも中世の旋法にもとれる物悲しい、歌が再現曲はアーチを描きだす予感に満ちつつ歌は名残を惜しむかのように幾分展開して熱く盛り上がり、そしてとれを突然さえぎるかのような呪文か魔術の実行めいた、短三度に下降する(*)未解決の二度を含む属9の和音の並進行、そして低音での鐘か?それとも再び寺を沈めんとする水面の動きか?二つのクラスターの僅かな対話がなされる。

(*)この呪文は和音の頭に付いている未解決な二度を半音で交互に折り返した形になり、その部分の動きはメシアンの移調の限られた旋法2番の先駆類例でもあるが、この件のドビュッシーの発想については、鍵盤の未解決の音程をタブタチュアライズに動かしたらこうなったという経験則の可能性もしくはムソルグスキーの楽曲の影響が今後研究の課題として成果を各位に期待したい。 

そして、水面に沈む寺を思わせる情景での聖歌の核の音たるペンタトニックの低音律動の上に、聖歌が静かにしかし荘厳さを保ちつつ歌われ、静まり返り冒頭の和音の群のやりとりが再現して、神妙に朗々たる三和音が引き伸ばされ曲は終る。

今回はこれを鑑賞する演奏としては、ピアノ盤ではもう他所で腐るほどの紹介もあり、さらに管弦楽編曲としては一番適切で著明なストコフスキーに、さらに適切なシンセサイサーの再構築による冨田勲氏編曲などもそれに准じており当然推奨ながら、少々ひねくれて上記の音盤に含まれるビュッセルの1910以後の管弦楽版をご紹介したい、この編曲特徴的なるは、直接に目立つ組み合わせで、金属打楽器を使用し、さらに鐘を一切使用していないものである。

そしてハープの活躍が著しく、その点ではストコフスキーのハリウッド編曲よりケルト伝承らしいところが強調される面白みがある次第にて候。

冒頭の空虚な音程和音の対話は引き伸ばしは低音弦と木管で、上昇は弦、
そして物悲しい歌は背景のEの鐘楼は木管のオクターヴにトライアングル(+セレスタ?)歌が弦楽そして、件の聖歌は金管で低音の弦を背景に歌われと時々ハープがそれをなぞるあたりがケルト的で面白い、そしてl後半では、およそハープの「ケルトではありえない」ペダルによる同名音的挙動によるグリッサンドアルペジオが活躍しており、それが様々な形で随所に現われ、まるで魔術的な色彩効果に変容しており、まさ沈み行く寺の情景をターナ的な色彩を彷彿させる次第。

当演奏はストコフスキーや冨田編曲に慣れた耳には少々最初フラストレーションが溜まる次第だが、ドビュッシー存命中の近親者の編曲である意と・・・・ケルト伝説の素朴を内向的な広がりで求めるには、格好の嵌る編曲として我推奨する。

追伸:でもはフラストレーションは溜まるときはストコフスキー
この録音に間に合わなかったが、開発されていた幻の電子楽器トラウトニュームを使って聖歌の背景のペダルのc音を倍音豊かで重厚なものにしようとした試みも考慮されたらしく、録音ではオルガンを使用してそれらしく威圧感をまして居る次第。

このペダルはピアノでも注目であり、その引き伸ばしは作曲当時のピアノのペダルではありえない中央ペダルで聖歌と低音を独立するものや、ペダリングで巧みに低音切れを回避するものなどあり、重要なる当曲の聴き所でもあることは此処に言及セリ。

さらにべーゼンドルファークラスのC0鍵盤があるピアノではcをオクターヴだダブらせて聞かせる兵ものあるが・・・この辺で終了。

てつわんこさんのTBに・・・・・
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by dr-enkaizan | 2006-08-22 00:00 | ドビュッシー@管弦楽