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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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パチンコCR涼宮ハルヒの憂鬱

あったら打ちたい・・・・。
パチンコCR涼宮ハルヒの憂鬱

なおハルヒの「あついから」の後のハルヒ+キョンのダブルリーチで突然確立変動で千人のシーンがカットイン・・・。フロイト先生も激アツだせ!!!
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by dr-enkaizan | 2006-11-28 23:53 | 気になる・・・・・

高雅にて感傷的ワルツ-おかわり

さて着々と分析解説の進む鎌倉スイス先生のラヴェル作曲の
高雅にて感傷的ワルツ
三つ目のワルツへ
高雅で感傷的なワルツについて -03

さらに管弦楽版の音盤を比較続行
アンセルメ指揮スイスロマンド
恐らくブーレーズの演奏の次に明晰で打楽器が元気な演奏だか、フランス系譜のダブルリードの伝承的演奏方法を色濃く残している演奏に好みが分かれる次第。
(7:05当りの五番目のワルツの主旋律あたりがその代表)
とくにコルノアングレィの仄かに色めいた音色は注目が行く次第。
その後カップリングではラ・ヴァルスのジョイントするのが関連を仄めかすナイスナ選曲か?
第一のワルツでの金管と弦楽の微妙なブレンドは、何が響いて、何が響かないのかを見事に選別しておりこの点でもブーレーズ盤と双璧な次第だが・・オーケストラの機能のクセが議論の対象になる。
そして第二ワルツでの終盤のブレジオレッドの扱いの繊細は特筆な瞬間を提示する。
ボレロ/ラヴェル・ベスト・アル
アンセルメ(エルネスト) スイス・ロマンド管弦楽団 ラヴェル / キングレコード
ISBN : B00005F6NE
じつに面白いのはデュトワの演奏での木管がフランス系の器楽ではないに関わらず、その辺の音色を踏襲しすぎていて非常に「ベタ」になっている点であり、このアルバムでは非常に鼻につく弱点となっており、円海山できには推奨しかねる出来栄えになっている次第である。
実は先人を讃えていた気持ちか不明なれど、器楽に相応しい音が出ていないラヴェル:マ・メール・ロア
デュトワ(シャルル) モントリオール交響楽団 ラヴェル / ユニバーサルクラシック
ISBN : B00005FLOU
スコア選択:


かような大袈裟な身振りは、スーパのレトルトのご当地食品の如し「何かが違う」味わいにて候。

しかし一度ご拝聴の価値はありと所見

次回はマルティノンからロザンタールあたりを。
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by dr-enkaizan | 2006-11-27 22:39 | クラシック

造形の深き怒りに感銘

蕎麦にまつわる話

最近のムック系「俄かマニア」の横行へ一矢報いている一文に注目、体験は文章の遊びより深い如し。

ハッタリ君・・・なにか流行しそうな気が・・・。
応援TBメイド派遣a0007939_0485873.gif

追記こちらも蕎麦がらみで世相を憂いておられますので関連TB
ショスタコーヴィッチ作曲、弦楽四重奏曲第15番
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by dr-enkaizan | 2006-11-22 00:49 | 気になる・・・・・

優雅(高貴)にて感傷的祭り

高雅で感傷的なワルツについて -01
高雅で感傷的なワルツについて -02

活動を再開した鎌倉スイス先生の破竹の授業ネタシリーズ
こんかいはラヴェルの問題作ともいえる
「高雅で感傷的なワルツ 」
 この作品最初はシューベルトのワルツを想起することが発端ながら、半音階的で飽和する和声の急進化、そしてそれらを駆使しての官能的な表現は同時時期のダフニスとクロエの試行ともいえる位置づけとも、鏡そしてガスパールでのピアノ曲の道筋として順当な過程を示す次第にて候。
ラヴェル:夜のガスパール
アルゲリッチ(マルタ) ラヴェル / ユニバーサルクラシック

一番著明で入手し易い
冷静な点ではフェブリエの演奏がお勧めだがこの演奏は演奏芸術にも揺らがないラヴェルのエリクチュールを楽しむ点で注目すべし演奏にて候。




多くの一般的解説はネット転がっている次第なのでそれを自助努力で検索されたし。

 その経緯で、面白いのは発表時は匿名作品として、その作品をアンケートで宛てるサプライズで初演さるる曰くつきであり、ラヴェルであることを宛てたものは少ない状態であり、パリの聴衆の教養主義の形骸化しての、無碍に「非アカデミズムを賛美」している、「アンデパンダン支持者達」の「名前だけでの評価」での「蒙昧」を皮肉る結果になった。

 その後バレー用の楽曲として管弦楽化され青年の初恋の失恋と、再開のハッピーエンドを描く「アデライデ(花言葉)」として1912頃に上演される次第。
ラヴェル:ボレロ/クープランの
ブーレーズ(ピエール) ニューヨーク・フィルハーモニック クリーヴランド管弦楽団 ゴンバート(ハロルド) ラヴェル / ソニーミュージックエンタテインメント
ISBN : B00005G7PO
スコアの明晰な再現はこの演奏第一に・・



同時上演にはフローランシュミッドの「サロメの悲劇」にポール・デュカスの「ラ・ペリ」そしてヴァンサン・ダンディーの「イシュタル」などがあり、翌年のロシアバレー団が仕組む、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に蹂躙されるパリの最後の華を飾る。

さて鎌倉スイス氏の分析には、一寸した推理小説のような複線による「落ち」があり、予告されている管弦楽への言及が成されれば、それは成されると診断さるる。

最初の第一のワルツのヴォイジングをバスから初めてラヴェル独創性説明しているあたりが、それであり、もしスコアがある方々は当該部分の金管および第一ヴァイオリンと打楽器のティンパニーおよび低音楽器を見ると氷解する次第であることここにひっそりと言及しておく次第にて候。


 さて追記ながらこの曲の楽しむべき要素である「構成」は、七つのワルツにそれらを回想する緩やかなエピローグがあり、辛辣で華やかに始まり、ときに憂鬱に時に情緒的になりながら幾分の盛り上がりと、透明な音彩にて、次第に表情を緩めてゆく様での「ツンデレ」振りを堪能することにあると、愚考する次第。

 とくに、管弦楽版ではそれが後付のストーリとしてバレーになる経緯もあり、決してそれを意識して編曲したのはないが、そんな話も浮かぶような有様が展開されている。

そんな各ワルツの特徴と管弦楽法を見事に解説したのはブーレーズの件の演奏だか、それにほかにも、別の切り口でたのしませる演奏もあり各位のコメントも期待したいが・・・円海山的に興味深いと思う演奏は。
小澤指揮ボストンSOの演奏の管弦楽のテクスチュアがレジョロな手触りある質感に満ちている
演奏や、一気唖然に引き締まったテンポで成されるも、一音も疎かになっていないポール・パレー指揮デトロイトSOの演奏などがある次第。

ラヴェル:ボレロ
小澤征爾 ボストン交響楽団 ラヴェル / ユニバーサルクラシック
ISBN : B000I0S8JC



ラヴェル:ダフニスとクロエ
パレー(ポール) ジョンズ(マルコム) デトロイト交響楽団 ウェイン国立大学女声グリーン・クラブ ラヴェル ドビュッシー / ユニバーサルクラシック
ISBN : B00005FFS3
 
さて皆様のお勧めはコメント&TBにて。
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by dr-enkaizan | 2006-11-20 18:58 | クラシック

祝鎌倉スイス再開祭り藻前ら(笑)プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」関連記事祭りをしやがれデスゥ

ロメオとジュリエット第2組曲について
遂に編曲が完成しつつあり、よいよ限定ながら再開喜ばしい限りにて候。

さて関連になるロメジュリの第二組曲の当該曲の第1幕の「騎士たちの踊り」
部分は近頃テレビのCM&ドラマで何かと話題にて候。
「モンターニュ家とキャプレット家」=バレエ版の第1幕「太守の宣言」+第1幕の「騎士たちの踊り」
参加したい各位はお勧めの演奏をここに提示TBして簡素にこの再開を祝いやがれな次第。
よってメイド派遣

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このロメジュリと言えばクラウディオアバドの若かりしころのデッカ録音の異様な抜粋、の音盤我推奨セリ。
プロコフィエフ:交響曲第1番
アバド(クラウディオ) ロンドン交響楽団 プロコフィエフ / ユニバーサルクラシック
ISBN : B000060N6F
に含まれる、カップリングはこのほかにディアギレフにスキタイ組曲をお蔵入りされ末に作った「道化師」の組曲が入る。

 冒頭の宣言告示の引き締まったピアニシモとフォルテの対比は後の大活躍を予見する才能の閃きであり、騎士達の踊の暗い劇的を衝撃的に導き出す次第。

そしてリズム系の楽曲とマンドリン系の独自の抜粋と左右の音像移動を駆使しての舞台的効果など選曲と録音ともに工夫多き演奏を収録した優秀なる音盤。
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by dr-enkaizan | 2006-11-10 01:10 | クラシック

あちこちで

鎌倉スイス先生のブログの休止、そしてノンセクトラディカルな毒性のつよい親父の小言がいかしている社怪人日記2006さんの活動凍結など、各位の休止からかなりたつが、周辺を冷静にみるとネット黎明期から活躍しているサイトは過去形のものが多く、その当時の活躍している人物も、矢面にたっているケースは稀になりつつある次第。


 さてこの円海山も休止的な活動状況ゆえになんともいえない立場だが・・・・・。
多少淋しい思いをしていることも考慮に、スパンを置いてでも潔くなく活動を進めて欲しい次第なのだが。

 不特定多数の見て評価を下し、コメント欄にておもむろに批判および非難そして批評をこうむらなければならない要素のある媒体での配慮に疲弊しての顚末と診断さるる次第にて候。ゆえに多くの電脳に在する書き手の一部はソーシャルの道を歩み、その不特定多数への道から背を向けているのも頷ける次第にて候。

 かつての商用ネットワーク時代にあった、特定者技術の情報機器ハードルを越えて一般家電になってパソコンとインターネットは公道状態であり、それらゆえに、上記の安心が望まれる時代へ移行しているのは商用ネット時代の「悪しき」排他的状況が、実は「安心」への免疫防衛機能だったことに他ならないとも愚考さるる次第だが・・・・・なんとも複雑な気持ちを持たせる時代逆行振りでありなん。

以前から思うことには、要するに自己主張や表現らを受ける掲示板的要素には「敷居」が必要であり、それらはブログの書き手や掲示板なら管理者の運営方針が、個人に基いていることを流布させるに相応しい、キャラクタリゼーションと理論であり、掲示板での場の流れのもって行き方などがそれに相当するのでは思われる次第にて候。

今回惜しまれつつも休止に至った長寿掲示板も「不用意に門徒」を広げ余りに議論の低下を防げないことが、最大の要因でもあり、上記の敷居の概念の問題をさらに感じさせる事となる次第にて候。

あくまでもブログや掲示板は選択の余地があり、読み手が合うと思われる言説に応じればよいわけであり、それ以外にものに断罪の批判やネガティブなコメントを行う行為は、余りに反社会的なものそしてモラルの欠如に対する対象ならいざ、またそれ自体、むしろブログ側としては感嘆に削除するか排除することが出来、揶揄や、話題性にもってゆける有効なネタになりつうあり、その行為をする側の思惑とは別の方向に向かうこともあり、本人にとってはあまり効率の良い行為ではない。そうした光景も多数見てきたが大概は「略」あつかいになるおは必至なのである。

このことは今後団塊の世代がネットに参入して、ネットの文法を知らずに同様の行為をし始めると予想されるゆえに急増する恐れがあり、今後と注意が必要になる事項と診断したところで、筆を置かん。
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by dr-enkaizan | 2006-11-05 22:34 | 雑文