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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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マルティノンの影武者?デュトワ バッカスとアリアドネ ルーセル組曲へ調

さて鎌倉スイス先生や、庭は夏の日ざかりさんのところでまとめてコメントしたルーセルの音盤でデュトワのバッカスとトアリアドネの録音について四方山を。

 デッカにアンセルメの録音したレパートリーを意識した、ロシア・フランス近代音楽録音をモントリオール交響楽団と次々と録音していた、ヂュトワだが、なぜか?エラートにオネゲルとルーセルのレパートリーは態々デッカにレコメンデンションをとって交響曲全集+管弦楽を録音したのは、大いに不可解な音盤録音史上の謎として印象付けられている次第にて候。

 それ以前もデュトワはエラートニはLP期にストラヴィンスキーの狐他の小編成の作品の録音があったが、現在は多少忘れられた観があり、いまだ未復刻らしいようである、それらの契約の延長上にこれらが位置していたのか、それともデッカ側で難色があったのか不明なれど、オネゲルとルーセルのマーケティングについてはそれなりに冒険であるのは窺い知れるような事情が想像される次第にて候。

そしてルーセルの管弦楽はバッカスとアリアーヌの第一組曲+第二組曲に組曲へ調の組み合わせでオケも交響曲全集のフランス国立とは違う、パリ管弦楽とのコンビでだされている次第である。
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しかし評論は多少の賛辞をしながらも、一般の知名度人気としてはルーセルは今一であり、世間から一時期廃盤として消え去る不遇となる。

 要因は?人々のデュトワの神経質な個性がパリ管弦楽団でどのようにという興味に反して、あまりに立派なオードックなオケの音色であったことがあり。
 後述の興味深いパートの強調なども滅多に聞けない部分がある拘りなど細部にあるのに関わらす、全般に堂々と鳴り響く熱いオケの音色に人々が興を失ったというなんとも今にしては贅沢な理由であると想像され、20年前にこの人物の、はた迷惑な固定概念イメージいかなものだったのかを推し量ることも出来る事例にて候。

 円海山で的に思うに、多くの者達が無防備にドビュッシー・ラヴェルをこのデュトワで推し進めるが、それは非常に愚かしいことであり、むしろデュトワの解釈はフランス近代音楽の伝統に立脚するのでばない、賛辞されるべき、その異質な軽さを武器に当該楽曲の再提示を示したところがあり、デッカの望んでいた路線上でのアンセルメを彷彿とさせる明晰な要点を押えた音楽作りでという要素があったにせよ、決してそれらの相違を踏まえないような、押し当てぶりはその蒙昧の度が知れる事態になりかねないと警告したいが、これはいずれの機会詳しく仔細例を挙げて・・・むしろ借りてきた猫のように、オケ自体パワーを信じて、パリ管弦楽団を振るデュトワのこの演奏こそが、この指揮者本質を知る上では重要であり、これも是非拝聴してもらいたい次第にて候。但し彼のドビュツシー・ラヴェルより曲の難易度は補償しかねる所にて候。

 そして時はたち廉価ブームの波に乗る形でワーナーに移籍したエラートは二名組のウルティマシリースとしてバッカスがよみがえるのは今の好事の方々の記憶にあたらしい。

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 しかしここで奇妙な事態が起こる、なんと当該に二枚組のブックレッドの表記を見る限り、ジャンマルティノンのLP時期未発表で、三枚のの撰集のCD化にも漏れたと思しき、組曲へ調の音源が表われる。
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なんとも見事な出来栄えで、その交響的表現は時に熱を帯びると、おもっていたが、某掲示板でそれはマルティノンの音源ではなく、上記デュトワの音源である指摘がなされるしだいで、そのブックレッドを注意深く見ると。

一枚のディスクで演奏家変わるごとに太字でつけられる演奏家とオケ表記なのだが、当該組曲はマルティノンが二回出現しており。

これを見る限りマルティノンであるかのようだが?
右下矢印部分をご覧になると 作品番号を当該とする録音年代が書かれており。
1986年以下略となっている・・・・
要するにマルティノンの死後10年後の年代ある。

そして肝心の音はウルティマのほうが多少高音域にクセがあり、違うように見えるが、表情付けは似通っており、仔細は言及は今回は省略するが、タイムの微妙な違い、これは前述国内発売時のデュトワの録音データーを見ると、
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同じ1986

おそらくデュトワの録音と結論がつけられる可能性が強い。

さてこの辺で詮索は終わりにして。

この音盤は非常に、パリ管絃楽団の機能を信頼したデュトワのワンランク上の、ささやかな拘りがあり、マルティノンを彷彿とさせるような豪快な表現に徹している組曲へ調を含め、全般に渡り丹念きくとスリリングなものである、筆頭はバッカスの終曲のバッカナールのワルツ部分の確保部分での背景のトランベットの華やかな、三連音による音階の上下が、見事に美しく演奏されており、これは多くの名演奏での聞こえることは稀なものであり、しかしルーセルの必然を感じるものであり、この辺の聞き所を見事に押えきるあたりにも、(16.:43)
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この指揮者スコアリーディングと言う点での信頼が、氏の一般に認知されるフランス近代音楽の華やかにとか爽やかと言う、在り来たり美辞麗句よりも、重要であるポイントであることを喚起しておきたい。

さてバッカスに絡む皆様には是非。
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by dr-enkaizan | 2007-06-28 00:32 | 解説のない音盤紹介

それは病気ではなく鍛錬なのだど言ってみるテスト(笑)

承前ほとんど動かないこともない。
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朝日の明るい悩み相談室にもありそうな・・・・ネタ系かも読売

#クラオタの世界は日々鍛錬なのでハードボイルドダド#
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by dr-enkaizan | 2007-06-27 02:17 | 康代さん

伊福部昭作曲、交響譚詩

 伊福部昭氏作曲 交響譚詩が、遠からん意味での示唆において、戦争の犠牲者由来の音楽であることは、その曲の2楽章の土俗の勢いを失い深い感情的側面へ向かう、構成が、おりしも南方進出(事実上は、物資拠点と航路確保のための他国武力による領地略取)に陰りが見え、戦意高揚がさらに望まれていた時勢との、その違和感に気づかない限り悟ることが出来ないことは、多くの好事の方々には周知の通りになるや。
 曲の馴れ初めは、戦時下の1943年の夏に書かれる、そのスコアには蛍光質(*1)により倒れなくなった、氏の兄君の勲氏を偲んでのものであり、それをヴィクター管弦楽コンクールにの送り、入賞し、国策により愛国的楽曲として、類似の経緯をもつ渡辺浦人の交響組曲「野人」(1941作 なお両曲の初演。録音はともに山田和男(後の一雄)によりなされている。)
等と共にいち早く録音もされディスクが出回り、著明な日本の管絃楽曲(*2)として知られるようになった次第にて候。

(*1)実際にソースが不確なるゆえに、多少正規のトピックで書くのはためらわれるが、日本の「蛍光質」の研究には多様な用途があり?

 一部で、知られる光弾性を利用しての材質本体の変形挙動認識の為の、竹・木質材料の造影に、鉱石の偏光、さらに塗料などの用途があり、一部の放射性をもつものもあり体に有害である、なお諸説ある伝聞ゆえの情報ゆえにさらなる仔細は不明であり、一部は後述の話とごったに伝えられている模様で注意が必要。 

 そして作曲者本人の伊福部氏も北大で木質材料 の振動(建材および航空機がらみか?)の測定の放射能体に変調をきたしており、北大にて林学を志し、そして林務官になった氏が、趣味の作曲へ職務を転向する契機になった。 


 なお氏の振動研究の片鱗は、音楽においても氏の管弦楽法の教科書に楽器の波形の倍音的な特性を言及ある記述や、当曲を含めす氏楽曲の器楽法に弦楽器の特殊奏法多様、はたまた、一躍有名された特撮映画「ゴジラ」での、チェロの音を歪ませた音で「怪獣の咆哮」の音響効果への監修等に伺える次第。 当時の情勢と照らし合わせると明らかに戦時の物資不足の打開を目論む由来での、新材料の開発に軍部からの発破がかけられてた事情が伺える次第。
(*2)戦後に渡辺は芥川氏の同曲の演奏会のプログラムに、野人の作曲の根底の由来が、表向きの表題を実は無縁であったかのような随筆を書かれており、フォンテックのライヴ盤で拝読できるが、本人は何ら意識していない文章ながら、芸術文化の戦中の祭り上げられたかを推し量ることが出来て面白い

 曲は、本人がスコア上で明言する悪化する戦局での管弦楽の人員の確保の困難を受けて2管編成(一部持ち替え)の小編成で作られており、戦局の悪化によると理由はあるが、巨大編成の日本狂詩曲の次の、近作の土俗的三連画の室内管弦楽編成の成果を踏まえた例もあり、これは前作ピアノと管弦楽協奏風交響曲の肥大、複雑化した編成と構成の不評を受たことと関連も一因があるのではと邪推もされルル次第にて候。

構成は第一と第二の譚詩からなっており
第一はアレグロ・カプリチィオーソとなっており、最初に桶の一撃のあとすぐに提示される主要主題は四拍子に三拍子と二拍子交差複合するリズムで、楽章中何度か表われ、曲の構成の主幹をつかさどる。それは常にリトミックで土俗的な性格をもっているが楽章ごとに微妙なアクセントのズレと管弦楽の違いを与えられており、氏の主題展開がストラヴィンスキーや師匠ティレプニンのような小節単位での細胞的な動機のプログラッシヴにあることが伺える、それらの主要なと主題の間に叙情的だったり、非常に野蛮な副次主題の推移が挟まれる構成概要をもつ、そして韻律においても、日本古謡の音階を教会旋法的な拡張を目指す傾向が現れ、時にプロコフィエフの使用するような白鍵盤での全音階的な主題などの主題も使われ、さらに七や九度の和声解釈での三度累積のハーモニーの幅のあるヴォイジングなどが顕著になり、前作で萌芽を形成した後年の音楽スタイルが昇華し、確立したことが解る。
 第二は、アンダンテ・ラプソディコであり二回の序壊急の構成を持つ楽章であり、前の楽章より内省的な音楽である、そのプロセスは冒頭の多オーボエの憂いあるソロから、弦楽の日本情緒ある歌が流れ、管弦楽で盛り上がり、最後の幾分リトミカルなオケの土俗的盛り上がりでオケが雄たけびを上げるというものであり、二回幾分の相違を経て繰り返され、最後にトランペットに導かれた冒頭のソロ回想にて深遠の沈黙を獲て終わる次第にて候。

 それらの管弦楽は前述の通り弦楽器の特殊奏法としてはハーモニクスや開放弦、バルトーク・ピチカート(駒板に弦を当てるように弾く)、引弓による重音など多用、そして打楽器ではティンパニーのバチの種類や方法そして、叩く場所の些細な文字指定があり、そのほか目立たないが常に多くの器楽が何らかの補強するような挙動を示し、小編成の管弦楽から多彩な音色と、音量を多く獲ようとした作曲家の配慮が伺える次第にて候。

これはストラヴィンスキーの火の鳥の1910年とその後の組曲1919-1945改訂や、ペトルーシュカの1911と1947の改訂を彷彿させるものであり、その和声や構成の簡素な整合性追従は師匠チェレプニン(*)の指導の賜物であることは想像に難くない。

(*)なおチェレプニンはモスクワ時代に生徒の一人であったプロコフィエフにおいても亡命直前にハイドンのフォルムでピアノを一切使わないオーソドックス発想で曲を作れないのかと挑発的ともとれる提言をしており、プロコフィエフが古典交響曲を書く経緯になったと伝えられる、恐らく彼がいち早く、春の祭典の外見で誤解されがちな、ストラヴィンスキーの音楽の緻密な書法主義の側面を見抜いていたところがあり、それらを安易に模倣肥大化した音楽を嗜好する弟子に、傾向、流布徹底させていたことも窺い知れる。
演奏としては1984年に外山雄三がNHK交響楽団とおこなった日本の管弦楽作品集での収録が非常に均衡のある演奏を行っており、

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録音の安定もあり、円海山的にはファーストチョイスとしてきき、その後、より作品の共感に満ちた初演者の山田一雄ステレオ再録音

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や弟子の芥川氏の演奏を聞くことで作品の存在する位置推し量りながら聞くことで、

伊福部昭:管弦楽選集
伊福部昭 / / フォンテック
ISBN : B00005EZTX

この曲の後半に拡散しゆく構成のなどの扱いの相違を大いに楽しむことができると、所見さるる次第。
 ただ細部としては芥川氏の演奏では録音レンジが狭く、ティンパニーなどの特殊奏法不徹底がるように見受けられ、それなりの割り切りは必要ではある。

たしょう仔細については、気が向いたら続編にて。

なおスコアは近年ポケットスコアにて発売がある。
OGT-302 交響譚詩
伊福部昭 / 音楽之友社
スコア選択: ★★★★★
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by dr-enkaizan | 2007-06-24 10:24 | 解説のない音盤紹介

脳内祭り

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ドクター円海山の脳内

脳内メーカー

ドクター円海山高校  8日連続上履き紛失 
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by dr-enkaizan | 2007-06-23 17:04 | 雑文

ヴァント/ケルン放送響のケクラン「ワ(バ)ンダール・ログ」

ヘンスラーのプロフィーレーベルは想像を絶する音源があるらしく、ケクランをあのヴァントの指揮にて聞ける来るとは思わなかった次第。NMLネタ恐るべし。

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PH05007 サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番/ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」/他 (ヴァント/ケルン放送響)

 ケクラが著明になった「ジャングルブック連作」からの物まね好きな樹上の猿たちの様子を描いた「ヴァンダール・ログ」であり、ケクランは自身の瞑想的な曲想のみならず、このスケルツオに印象派そしてドデカフォニーに新古典主義のフォーマルな対位法的書法を引用して、ある種の自虐的ともいえる新しい書法へ飛びつく作曲家や、評価する評論達を、原作にある周囲の動向を噂して物まねする猿達に例えて表現する、多層的な表現意図を目論む次第であり。

 曲は、印象派的な五度の累積の瞑想的な和音による静寂から、突然の滑稽な表現そして、音列と全音音階の登場で無調音楽へドビュツシーかシェーンベルクの間で無防備に飛びつく輩を揶揄して次第にそれらが対位法的展開でフーガに展開してゆき、行き着く先の新古典主義の形骸を揶揄しており、時に不整合な打楽器の衝撃は、ヴァーレーズあたりを意識しているのか、フォーマルな点での破壊にいたる音楽へのそれなりの、ケクラン的回答が見られる次第で、それらが一つの行進となって群れをなし、非常に野蛮で滑稽な異形の行列をなし盛り上がるが、突然のあらたるインパクトにて、ちりじりになり、猿どもは逃げ去り、元の静寂の森へ戻るといった、内容である。

これらをヴァントの演奏では性格を非常に明確に描き分けており、マルコポーロやジンマンのRCA録音などで納得のいかない音響が個々では非常に目的意識をもつ物として描かれ、全般を通して集中して聞ける充実感をもって味わえる次第にて候。

 これは世界初録音を敢行し、ケクラン音楽の紹介を勤めたアンタル・ドラティーのEMI録音以来快挙ともいえる次第であり、ヴァント氏のフランス音楽へのコスモポリタンなアプローチは、本来氏の評判ブルックナの側面が騒がれ過ぎたために、支持層を得られなかったことが、伺える貴重な音源である次第にて候。


 音楽が手法や国境を越える共通な言語であるのだが、昨今その音楽をするのに楽器や様式で差別化を図る傾向が強く、非常に偏向して聞かれる旨もあるが、、このヴァントのケクランはそれらが非常に無効であることを感じさる物にて候。
 とはいうもののケクランゆえの成果であることも否めず、ケクランの音楽に国境より瞑想的な展開での微妙な書法の端的ナ相違を味わうことに起因しているのも認められる。
一面クラ音楽を救った「マーラーブルックナーブーム」だかその弊害というのもこの際考えておく必要があるかとも思う次第であり、一時期ヴァントがブルックナー周辺持ち上げられ、その次での昨今の古楽器ブームにも、その手のケクランが揶揄する新機軸への蒙昧な追従をする輩「物まね猿」のごとき匂いがしてきたことを警鐘しておきたい。

 出来たての頃の新鮮もいいが、一度進化した書法や技術による歪み無い世界により成し遂げられる素晴らしさとはを考えると、ヴァントのゲシュタルト掌握の新古典的な演奏での、古典のケルビー二、そして近代書法に慎重な対応をなしとげ独自の均衡を保ったケクランの音楽は氏のブルックナーと同じ光を放つような次第にて候。

 尚録音はテレビ用音源であり一部を除き当曲はモノラルとされているが、明らかに分離しており、ステレオと変わりない処理がなされており、ナウンスが間違っているか?それとも斯様な擬似ステレオなのかわかりかねるほどの、素晴らしい音質でありなん。

HMVの宣伝から引用すると
【曲目】
1)サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調
2)ケクラン:交響詩「バンダー=ログ」Op.176
3)ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」Op.9
4)ケルビーニ:歌劇「アナクレオン」序曲
【演奏】
ギュンター・ヴァント(指揮)、ケルン放送SO
ルッジェーロ・リッチ(Vn)
【録音】
1)1970年12月1~5日
2)1973年2月10日
3)1967年10月27日
4)1975年10月31日、ケルン

追記10-10-08アンタルドラティーのBBC響との競演はCD化しており、秀逸な演奏を聞かせてくれる次第。 CDM 763948 2
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ブーレーズは水の中の太陽 自演 メシアンはクロノlクロミー他 パリ管弦楽団セルジュボード
なお作曲の系譜は、ドビュッシー→ケクランの流れはトゥルミエールというミッシンリングや枝葉のラヴェルのドラージュなどを含み、メシアン→ブーレーズそして武満という流れでゆくのは、ネット掲示板の黎明期によく話されていた。
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by dr-enkaizan | 2007-06-18 00:47

ゲーザ・アンダとヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン バルトーク

 最近一周年を迎えた、音盤好事の方々らはパレーの音盤などの、その書籍に復刻の解説等で「神」同然の、
s_numabe氏のブログ私たちは20世紀に生まれた の記事内容に円海山的の音盤鑑賞経験や趣向と非常にクロスオーバしうる情報が多く、目が離せない次第。
  それはこちらが主幹に扱う内容と、共通るところも多い、ロシア・ソビエト音楽にフランス近代の音盤に文化周辺などの秘話にはじまりパレーの音盤・書籍など多彩であり、非常に濃い情報に支えられた記述であり、80年代の販売音盤の事象の仔細ナ感慨と反応の記述生々しさは、当時のリアルタイムで少ない資金で音盤を集めていた頃を生々しく思い起こされる。


 さて今回にこれがこれほどに、注目されるのは、初めてではないかという
音盤が紹介されている。
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バルトーク: ピアノ協奏曲 第3番
シューマン: 交響曲 第4番
ゲーザ・アンダ=ピアノ、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
Deutsche Grammophon 447 666-
1972年の8/13でのザルツブルクのライヴ(ステレオ録音)であり

カラヤンのバルトークはオーケストラの為の協奏曲と弦楽器・打楽器・チェレスタの為の音楽は正規録音での音盤になるが?なぜかコンサートで取り上げるピアノ協奏曲第三番は音盤になっておらず、今回のライヴは正規リリースでは初めてであり、このあとの80年代の手兵ベルリンフィルとのルネ・デュシャーブルの音源も名演奏であるが、現在正規リリースがなされていない次第である。

 そして当音盤も、限定の上に、カラヤン好きとバルトーク好きの共通層が少ないうえにシューマンの四番好きも相乗して、発売後世間から瞬く間に消え去って、人々の忘却に消え去り、現在中古で安値という憂目を受けている。

 おりしも、当音盤発売の時期はインターネット前夜であり、ニフティーのコミュニティーという選民閉鎖的な情報交換のみがパソコン通信の情報交換の主幹で、雑誌も余りこれを取り上げて折らす、国内リリースも企画されないという状況であり、仕方ない状況であり、インターネット普及後も「クラシック招き猫」にても話題にしてもあまり盛り上がらない惨状であり、かなり珍妙な次期の狭間の知られざる名盤と相成り申す次第にて候。
その内容は氏の言葉を引用すると
「これは凄い顔ぶれ、カラヤン=ドレスデンの共演とは、この音楽祭ならではの珍しい聴きものだ」とその通り、円海山がバルトークのピアノ協奏曲第三番の推薦を考慮する時に必ず屈指する一つにある音盤であり、さらに今回は主幹でないシューマンの交響曲第四番も、ベルリンのものよりテンポ・ダイナミックスにおいて起伏が激しく幅広い表現が聞け、多少無骨なオケを神経質にドライヴしている作為的印象もあるが、しかし個々のパートのオケが応じようとする熱意による音彩は、すばらしきものであり、ある意味カラヤンの演奏史上では一つの良い演奏成果としての特異点を示す。

 話をバルトークへ戻し、そもそも、これ以前にバルトークは第二協奏曲にてフリッチャイとの競演でアンダでザルツブルクに登場したような旨が、ライナーにあるが、目ざといカラヤンは、事実関係は不明ながら、用意周到に競演機会を伺っていたのような、年月と自己鍛錬を望んだではないかというような感が、当演奏には成果があり、フリッチャイとの競演のステレオ音盤でも聞けるアンダの明確な表現に、カラヤンがさらに流麗を増して呼応するように、オケパートへの徹底した歌部分のレガートの効果的部分への徹底指示(*)や、バルトークの書法における対位法的線の明瞭さに、第一楽章の副次主題提示再現などのの推移に目られる、ポルタメントの速度按配(*多少注意して拝聴)などに代表される演奏効果の徹底、アーキュレイトなど、カラヤンの音楽美学とバルトークの晩年の書法の親和性の可能性を、恐ろしいほど感じる次第にて候。


(*)端的に解る部分は、第二楽章の夜想曲的なアダージョでの導入の弦楽のカノン交じりのコラールで、一瞬頭に乱れのある部分(2:18)などで、おそらくバトンに由来するレガート拘りに、やはり不慣れな客演先のオケが破綻をきたしている瞬間がある

怪人:ザルツブルゲン仮面って・・・・
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by dr-enkaizan | 2007-06-17 15:17 | 解説のない音盤紹介

潜水艦轟沈す

潜水艦轟沈すという邦題にてしらるる、49度線という原題をもつ戦争映画の音楽を含む、
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CHAN10244 ヴォーン・ウィリアムズ:映画音楽集 - 2
VAUGHAN WILLIAMS: Film Music of Ralph Vaughan Williams, Vol. 2
ちょうど鎌倉スイス先生の取り上げている
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KORNGOLD: Sea Hawk (The) / Deception
と同時期の1940である。

 この次期は、前年の1939年は、1935年にヒトラーによるナチス政権を樹立した独逸が、機動部隊にてポーランドを圧制侵略、そして1940年にはフランスへ、そのマジノ要塞を無効にする電撃作戦にて侵攻、ついにイギリスは大西洋沿岸に追い詰められたフランス軍を救うべく、ダイナモ作戦を発令し、独逸と実質的交戦状態に入り、イギリスへの爆撃なども始まり、国内防衛として空中戦を繰り広げる「バトルオブブリテン」などもおきる時期であり、参戦はしていないゆえに娯楽を極めたアメリカと、社会世相と戦争への不安を反映したイギリス双方の映画の姿勢の違う内容が、その音楽からも聞いて取れる次第にて候。
音楽として端的ナるは、どちらも黎明的な音楽の模索が見られRVWの映画は題材が独逸の潜水艦の乗組員の、作戦行動中に潜水艦を失い、逃げる数奇な運命を軸に舞台は、ヨーロッパイギリスそして米国大陸カナダとつづくもので、交響曲に見られる、独自の響きやトラッド調旋律はおなじみで、さらに幅広い音楽を筋書きにあわせて書いている次第にて候。
これらのうちで最高なる珍妙はRVWの書いたインディアンの音楽なども短くも聴ける次第。
コルゴルドのほうは海賊冒険物である。
スペイン帝国をあらわす音楽が誰でも思い浮かべる、ビゼーのカルメンからの闘牛士の歌(Chanson du toreador)の節を借用しており非常にベタでもある次第。
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by dr-enkaizan | 2007-06-11 01:46 | 劇伴奏

ラヴェルのハバネラ形式のヴォカリーズ小品

L.Tchkonia sings Ravel's "Habanera"
この歌手といい編曲懲りようといい・・・気になる。
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by dr-enkaizan | 2007-06-07 00:52 | ラヴェル@声楽曲

動向が気になる

承前1
承前2

これはある意味他人事ではないような人は多いのではとも思う次第。
円海山的には嘗て音楽データーベースの梅沢氏より六国峠海の家のたわいの無い、
「ドビュッシーの海の譜面問題」についての一部資料ついて、クロスオーバする旨の報告を受け、情報への慎重さがうかがい知れ、プロのかたの責任への思いが伝わり大いに共感させてもらった次第だが。

現在渦中の当事者のHP
 当該の人物は円海山もトピックの契機になった小説の紹介などカルト知識が豊富と羨望でああったが。・・・その情報の入手方法が、今後の展開によっては大いに幻滅するようなプロセスで無責任であったなら幻滅しえる事態でありなん。

 ともかく事実は明確に穏便なるなる当事者間のやりとりが望まれる次第にて候。

 いやはやかつて某現代音○ネガティヴキャンペーンで半生を過ごす作曲家y松先生や後進の育成に邁進して自身の活動ををブログにてご教示いただける鎌倉スイス先生がブログで嘆いている、正論の作り手への報酬、そしてオリジナルの名誉へ寄与が疎かになることへの危惧はこの辺で目に見える状態になっていることは明白にて候大いに憂鬱は八分音符台か16分への逼迫へ変わりつつある。


ちなみにとうブログは密かに
面白い漫画についての四方山と評論があり、いつぞやの森薫氏のエマにおいての「ひとさらい」とヨーロッパの「ユダヤ文化」の扱いを巡る問題など、漫画のなかの文化背景や血脈などの示唆に富んだ指摘もあり、非常に読み応えある内容で埋め尽くされている次第で、非常に推奨セルブログにて候。
青空やウィギでの譜面なそして廉価での配信など、情報が物凄い速度で経済を超えてやり取りされつつあるご時勢だが、
 さてこれを読むと、たわごとお許し願えるとして、某現代音○ネガティヴキャンペーンで半生を過ごす作曲家の高説する漫画選が自己満足の薄い開陳見えてくるといえば、とても円海山は意地悪だが・・・・あまりにあれで人に世紀ごとの漫画というには説得かけているような気がすると小声でつぶやく次第。
まあコンサートの曲目の紹介に曲目をくず呼ばわりような意地悪も許されるようなので・・あえて変に文化人ぶる前に本業極めてくれれば十分と、一過言(笑) 

憂鬱なクロッシュ先生

マニアはそんなに世間から認められることに酔いしれてはイケナイ(笑)ですよ。
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by dr-enkaizan | 2007-06-05 21:52 | 気になる・・・・・

追悼羽田健太郎氏

承前

世代的には谷山浩子のキャニオンでの最初のシングルでのピアノソロにはじまり、その後うアニメで、裏方としてすぎやまこういちの「イデオン」でのサントラでハードセッション、そしてムーの白鯨(*) 西部警察に、革命的なフュージョンクラシックのマクロスのサントラと、ピアニストというより作曲家の経歴を認知している世代でありなん、そして、コンサートやピアノを弾くことある機会にドビュッシーの曲を紹介したり、題名のない音楽会での20世紀の名曲で、参考から漏れた「招き猫でのプロコスレッドを見たのか」、なぜかその時は感情的にプロコフィエフを「ある意味では二流」と一括する選考の池辺氏にそれとなしに嗜めて、諸々の先行に漏れた近代曲にフォローを入れたりした見識と器量の広さなどが思い出され、リアルではあることからいくことになった、ピアノ+トーク演奏会での客層を見越し、駄洒落や、名曲に自作のTV主題曲そして弦楽など交えて、多少演奏は犠牲になったが、音楽の楽しみを身近にしてった啓蒙的な活躍の片鱗に共感を覚えた次第。

最近の題名の無いは多少な氏にとっても不本意と想像されるな、背景がらみ覆いにガラコンサートに成り下がってたが、しかしさらなる音楽の普及を目指し、独自の企画も押し通しており、その内容の回毎の格差は激しかったが、最後までそんな音楽の門徒を拡げんとした姿勢に敬礼し、ご冥福を祈る次第にて御座候。

(*)アニメに局所的にせよ、フォークロワにフュージョン。アフロビートにクラシックと多様な音楽様式のサントラの一部の楽曲に奇跡や深遠や苦悩の要素描写で、シベリウスの交響曲の第7番や6番の旋法的和声や刺繍するハーフディミニッシュ擬似終止や、全音音階のテイストを持ち込んだのは当時としては破格な事態と今後評価がなされるべきだが、多くのサントラ評論がフランス近代や北欧音楽への造形からの羽田の「ムーの白鯨」の評価がなされないのは大いに不服であり今後当アニメのサントラの再評価がなされるべきであり、その後のマクロスでの開花するアニメ・サントラ作品群の萌芽でもあるゆえに、さらなる全貌をリリース願いたい。(やたらブログで追悼に飛びつく人に提言:本気で追悼したい人は買うべき音盤)
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by dr-enkaizan | 2007-06-04 21:17 | クラシック