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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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守れ「音楽の絶対零度」の戦い

さて前回のトピックにあるケージの
「4:33」は嘗て円海山@熊蔵の常連していた開示版「クラッシック招き猫」で同様の意見を、表向きの奇抜さから、自分の蒙昧を棚に上げた層での、現代音楽の実験的要素への攻撃にさらされ、そのつど現代音楽の擁護者たる者達によるRESで、時には蒙昧どもを「血祭り」にしたり(笑・・・別の意外な事例(*)で、双方ケージにあきれたりした事がある、論争を生むにはうってつけの曲でも御座候
(*)同一のコンセプトで時間を変えた曲をその後作っており、確信から、いきなり二匹めの泥鰌
 実際4:33は演奏者の周りの雑音を含めた意味での、音楽の静寂の追求上での、ケージの真摯な仮定と確信により作られた意図がありと所見さるる次第。
 もっともケージの数々の創意はステージパフォーマンスの奇をてらった点の表向きで、(*)
しばし諧謔的姿勢なのだと誤解されがちだが・・・それもやむなしなところもケージの人となりにはあるのは否定できない次第でもありなん。

 ゆえに、ピエール・ブーレーズは、確立的作曲においての、その作曲家責任を放棄したことに批判し、またフランクザッパはこの創意だけでなりたつコンセプチュアリズムを、ライヒらのミニマムミュージックとともに避けるべき現代の音楽の語法踏襲として自らのクラッシックに積を於くところの前衛音楽を書いたという反面教師的扱いも受けており、それらは逆にケージの音楽語法が一元的に音楽に留まらないものであり、語法的模範としては問題があるがメタ的要素がある芸術作品として純粋すぎるところを逆説的に伺い知れるところもある。

 ケージにただ聞き応えという点で嫌悪感をもり斯様なトピックやコメントにネガティヴに擬態語などを交え、いかに、自らの素での聞こえは自由だと主張し、蔑むのを省みない向きもあるが?

 これは金の価値での引き合いなど無意味なほど、一般の消費物と異なり、ともかく芸術作品には時として考えさせられる、考えてみる価値もあると、円海山愚考するもの也。

これはもしかすると?自らに課せられた発展への糸口をみすみす見逃す愚行は是非避けたいものでありなん。

(*)プリペアードピアノや、図形楽譜及びに中国の易や鈴木大拙の禅にヒントにチャンス・オペレーションにより作品を決める偶然性の音楽、そして最近の例では演奏時間639年の音楽、第二のコードが鳴らされる 独などの機構などあり、純器楽の作品も含めると膨大な様相である。

実にこの曲には、そのタイトルから巷説さるることに

「33秒を秒数に換算すると273秒であり

物質の最低温度、絶対零度マイナス273度に一致する点に注目がなされ。

実際には初演での時間による決定がなされながも、実はその絶対0度の意図があるのではと囁かれてもいる次第にて候


 実際サティーの家具の音楽
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by dr-enkaizan | 2007-03-28 03:40 | クラシック

タミフルまで萌えになるこの素晴らしき世界


タミフル「へへ・・・私行動制限されちゃった・・・」 その1
かわいい・・・・・
うーんともかく被害の原因をはやく御国はつきとめなさい。

タミフル「へへ・・・私行動制限されちゃった・・・」 漫画1

ロシュ社によってうまれた・・・・・

お民ちゃんは大船生まれか?そうか鎌倉っ子だったのか。
http://maps.google.com/maps?hl=ja&q=%E5%A4%A7%E8%88%B9%E3%80%80%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%A5&lr=&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=N&tab=wl

我も行動規制されそうなのでこの辺で・・。
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by dr-enkaizan | 2007-03-23 23:26 | 雑文

金ちゃんノドンといってみよう(w

あるいみお笑い北朝鮮より笑えそうな
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北朝鮮なんでも大図鑑―金正日将軍様生誕65周年記念
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by dr-enkaizan | 2007-03-23 02:18 | 気になる・・・・・

ことは単純、書いてるマスコミはファッショ嫌いで音楽は二の次というお話。

想像力、または鏡に向かってキレるショートコント
まあ常識提示をファッショと称して切れる人物口がたち、良識はおいてきぼりにという。

チョウ○○新聞は何処の国の新聞か知れない状態になっており
「マナー違反対策」を「キレる客対策」とすり替えたのか、日本語わからないのか?


当該新聞の奇者は、さて・・・・音楽をすべて、受容形態をどこぞのライヴハウスでの軽い路線の「それ」へもっていこうとする・・・安い感動系の水準へ言論術をもって引き下げようとする意図がみえみえで、苦笑すらもおきる次第にてそうろう。

昨今のクラのポピュラリティーぶりは、嘗ての巨匠の伝説の時代を過ぎて、無理やり解りやすい状況や、楽屋落ちなどで、一体感や妙なコミュニティーを形成する路線、特定の趣味性に呼応してのマニア路線、さらに町おこしのネタなのか、無理やお祭りにして、よさこい祭りと区別が付いていない系など無批判に創意されすぎたきらいがあり、あまりに個人の趣味性を除いてその音自体を聴き楽しむ行為無頓着な次第なきらいがある。

 一部の向きでの、営利目的有無を問わず、親しまれたい不採算事業対策のクラ祭りへの、無批判に参加宣伝賛同してきた「つけ」がこの意識低下の助長にほかならない。

 音を楽しむということは、演奏会の第一の目的、それらに付随して、全ての事象が存在することを考えれば、雑音のうち不可抗力以外は、第一目的に相反するわけであり、回避をすることは当然な事は明白にて候。

もっとも・・・・ジョンケージなどのライヴパフォーマンスでマナー違反がでた時は、どうするか?
じつはさらに事態は深刻になる・・・

つまり・・・4:33の無音、ならびに内観的風景のように会場をトランジスターラジオもって歩きまわる、騒音の意味も本来は会場の沈黙の上にその異形がなりたつわけであり、聞き手は耳を澄まし0であることを望もうと思うのが道理にて候。

 それゆえに議論を吹っかける輩には、我々は「音楽の絶対0度」というスローガンをオタでなくとも解る道理として掲げよう。

その一言以外なにもいいようがなし(笑)さしずめアナウンスは消費されすぎたクラ音楽コンサートの「マナー温暖化対策」と とらえるべしか。

 その音での利き所の魅力の伝播を怠って、あまりに親しまれることに重点を置きすぎた結果が、これらの当たり前アテンションをファッショとして捕らえる向きが現れるという事態を引き起こしてる所見さるる。

アナウンスされなければわからない、ゼロを知らない馬鹿も世間を大手を振っ歩けるという、なんとも平和な時代なのかも・・(欝
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by dr-enkaizan | 2007-03-23 01:37 | クラシック

( ;゚д゚)))だめだ・・・私は負けている・・・・時代は「ツンキレ」

2007年03月19日


萎縮したネオ麦茶事件のような・・・大切な資源がまた火を噴いている、大事に至らないでよかったような。

うーん生ものなので・・・・。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/sinkoko_sinko/archive/2007/3/16


微妙に、ネット利用して作り物をたくみにしている点などは、つかみどころのあるところもありて、本来はと・・・・考えると気の毒にも・・・本当に常識と妄想が混ざっている。


おそらくTとダフ屋の問題が混戦してる・・・状況。


じゃあちょっと早いけど○○にむけて出発しますわねん(はぁと)が流行の予感。
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by dr-enkaizan | 2007-03-20 01:41 | 雑文

続一人レスピーギの和声に対する雑感

さててつわんこさんが、持てる語学と海外文化の知識にてドビュッシーの前奏曲集第一巻を、ブログにてトピックしてゆく件誠に興味深い次第でにて候。


ドビュッシー:前奏曲集第1集から第1曲「デルフィの舞姫」"Danseuses de Delphes"

ドビュッシー:前奏曲集第1集から第2曲「帆」" Voiles "

ドビュッシー:前奏曲集第1集から第3曲「野を渡る風」 "Le vent dans la plaine"を文学的に聴いてみる

 さて最近思うレスピーギのローマの松でのジャニコロの松での和声にて、その前奏曲集の第八曲の亜麻色の髪の乙女との類似も感じられ、当曲のドビュッシーイズムのレスピーギの傾倒および語法の吸収具合がわかる面白い瞬間であるゆえに、再度継続雑感を述べてみたい次第にて候。

 前回レスピーギの四度累積の和音組織を、巧みな扱いにて使用にいたらしめる点、言及したとうりだが。

そのあとの数回繰り返されるクラリネットのメロディーとの関係が非常に、興味深い事をおこなっている。
レスピーギのジャニコロの当該部分はピアノのカデンツアのアルペジオに続いて、継続する前述の和音の上をクラリネットがペンタトニック的要素のある牧歌的なメロディー朗々と演される次第。小澤盤冒頭から00:30
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 このとき、このクラリネットのメロディーは数回類似の形で、そして幾つかの器楽によって引き継がれ反復され、それらに答えるエピソードが挟まれ、中間で別の歌唱が始まるまでそれはつづく、そして展開され再び、クラリネットで再現され、有名なレコードプレーヤーの鳥の声件を経て、ハープのハーモニクスにて回想されて、弦楽の終止にいたる。

 上記殴り書きの譜面は、今回話題にしたい、その最初の部分の件のパーティセルに起こしてみた、妄想スケッチである、
ここで一度目のクラリネットの背景はメロディーからも、ここ記されている#五つの調号から解るようにロ長調の主和音(トニック:T)B69の和音にてなされており、前回のトピックに言及あるユニークでかつ広がりあるこの曲の特徴を決定付けるものである。

 そして舞台照明交代のようにその弦楽がミクソルディア的な節でオルガヌムの拡大解釈の背景和音の並行進行で、レスポンスのような歌が出現して、最後の部分の節の音により導きられた緊張ある和音C#m69からこの調性の下属和音(五度下サブトミナント)のE69へ一端落ち着く。小澤盤0:51-0:57
 さらにそして、注目すべきはこの上に最初に主和音上で歌われた節がそのまま最初の楽句にてはいり、次の音程跳躍で二音だけ構成音を変えてカンタービレになり、再び節を戻してゆく箇所があり、そのあたとは弦楽が揺れ動いて、さらに背景照明が変化するような感慨の上に三度目のメロディーが歌われていゆき先へ続くといったものであるが。小澤盤00:59

ここでの、二度目のメロディーの前後の拡大したオルガヌムとサブトミナント上での固定フレーズのメロディの扱いは、ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女の後半の、オルガヌム調の和声での主旋律の変奏のあとのサブトミナトの擬終止的な引き伸ばしの上に、高音で主旋律が回帰するところと非常に道具立てが酷似している点にある。

 その後のジャニコロでは対比音や二度を含む未解決な属和音の並行進行など、一般的なドビュッシーの和声語法のオンパレードなところもあるが、当該箇所でのオルガヌムと解決、メロディーの和音での乖離での、フォーマルな借用は、レスピーギのドビュッシー語法の慎重な研究を匂わせる次第にて候。

それは丁度鎌倉スイス先生のおこなったこれのようなものと推定される。
亜麻色の髪の乙女の主観的分析

 無論下属和音に合わせた二音の変化などそれらを匂わせないような配慮もあり、当作品が、レスピーギの印象主義とフランスで呼称された音楽の研究成果であったことをひたすら感じる次第にて候。

さて亜麻色の髪の乙女を聞きジャニコロの松思うのか、あるいはその逆か。
二つをご拝聴推奨。

 作りを時にいつくしむ時、レスピーギの仕事は下らないとはいえないのだが、・・・・世間のクラジャーナリズムにては見下し膨大な難解な未見なる情報を提示して、カルト的観点をありがたがる風潮は、余りに虚しく、短くも感覚に訴える仕組みに愚鈍なりや。
と言ってもこの妄想もカルトかもしれないが・・決して誇張ではなく、ご拝見の皆様の手元にあるものの「形」で御座候。

ここらあるなら時間をもって音楽ゆえあっての音体感すべし。
さて次回イタリアの近代音楽とファシズムの続きにからめて・・・。



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by dr-enkaizan | 2007-03-20 00:50 | クラシック

「言葉にできない」系面白画像動画

「言葉にできない」系面白画像動画
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・・・・言葉にできない(笑)
追記あの幻番組のあのCMが・・・・・
日光テレフォンショッピング メビウス君のんでも大丈夫か答えろよ(笑)女子アナ!!

日光テレフォンショッピング 大草原だからご飯が緑色はどうした・・・・!!

例の色鉛筆萌(W
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by dr-enkaizan | 2007-03-13 22:04

笑い男のハッキング画像を生成してくれるサイト

The Laughing Man Hacks You!
なかなか秀逸な出来栄え、写真の顔隠しはこれで行おう。
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笑い男マークを作った男ポール・ニコルソン[ukadapta.com |

元ねたアニメ言わずと知れた。
Ghost in the Shell STAND ALONE COMPLEX OP(O.A ver) hは除く
ttp://www.youtube.com/watch?v=pYMKfUSCAGw
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by dr-enkaizan | 2007-03-13 20:15 | 雑文

てんとうむしちゃんはエロかわいくと、蜘蛛の小父さんは、キャラデザがチビクロにやばいといえよう

さて日本戦時中に作られたアニメがようつべに・・・
それはくもとちゅうりっぷであり

同時期の戦意高揚アニメ、『桃太郎の海鷲』(1942年)や、その姉妹編の『桃太郎 海の神兵』(1945年)の間に出現した幕間のポエジーである。
これらは学生時代の手塚治虫氏他戦後のアニメの開祖たちにその道を指し示したものに候。詳細のレヴューは庭は夏の日ざかりさん にあり、その蜘蛛のおじさんを歌う御仁は、あの宇野氏の師匠という驚き。

くもとちゅうりっぷ

この春もアニメの新番組30本を越えるが、この乱造時代に生きているのが幸せなのか、限られた資材でセルなどは再利用していたとう先人達はこの時代を予想しえたのかしえないのか。

すみません旧式の水着がスクール水着にしたくてしたくて・・やりました・・・
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by dr-enkaizan | 2007-03-12 21:00 | 劇伴奏

レスピーギの「ローマの松」の時代雑感

 前回取り上げてているレスピーギの「ローマの松」の書かれた時代のイタリアは、年代で追うと?実に興味深く周辺の作曲家・文筆・政治家の活動が見られ、作品の傾向の一端をになっていたかのような、シンクロを感じる次第にありなん。

 レスピーギローマ三部作の最初のローマの噴水(1916)を発表して、酷評を受けた翌年1917年、彼の母国イタリアも参戦した第一次世界大戦が終結する。

 この参戦を国内に鼓舞し自ら義勇軍を組織して、参加し、話題になる活動をしたのが、私事のトラブルにてフランス亡命帰国した詩人・小説家のヌンツィオ(1863~1938)であった。

 この詩人・小説家のテクストでは亡命中のパリで仕事の『聖セバスチァンの殉教』(1911)が現在も、その担当を余儀なくされたドビュッシーの音楽とともに知れ渡っている。

 当時のパリ講和会議にてイタリアは第一次世界大戦の戦勝国でありながらも、国土に国益や権利は名誉的要素を除き、何らも恩賞ある結果が導かれない状況にあった。

 1919年9月それらを憂いた愛国者であった詩人は、その戦役での活躍と経験により、より強固なものになった国家主義的立場をもとに、復員軍人にての黒シャツ姿の服装での義勇兵を率いて、条約においてセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国に譲渡されるフィウメを占領しそれを、イタリア正規軍が鎮圧するという出来事を起こした。

 のちにこの黒シャツという、服装と独自のによるローマ帝国時代の模倣的な礼儀作法、とアジテーションの手法は、ムッソリーニにより多くが模倣され、フィウーメでの憲章を含めでファシストの先駆的行動といわれている。

 このフィウーメでの詩人の行動は、我が日本に於いても、70年代に起きた、三島由紀夫の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地占拠割腹自殺でのバルコニーでのアジテーション行為のモデルともなっているのは、かれが池田弘太郎と共に『聖セバスチァンの殉教』を邦訳しことセットで周知の通りである。
 その翌年1920年にレスピーギは、話題さめやらぬと思われる時期に、渦中の詩人のテクストにて4つの詩(1 夢 2 ナイアデス 3 夕べ 4 古い歌に寄せて)作成しているあたりに、ダヌンツィオの行動に対する愛国主義的な行動への道義的な共感がとも邪推さるるが、ここでは飽くまでも仮定の話ではあると留意されたし。

 しかしながらレスピーギそれ以前にも1909年ごろに二つある歌曲集にも、ダヌンツィオのテクストを幾つか使用していて、そのころ詩人が1910年に債務でパリへ一時亡命しており、それに呼応しているかはさだでないが、この1920年の歌曲集において再びレスピーギ使用するまで、テクストとしては久し振りの使用であるのがこの仮定の意味深さを際立たせている。

 そして詩人はレスピーギの同時代人で80年代派と括られるマリピエロそしてカッセラとともに、近代イタリア音楽普及のための音楽団体「イタリア新音楽協会」を組織する次第で、イタリアのオペラ中心の音楽事情から打開として、古楽~バロックの音楽の復興、そして器楽音楽の発展を中心に愛国的なイタリア復古主義の活動を音楽にまで広めていく、丁度イタリア未来派の活動を阻むかのごとく後ろ向きであり、ジャニコロの松でのレコード導入にヒントをもたらしたルッソロらの雑音音楽での未来派の活動も言及したいが今回は80年代派に筋を戻すと・・・。
 それは時にローマ三部作の二作目のローマの松の作られる一年前1923年であり、同年にレスピーギはローマの聖チェチーリア音楽院作曲法科教授の地位に就く。

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Malipiero: Inventioni; Vivaldiana
バロック期の書法を近代的語法をもって静寂に再構成した観のある作品群が聞ける。
ヴィヴァルディアーナはその活動の一端をしめすものであり、レスピーギの鳥あたりと比べると物凄い地味ではあるが、フランス的語法を経て到達していた境地をことさら感じるものにて候。
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Casella: Paganiniana; Serenata; La Giara (Symphonic Suite)
当作曲家はフランスに学び、若き日は、ラヴェルの同人集団アパッシュのメンバーであり、春の祭典のストラヴィンスキーと親交をもち、初演も経験しており深く傾倒していた、そして、当時のウィーンのマーラー~シェーンベルクの音楽にも興味を示しており、マーラーの七番のピアノ編曲なども最近知られている、大戦後はストラヴィンスキーのあとを追うように新古典主義へ転進しており、この音盤はそうした新古典の時期の作品ながらも、一部は春の祭典を彷彿させる三度形の和音の不協和な低音のリズムではじまるタランテラや、レスピーギのジャニコロと近親であり、その和声の地中海的雰囲気ではギョスタ・ニーストレムの第三交響曲と中間の先駆になるようなアリアなどが聴ける。

 さらに同時期にやはりイタリアバロックに慧眼し、近代書法も吸収し作曲ならびに教鞭をとり1923年に、ミラノ音楽院院長に転出したピツェッティも、ダヌンツィオの戯曲のための劇付随音楽を多く担当しており、器楽復古によるイタリア音楽へ愛国的復興活動を志し、次第愛国的風潮に迎合しており、のちの1940年代にはファシストと交わりを含め、日独伊三国同盟の象徴的出来事の、「皇紀2600年奉祝曲」にて交響曲イ調を日本献呈することが広く知られてゆく。
関連記事
ピツェッティ/「ピサの少女」&「夏の協奏曲」

 レスピーギ自体は「ローマの噴水」で会得具合が解るようなフランス近代の印象派と呼称された、書法に加え、それ以後の1917から当年1923に至り、バロック以前のイタリアの古楽や、グレゴリオ聖歌の教会旋法に触れた故の書法的影響もしくは、再構成する作品など発表すつずけている次第であり、それはまさにイタリアの第一次大戦後の愛国的なイタリア復古主義の活動にむかわせ、フランスの近代音楽と別の方向を模索しようと心境を想像させるのは容易でもあるが、どうも社会的な国家主義とファシズムの風潮の芸術的が無視できないのは必然の結果でもありなん。

 これらはこの80年代楽派は時に新古典的あったり、ロマン主義であったり、一部のパリで学んび、10年代のエポックナ進化を体感しての恩恵たるモダンな書法と様々であるが・・・レスピーギの作品と微妙に相互影響をもたらしており、昨今レスピーギの単体での捕らえ方より80年での周辺をして捕らえる必然が、好事の方々に囁かれている。

 そして、80年代派のイタリアの作曲家の各位、モンテヴェルディやフレスコバルディそしてヴィヴァルディにイタリアのバロックまでの古楽や教会音楽を研究しており、それぞれ新古典主義やロマン主義に近代音楽的な模索を国家的風潮を加味しながらも進めてゆく。

 そののちファシズムで後進参加して急進的になる独逸のカールオルフも、同様のイタリアの古楽の研究を進めていき、独自のリトミック論理と近代管弦楽を駆使して「カルミナ・ブラーナ」を発表する14年前の鼻先にて候。

と、「そのとき歴史は動いた」みたいなところで区切りをつけて続く。

次回はこれとは違う一度過去に遡り和声の影響の源泉を、ドビュツシーの前奏曲集やストラヴィンスキーの三大バレーに見てみたい次第。

なお80年代楽派の音盤をここに追記予定。
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by dr-enkaizan | 2007-03-11 04:25 | クラシック