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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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芸術技法の技術的提示は対象をお選びください(笑)「ただのコンセプトの模倣には興味ありません!」

多忙にて小休止ぎみながら話題を一つ。
承前
芸術家が昨今自分の世界に閉じこもってという傾向が、情報化社会の中で幾分薄れた傾向があるのかといえば・・・そうでないようで・・・。

中国もよいよアンディーウォーホールのポップアートを受容する確固たる土壌が生じているというわけででもありなん。

 しかし明らかに時勢をよむに、その対象の認知のズレ具合は?非常にうわべを捕らえたものにしか見えず・・・・いかんしがたい。
皆様どのようにお考えか・・・?
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by dr-enkaizan | 2007-07-29 10:26 | 雑文

鎌倉スイス先生の夏の日に祭りのニーストレムに寄せて。

涼を求めて (1) ニーストレムの交響作品三作を聞く…


交響曲第3番「海」シンフォニア・デル・マーレ

交響曲第4番, 第6番

北氷洋
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by dr-enkaizan | 2007-07-25 01:25 | クラシック

『NHK始まったな』

承前

生ものですので消えるかも・・お早めに。
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by dr-enkaizan | 2007-07-18 01:49 | 雑文

So I'll go down to some lonely waters モーランの心象風景

最初にある曲の詩を引用。
So I'll go down to some lonely waters
Go down where no-one shall me find
Where the pretty little birds do change their voices
And every moment blow blustering wild

訳意

 そして私は、人里離れた水辺へ行く
 そこは誰にも見られず、
 可愛いい小鳥たちが声を交わし、
 絶え間なく囀っている。


 なんと不可思議な語り始めにて、まるで孤独を楽しむのかそれとも、喧騒を逃れるのか、呆然とそこへたどり着くのか?なんともいえない心情をイギリスにある沼沢の湿地帯の情景に託すかのようであり、何処と無く切なくもあり病んでいるともいえそうな語り口にて候。
 それはイギリスの近代作曲家にて、RVWの作風を近代にリファインした作風で好事の方々には知られる(*1)、アーネスト・ジョン・モーラン(Ernest John Moeran 1894年12月31日生1950年12月1日死去(*2))の楽曲二つの小管弦楽の小品(1931)の一つ、lonely waters の声楽入りの版にてソプラノが、曲中全般に器楽に提示される切ない節に、沈着してたどりついた末にそれに、つけて歌う歌詞でありなん。

 曲はRVWの田園交響曲に近き音彩の弦楽の刺繍の上下を、オーボエやフルートの囀りのようなメロディーの断片という穏やかな情緒的な風景で始まり、時に歌われる長い節や、若干ポリコードやポリトナールになる弦楽の和音付けや木管動機などが、ハイライトのように配置され、そしてコルノアングレィーがlonely waters の一節を切なく提示して、弦楽が再び豊かな歌を朗々と歌い、、木管もそれ応じて推移してゆき、時にlonely watersの節をホルンが気まぐれに出現させるが、そのうちに組織的に絡みいり、その推移自体がlonely watersの節の対位法的技法の上に成り立っていたことを示唆し、その直後音楽は盛り上がり、その後は沈着しながら推移して、その末に、ソプラノが表われ、冒頭が回帰してフルートの涼しげなリフレーンの低音のピッチカートにて終止する。

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ジェフリーテイト指揮イギリス室内管弦楽団の演奏であり。

唯一の声楽入りのlonely waters (ロンリー・ウォーター)が収録されていると話題に一部で狭い評判と話題になったものでありなん。
現在は違うジャケッド国外では発売中なれど、1988年発売当時に音盤で流れていた不可思議な切ない懐かしい音楽の具合とジャケッド衝動買いしたものにて、買った後に三浦氏の愛聴の盤として紹介され非常に嬉しき魂消た思いでもあり。

尚、に国内でもカップリングそのままでジャケはシリーズデザインになり、一度発売されている。

 ほかにバックスやブリッジの管弦楽の小品があり、クライバーがシカゴで片割れを演奏した、拘りの一曲で一般には有名になった。バタワーズの二つのイギリス田園詩曲などもあり、これ一枚で清涼感と懐かしさを提供する快き一枚。

(*1)なぜか山尾氏の英国近代音楽入門にはないが?、きっと続とか改訂版にはでてくるでしょうね。
(*2)一部の向きに1951年という記述もあり死因も脳卒中や桟橋転落にての溺死という二説ある?なおモーラン自体戦役にて負った傷にて精神を煩う経歴もありそれは、アルコール依存症などと並行し彼の健康に影を投げかけている、ゆえに多様な要因も推理できるが、はたまた転落の原因が脳卒中であったのかは、音楽鑑賞となんら関係のない詮索ゆえにこの辺にて。

 ただ親愛な友人の作曲家ウォーロックの自殺の後、残されたモーランは自らの死を迎える所となるアイルランドのケリー州ケンメアで夫婦で殆ど暮らすなどの色々興味深い事例もあり、そのスタンフォードとアイアイランドに学び、自身の確立せんとした。一歩下がった近代的作風の先の、「何か」は独特であり色々感慨を持ちたくもなる。
 その辺のうかがい知るにては1937完成のRVWとシベリウスに三大バレーのストラヴィンスキーが入り乱れているような、軽妙なリズムとだれない切れ込みが魅力的な、交響曲を推奨、その作曲家憑かれた、アイルランドの祖先の興味に由来する音律の道具立てによる、陰鬱と沸き立つ躍動そして、衝動的なインパクトや表情の豊かな音楽は、そのフォーマルには既成があるような気もするが、その構成や垣間見られる用例の新鮮さは格別。
8.555837 モーラン:交響曲 ト短調/シンフォニエッタ
MOERAN: Symphony in G minor / Sinfonietta
ボーンマス交響楽団 - Bournemouth Symphony Orchestra
デイヴィッド・ロイド=ジョーンズ - David Lloyd-Jones (指揮)

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なおNMLでもロンリー・ウォーターは声楽無しも聴けるゆえ、これが本来の現行ゆえに拝聴推奨
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CHAN10168X MOERAN: Violin Concerto / Cello Concerto / Lonely Waters / Whythorne's Shadow
アルスター管弦楽団 - Ulster Orchestra
ヴァーノン・ハンドリー - Vernon Handley (指揮)他

なおソプラノはコルノアングレィにて歌われる。
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by dr-enkaizan | 2007-07-16 21:29 | 解説のない音盤紹介

ウォルトン:交響曲第1番/パルティータ(イングリッシュ・ノーザン・フィルハーモニア

ウォルトン:交響曲第1番/パルティータ(イングリッシュ・ノーザン・フィルハーモニア/ダニエル)
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さてNMLにて再発見した名演奏があり、何故これを無視していたのかと子一時間。

 幾分コンパクトにオンマイクに残響か集中した録音であるが、当演奏家の木管を弦楽の絶妙なバランスをもって、リズムのギミックを浮き彫りにしており、管弦楽の咆哮とオケのスペクタクルに、幾分甘さを抑えて感傷的に注目が行く本作品に別の光明を与える次第にて候。


 昨今の録音では以前取り上げた、ベルナルト・ハイティンクのテンポをインテンポそして緩やかに、しかし克明に音の事象を追いかける名盤が、記憶に新しいが、「悪意の交響曲」と囁かれる辛辣な表現と意識すると、自作自演にボールトの演奏にある、リズムのギミックが幾分犠牲になり、それらが幾分後退しており、第二楽章でのストラヴィンスキーの春の祭典の影響になる、同一拍子での不規則なアクセントによるスケルツオ、そして黒人音楽からとられたリズムか根底にある、第一楽章のシャッフルするリズムなどが飽くまでもオケの体裁を壊さない程度効果で表われているが、
 これらの全てがかなりエッジが鋭く捉えられているのが当ダニエルにの指揮による演奏でありなん。

 さらに曲の随所に現れるトレモロや打楽器そして幾分ダブりがちな、管弦楽を、演奏法(スルポンテイlチェロなど)アテギュレートをかなり明確に追従させて刈り込んだ表現のコントラスト生み出し、断片的に出現するフレーズの反復するパートの歌いこみにも余念を感じさせず、さらに全体構成の時間的配置される節の区切りをリタルダンドおよびアチェランドにて明確にし(*)、結果ドラマティクにて、かなり筋肉質でスポーティーなものへ変貌させている次第であり、これは自作やボールトの名演奏の概念の延長線上にての、本来忘れ去れていた、もう一つのこの曲の姿を再び見せてくれる次第でありなん。

NMLでなくともリアルに買うこと推奨。

(*)仔細は曲第一楽章8:11以後の木管のアティギュレートや、その後に弦楽のオスティナートやアルペジオ、と金管のクレッシェンド応酬から、リズムと歌が躍動して、クライマックスに至る10:57の手際の良さをご拝聴。12:11以後の、息の長いリフレーンに、今様に言えばシャッフルするブラックコンテンポラリーのようなシンコペイトのリズムを弦楽が応酬し、金管の加わる音の整理は鮮やかであり、これも最高の聞き所
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by dr-enkaizan | 2007-07-10 01:11 | 解説のない音盤紹介

ハルヒ二期決定

承前

現在ニュータイプ2007年8月号早売りにて確認可能

さて射手座の日の回にてのショスタコービッチ「レニングラード」ラヴェルの「ダフニスとクロエ第二組曲」「チャイコフスキー交響曲第四番のフィナーレそして最終回には、ハルヒが欲求不満になったときの破壊衝動により発する、閉鎖空間の内部で暴れる、巨人めいた「神人」のバックに流れるマーラー交響曲第八番の展開部の歌詞とマッチしているBGMでの使用などが、レコゲイの怪しい相談投稿などにも取沙汰され、クラ的に話題もおおかった前作。

 多くのクラメディアがまったく言及しない浅はかに、監督の山本寛氏が吹奏楽出身であることであり、選曲のこだわりもさることながら、映像としての音楽行為の表現に慎重な理解を示している、一部雑誌でのインタビューにおいてアニメでの音楽表現について拘りをハルヒでの「ライブアライブ」でのハルヒが助っ人にはいるバンドのシーンで実現している。

 方法は実際に器楽を演奏している人物の動きを撮影して、それを線画にして、アニメ上の手の動きを確保することであり、CG全盛にあまりに原始的だが、その趣旨には、器楽を演奏する動きをアニメーター事態がそんなに習熟しておらす、CGやいい加減な動きで再現されても、興ざめになるのが積の山であり、実際の演奏者音出しの動きをトレースするほうがアニメでのっ効果的な音楽表現たりえるとのことにて候。

これは射手座の日でのコンピュータープログラミングを「長門」がリアルに改竄するところでも、実際にコードかたコンパイルまでを本当にプログラミング画面を使用しているところなどとも。対象は違うが同じ趣旨の拘りがある。

 まあ、クラ的にはロックバンドゆえあまり騒 がれないが、そのギターにドラムスにベースの動きは、ハルヒ役の声優の歌唱力もあり、前ストーリ高水準ながらも、その人気の上位を争う回となっている。
一度みなさまもご拝聴推奨。
さて今回は何をしでかすのか京都アニメーション・・・・・。
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by dr-enkaizan | 2007-07-06 20:57 | 雑文

なにも語ることなし・・ただこれを読み聞くべしか・・・デーリアス「海流」

以下を承前の事

ポーマノックの浜辺から

Sea Drift または海の彷徨

自然の摂理に叶った音楽


もう書くことが無いぐらいゆえに、ヒコックス指揮ロイヤルフィルの同曲の入った、おそらく世界一番に当曲を解説したかのようなジャケッドをここに

私たちは20世紀に生まれたの s_numabe様へ
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by dr-enkaizan | 2007-07-01 22:46 | 解説のない音盤紹介

須賀田礒太郎:交響的序曲/双龍交流の舞/「生命の律動」 神奈川フィル/小松一彦

待望のナクソスの日本音楽シリーズよいよ 円海山的にはご当地横浜しかも神奈川フィルで、須賀田礒太郎氏の登場なのは誠に興深い事と相成った次第である。
 
 大戦により生活文化事情が変わり、忘れ去られてしまった作曲家の一人であるが、その作品大変に機知に富み、フランス近代に後期ロマン派に表現主義、新古典主義そしてロシア音楽などの熟知していることが窺い知れ、当時の日本が西欧文化の認識において猛烈な収集の勢いをもってなされたことが解り、同時代を生きた作曲家よりも個性は希薄で書法や模倣的要素がつよいが、その日本土俗から西欧の書法に及びたる、的確な語法掌握や用例は、ある点では共通する時代感覚をもつ、伊福部氏や早川氏の「所在をつねにプロンプトする音楽」とも微妙に違う多彩をもち、それは今のネットでの情報社会の先例をみるような、幅広い興味と好奇心とそれを支える知性などをこの人物が持っていることを証明するものであり、その点では深井氏など共通の日本人の、西欧の文化の歴史的および地域的な相違を同列に扱えた環境にいたゆえの、折衷的気質美徳において気質を共にするものである。

 この作曲家は忘れ去れたが、その博識なる幅広い書法認識を渇望する態度は、繰り返すが現在のネットやメディアでの並列化された情報を捨て選びしながら進む創作や論説の潮流に通じるものにて候。

これはある意味横浜という町に育った人物の気質とも愚考さるる次第。
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8.570319 須賀田礒太郎:交響的序曲/双龍交流の舞/「生命の律動」(神奈川フィル/小松一彦)


さて曲は皇紀2600年のコンクール受賞作「交響的序曲」
のレスピーギとマリピエロとヒンデミッドの合間のような、ポリコードやSUS4の和声や変形されたリディア旋法のバリエーションのような音階による前奏曲やアレグロそしてフーガとコラールと西欧新古典主義を標榜しつつも、後期ロマン派の劇的展開を模索する意欲作品に始まり。
雅楽の原曲を西欧語法と編曲の枠を超えて融合せんとした、「双龍交流の舞」
という個性の萌芽たる作品と、晩年の地方にて演奏される可能性の低い中、自己の興味でのストラヴィンスキー「春の祭典」や「ペトルーシュカ」、そして「火の鳥」あたりの語法を吸収せんとしたかのような和声や書法の追従著しい「生命の律動」というバレー音楽作品、そしてまた初期作品のリムスキー・コルサコフの異国趣味を模索する「東洋の舞姫」という網羅的ないようである。
惜しむらくは、さらに「横浜」や関東・東北のような氏の得意としていた可能性のある
地域性を音楽に当て嵌める書法のコラージュが世評さるる作品が聞けないことだが、かえってこの作曲家の音楽の技量の卓越と問題を計り知る内容と相成っている点になったので、続編を期待もしつつ、絶妙な選曲を評価したい。

なお録音は近年のナクソス録音では珍しいデットな傾向にあり、アンセルメのデッカのでの録音を彷彿させるところがあるのが嬉しい次第であり、ある意味そちら方面の方にも所見を伺いたいほどの感慨を持つ次第にて候。
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by dr-enkaizan | 2007-07-01 03:07 | 解説のない音盤紹介