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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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ボブ・モーグ博士追悼-1-

ITmediaニュース:「シンセサイザーの父」ボブ・モーグ博士が死去

楽器としてのシンセサイザーの創始者であるロバート・A・モーグ博士が8月21日、脳腫瘍で死去した。71歳。

 氏の功績はシンセサイザーの開発と括られるが、その制御方法の発想が画期的であり、電子知識を音楽の符合する点で展開させた点にある。

 通常は音階は基本周波数から二倍の周波数のオクターヴを12分割させる、非直線形な対数的関係になるゆえに、それを電子制御で再現使用となると、対数的な数値の抵抗を用意しなければならないゆえ、物理的に安定させることが困難であったが。

 モーグシンセサイザーにおいては、電圧制御の段に対数的増幅器を設け、1オクターヴ=1Vの関係を作り、それにより一定の数値の抵抗列でその乗数を制御させることで、器楽的な安定した音程とキーボードおよび可変抵抗媒体を応用したリボンコントローラにベンドホイールなどの、各種タブラチュアライスしたものへの応用を容易なものへとした次第であり、各種モジュール制御などへの応用にも使用され、それはMIDIの登場まで長らく一部を除くシンセの統一規格となっていた。

 まさにピタゴラス~平均律へいたる流れにによる周波数と音階の音楽定義を電子制御系において再現したことこそ、前駆的発案はあるものの、徹底したモーグ博士の天才的な閃きがある次第。

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 この制御に基いて、多様な波形を発生させる発振機(VCO)に、それらの複数の混合や平衡変調そして白色雑音・下限・上限域での共振を伴うフィルター(VCF)音の抑揚をつける(VCA)さらに一音あたりのそれらの時間的な抑揚・減衰・持続・余韻(ADSR)の変化をつけるエンベロープジェネレーター(EG)、ヴィヴラート低い歪みをつける、低周波数発信機(LFO)が音楽的な理由をもって存在しえて。シンセサイザーの器楽としての完成度を確立したのはゆるぎない事実とも思われる。

 いずれにせよ、今日デジタル及び違う音源形式に成り代わってこそだが、機械的障害を克服したモーグシンセでの定め確立した音楽への器楽的な制御のパラメーターの定義は、受け継がれ、パソコンからゲーム遊戯機に携帯にいたる電子音楽氾濫する今日に至っている。

そんなモーグを知らしめた音楽は後ほど。
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by dr-enkaizan | 2005-08-25 02:10 | 現代音楽

サイモンラトルの「海」他(1)

さて休止間に発売されし、サイモンラトル指揮ベルリンフィルのドビュッシー管弦楽曲集での「海」について言及。

ドビュッシーの誕生日でもあり・・・・・


 今回の音盤のセッションは2004年の後半になされたものが中心であり、曲目がパユの滑らかなフルートが一層アバドのときより、枯れてきた具合が素晴らしい、牧神の午後への前奏曲で始まり、二度目の提示郡の低音のトレモロ体感が心地よく、細部の表情付けの拘りは往年の演奏に+アルファーの視点を添えつつも、目新しさに溺れない不思議なラトルワールドの世界が静かなる爆発をする次第。

 オーボエの第二主題がでて盛り上がる部分でのテンポの自在感はドビュッシーのピアノ曲それが管弦楽でのそれと同一に地平にあること物語る。
ある意味においてはアンゲルブレシュトのステレオの62年ライブの名演奏の、説教臭さと古めかしい表情を取り除くとドビュッシーのパートの重層する構造をもっとも理解した演奏の可能性が大きい。スイス鎌倉さんの指摘するブーレーズ指揮ニューフィルの演奏が、lその欠点としてオケの旧態を処理しきれないで、それを解説した演奏と好対照ともえいえる次第。

ぜひ!かのトピックは読みながらラトルを拝聴することは必至にて候。


さてメインのドビュッシーの海は最初に六国峠的始点では

風と海の対話の練習番号60-8での弦楽への金管はなし

練習番号62は断続から連続のフレーズ

そして63は三連音のコルネットはなしで、トロンボーンのオクターヴ上をなぞる
という状態で
通常のでデュランの1909-38の演奏会用スコアの新校訂である

 ラトルはもしかするとこれをさらに、エディショナルペーターのマックス・ポマー校訂の旧版肯定な(1971年)姿勢を妥当すべくリファインした1997デュラン・コスタラの全集版譜面を演奏譜面に反映させた可能性がある。

 演奏の詳細は後ほど語るが、一口に言えば、近年フランスか交響的的などちらかの拘りで括られた演奏が多い中、両者のどちらにも属さない、ドビュッシー作品としての追求を行った演奏がこのラトルの海ではとも思う所存。

 そしてバレー「玩具箱」(ドビュッシーの指示に基く後述のキャプレ編曲)にも、それらはオマケのドビュッシーのピアノ曲前奏曲集1-2巻から三曲を抜粋して、あの冥王星で一躍話題になったコリンマシューズが管弦楽に編曲した「三つの前奏曲」でのピアノ曲の編曲(*)という視野を越えた、内在する心象風景を再現しようとするコンセプトへの拘りにも一貫しており、今回の色物は逆にラトルのドビュッシーの音楽への、明確な骨のある見解をにおわせるもの。

前奏曲集第一から西風の見たもの
とくに管弦楽に編曲すると、ペレアスの修羅場にいたる場面や、海の第三曲と同じ音楽発想の血脈もあり、さらにサラバンドやグラナダの夕暮れの頃か愛用している、未解決の二度音程を並行する書法が、実に目立つ聞こえ、イベリアのスケッチ帳に書かれたとされる、同曲集の「沈める寺」当りとも符合する、前奏曲集第一での書き癖のようなものを体感できる。

前奏曲集第二から「枯葉」「花火」
前者は、ラヴェルのダフニスの間奏曲にもある、エリックサティーの星の息子あたりの、ソノール的な和音)の語法消化の痕跡があるような、四度累積の和音を展開して、緊張度の高い状態で平行移動(ブーレーズ言及)したり、特殊な狭窄音程の伸縮を含む旋法と、次の曲にもあるストラヴィンスキーのペトルシュカで多用して、ホルストなどが注目した対比する関係の和音交差
が第二集を貫く書き癖であり、これも見事に管弦楽で体感でき、時に、ドビュッシーの自身のアッシャー家の崩壊(未完)とそっくり所や、ストラヴィンスキーのペトルシューカなどを彷彿させる面白さもある。

追伸:タイトルが「早坂」している右脳な舞・左脳な迷さまより、最近誰も相手にしない「海の家」について「血が騒ぐ」とお褒めを頂きました。
恥ずかしいやら、嬉しいやら・・・・有難うございます。トラックバックしたのですが、パワフルゲート失敗の子ナナのようにはじかれておりますので、てめいのブログでお礼を申し上げます。


(*)追記:ドビュッシーの前奏曲の編曲といえばビュッセル・キャプレの編曲にストコフスキーなどが管弦楽として知られているが、前記事「MOOG」に関連するところではあ他の有名な編曲をこえた「次元の原曲の世界の延長」なる冨田シンセ作品に数曲また旧ソビエトメロディアにシンセアーティストのLPを目撃したおりに曲目に「帆」の編曲があったような気もして、70-80年代のモスクワ放送でニュースの合間の音楽に流れていたのがそれの流用と思われる不確かなものまで記憶される。(この辺追記ゆえでおかさんのブログへTB)
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by dr-enkaizan | 2005-08-22 23:49 | 六国峠海の家「海が好き」情報

いろいろ忙しくて小休止

 さて盟友ブログのコメント欄でという不親切な告示とおりの小休止
もうすぐ解除にて候。


 音楽界隈の掲示板の場末的な世間一般では、遠まわしな誤謬を含んだ先にボケているスタンスで言う次第だが。用語としての「器楽の一番パート」と「主席」と「首席」及びオケの必然的ナル管理者の区別つかない人も、医療業界にでは「音楽通」で通る「暢気なご時勢」とか、まあねぇ・・・・音楽の用語の知識の蒙昧さを棚にあげて、もっともらしく「序列は芸術の要素じゃない」という「帰結」で(笑)一番奏者を否定したら四管編成の曲は芸術で無いようなことになりますぜ・あっマーラーの悲劇的の編成は何管編成かなぁぁ・・・・本当の●●さんフフフにて候。

あの話は、医●(拙者は医者じゃないけど)でいうなら(笑)人間は平等であり、同じ崇高な医療に携わる心さえあれば、技術よりも、社会的地位よりも、という論理で、オペ時に執刀医と助手に平等に手術作業に権限を持ってくれというような(略・・・・・桶だって人間の集団で・・超人ではない、芸術という霞を食っていると思っているなら?  さて、それはとんだおやじカマトトなほど育ちがよさそうで、少しうらやましい次第にて候。


 しかし揶揄するも、今の吹奏当りの連中には音楽を楽しむより体育会系論理での一番パートを目指す連中がいるあたりから・・・ある意味●●氏は虚から実を捕らえているのは事実。
 実は器楽が美味くても欠けている奴は「五万とイル」のは事実・・・・。

しかしながらオケというものがどのような機能でなりたつかを見ると、音楽技術に加えて、政治的、社会的※な技量管理体制は必要な次第。

かのシカゴ交響楽団のオーボエのトップ奏者スティル宜しくの、マルティノン時代との確執から尾を引く、パート間ではに口も聞かない人間存在しているあたりのエピソードがあるぐらいである。
 ライナーのドイツ体制を改造しようとして、マルティノンはそのシンボルみたいな、スティルをトップから三番に降格させようとして、逆にオケメンバーと上層を掌握していたスティルに顰蹙を買い、かれら一派の内部に政治的操作でオケが賛否の二つに分裂し、その責任でマルティノンが追い出されるようなことがあったのも事実。

 それはショルティー時代にも残り、それを解決しようとしたショルティーにも、スティルは「口をきかなくても」「仕事して音楽はかれらと最高にこなせている」というような旨を述べてノーサンキューを出したという、後日談もある。

 ※「のだめ」読んでほんとにオケをあんな風に考えて、音楽に詳しいなんて、信じちゃって憧れている人たちが聞いたら、泣いて帰っちゃうような残酷ぶりかもしれないような気もする今日この頃。

 このはなしは、某ハンバーガー店の肉がなんかだったり、ハ●●●●●●トが、ポテトを食べさせた貧しい●児に、シンボルキャラクターが鳩尾一発を食らわし嘔吐させたものを揚げているいるなんで類の噂か妄想的な、残酷裏話ではなく、紛れも無い事実で己が芸術の方針の実践にしたがって、オケ内部での政治対立が高まったいい例として認知すべきこと。

白い巨塔音楽版なお話にて候

さて

 まあ あの論点のすれ違いは、諸井三郎氏のスコアリーディングを読んでももらえばそのニュアンスが解る可能性大と診断されるが・・・・
スコアリーディング―スコアを読む手引
諸井 三郎 全音出版部 / 全音楽譜出版社
スコア選択: ★★★★★

 これで解らなければ、演奏家に対して、軸の無い観点での客様論理だったり、「かくあるべき」なんて考えずに、素直に無心に音を感じ取るだけで音楽に接するだけでも、世の中平和ってことにて候。

 さて販売クラ的にはラインズドルフの指揮するボストンでのプロコフィエフのレアなシンフォニーナンバー(236当り)がテスタメントで復刻されていることであり。

Prokofiev: Symphonies Nos. 2 & 6
Sergey Prokofiev Erich Leinsdorf Boston Symphony Orchestra / Testament
スコア選択:


Prokofiev: Symphonies Nos. 5 & 3
Sergey Prokofiev Erich Leinsdorf Boston Symphony Orchestra / Testament
スコア選択:



あと上記時代の不幸なマルティノンの自作とニールセンが国内でやっと復刻されたあたりも大いに興味あることにて候。

追記2006 3/6 
国外盤も入手可能
久し振りに「猫」が「読みモノ」になっている「ジャンマルティノン」すれ


上記二人の指揮者の講評は
関連
B級?否!A級!名演奏家列伝 -1- ジャン・マルティノン
B級?否!A級!名演奏家列伝 -7- ラインスドルフ
鎌倉スイス日記様のトピック


さて後はストラヴィンスキーの春の祭典クロニクルに、ドビュッシーの夜想曲の初版の海の精あたりからと思う日々。

とりあえずムムステージ(ネオパワフル)での花火ぐらいの予告ということで。

ドクター円海山@熊蔵
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by dr-enkaizan | 2005-08-04 02:53 | 雑文