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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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カテゴリ:プロコフィエフ@交響曲( 6 )

新年早々脱力ネタ

年末のレコ芸に読者投稿欄にて、マーラー交響曲第一番の第三楽章のネタで、ネット初心者と思しき団塊世代がさも得意げに、出典元ウィキとする薀蓄を開陳して、それをそのまま掲載しておる状況で、ウィキの問題を当編集が問題視していないことが明らかになって呆れたのは、件の元官僚襲撃テロの予告騒ぎの次でありなん。
 ウィキの時系列や情報の出典そして専業の執筆者や責任が自己にあるために、個人の研究や思いつきに思い違いまでらしく見えてしまうことに、再度警鐘を鳴らしておきたい。

鎌倉スイス先生も激怒した未出典アンセルメのユダヤ排除説や、世相問題視された大学のレポートにウィキ掲載の俗説にて展開するもの、(源義経や天草四郎等)も個人的には記憶に新しい。

 得られる当情報、ネット間でのやり取り、ブログなどの仔細説明に内容を吟味という条件つきで、 ソース・ロンダリング された 文字媒体 でのデーター素材に適しているのだが、ロンダリングゆえに、公の報道や、出版そして学術に、これは使用できないことを認識できないような、スィーツ脳が蔓延しているのは?どうやら確か似て御ござ候。
 そして今回はプロコフィエフ交響曲第四番
以下引用2008年の12/5時点の
傑作である《交響曲 第5番》の後に改作されたため、改訂版がより練れた交響曲様式をとっていると評する向きもある一方で、初版の新鮮で軽やかな魅力を惜しむ意見も見られる。ジャン・マルティノンによる交響曲全集が新旧の両方を録音してから、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチやネーメ・ヤルヴィ、ヴァレリー・ゲルギエフらの指揮者もこれに追随するようになり、両方の版の比較が可能になった。

引用終わり
最大の間違いはマルティノンの扱いであり。
 マルティノンjは70年代リリースのVOXの全集で初版のみ録音しており作品番号112の改訂版は録音していない。
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その全集は2009現在入手は困難だがナクソス(NML)で聞ける。
また名演奏の六番や二番そして道化師を含む第二集も現在聞ける次第で

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 以上がマルティノンのVOXに録音した全集の全貌だが、無論、円海山所有のリアル音盤と同一内容であり、掲示板などの会話内容から判断されるであろう、CDになり存在が明らかになった?、道化師組曲の音源の他は、オミッドされていたと言う可能性もなく、かつての国外VOX箱物LP×2セットとも変わらない。*おそらくコロンビア国内販売もそれに準ずるはずである。
そして当然四番は改訂前の Op. 47しかない。

 さらに、本来ここでの両版を最初録音したのはジャンドスのネーメ・ヤルヴィであり、他の2者が追従したとは思えず、発言出典が無い限り個人の憶測の域を出ておらず、両者は同素材による別作品の魅力を感じていたとしか考察できないのは確かである。

Prokofiev: Symphony No. 1 'Classical'; Symphony No. 4

Chandos


改訂版

Prokofiev: Symphony No. 3; Symphony No. 4 (original 1930 version)

Sergey Prokofiev Neeme Järvi Scottish National OrchestraChandos


原典版
これもナクソスで聞ける。
 また楽曲解説にCDやレコードの媒体や演奏家情報が、楽曲の事実解明に感慨として存在しており、本質になんら寄与するところでないことに、この執筆者、弁え無きぶりを察する次第にて候。

 ともかくあのところの情報は一旦考慮の段階を経て引用はデフォであるのは確かにて候。
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by dr-enkaizan | 2009-01-03 11:11 | プロコフィエフ@交響曲

プリクラースナ(愉快&痛快)にて奇奇怪怪ロジェストベンスキーのプロコフィエフ交響曲全集+アルファー-2-

プリクラースナ(愉快&痛快)にて奇奇怪怪ロジェストベンスキーのプロコフィエフ交響曲全集+アルファー-2-「ゲルギーVS」 

プロコVSロジェストベンスキーネタにからんで・・・・。

さて某誌の年間行事にての交響曲部門にて、史上初のプロコフィエフ交響曲全集としてソビエトーロシアの後進指揮者のゲルギエフが、最近汚れ仕事が多いといわれるロンドンSoを指揮してのものが入賞した次第にて候。
 
 しかし選考対象が、この及第点は大幅に超えるが・・・ダントツさには届かない音盤に対してて、少なくほかにも資格はそれを上回ると認識する、「芸術内容の音盤」はあるのに関わらず?むしろ話題性と稀少価値そして、付加価値(*1)にて?これに決ったかのような、コメントが選考の批評家諸氏の記述がら伺えしれ(*2)、プロコフィエフのマーケティングが変わつつあるのは、歓迎されるも、クラ業界の音盤事情の衰退振りも如実に示す結果ともいえ、なんとも複雑な心境にもあいなりなんにて御座候。
(*1)交響曲第四番の二つの作品番号を与えられ原典(OP.47)と改訂版(OP.112)の双方を収録さらに発表ご追加され、最終的に現行では削除された交響曲第7番の終楽章の終止部が国内販売分のみ追加される媚び様である。しかし往年のフィリップスらしからぬホールトーンが無視されたデットな録音などそれ以前に解決されるべき事が多い

(*2)アンチではなくむしろ当方は多くの意味で(笑)信望者である選考でのU氏コメントの古典交響曲という自らの理解範囲でのプロコフィエフの批判を加えているあたりに、プロコフィエフの全貌をみていないか理解範疇から外れているのか、非常に正直で昨今の苦渋の選択振りが伺え知れる。個々に対して評論をさせるとどの程度の人間が付いていけるかは大いに疑問なコメント群ゆえにそれは重要な問題を嗅ぎ分けている感覚がむしろ好感な次第。円海山的は多くのネットでの評判どおり五番以後の作品番号の後期交響曲が非常に秀逸と認識せり。
なお四番の初期稿は実は、ルーセルのバッカスとアリアドネの第一組曲に相当する部分を意識したのではと思わせる箇所が多数存在するがそれはまたいずれ。


 全体的出来は本題のロジェベンが吟醸の辛口とすれば・・・・ゲルギーのそれは、丁寧な工程で作られた濁り酒のかのような?粗雑と神経質が共存する出来栄えであり、その粗雑さゆえ・・・万人には理解しやすい表情での劇的な表情を目論むかのような・・・音楽フレージング、それを達成線がための神経質に効果を重視せるアーキュレイトへの追求が主だっており、その点ではこの指揮者がやりたいことは、このロンドン交響楽団をもって達成された事がわかり、、非常に解りやすい一見すると血の通った「プロコフィエフ」として認めうるものとして全体が纏めらている次第である。

 
  斯様な点では?デジタル時代でのプロコフィエフのマーケティングの変貌の先陣をきったヤルヴィと同じく、この全集でのゲルギエフの演奏はソビエト時代の指揮者にはプロコフィエフの作品が当たり前に、音楽感覚形成に血となり肉となっていたことを伺え知れるほどに綿密な配慮がある次第ながらも、その解りやすさにはむしろ指揮者の表現意図が作品を侵食しているところも垣間見られるところは、入手し易い全集ゆえに、それ以前のプロコフィエフの冷徹な凄みと難解を否定するような方向へ多くの一般聴衆の趣向先導されかねない危惧される次第でその点では手放しでは喜べない複雑な心境にて候。


その点にてはロジェストベンスキーやラインズトルフにて交響曲を拝聴することを強く勧めたい次第なのはこのブログでの方針だが、ソビエトの伝統の成果として甘い果実として結実したかのような?万人へのプロコフィエフへの興味が今後とも広がることを期待。

 これらの問題点を顕著感ずるのは、代表的大作の交響曲第五番での運動感の違いが如実であろう次第にて候。


 正直ロジェベンの全集では一番出来が良くない何処となく落ち着きのないテンポに仕上がったのが、この五番であり、その充実はオーマンディーに、その剛直はラインズトルフに、その劇性はバーンスタインの新旧録音に及ばないが、決して意義なきものではなく、そのメリハリの利いた運動性のよさと、透明な音色間はほかには味わえない次第であり、意外にもその辺はゲルギエフの話題のそれでも当該箇所と著しき符合をしめし、さらに急進的に推し進めたか感がある。
 手短い理解を求むるなら第二・・・楽章の旋律が冒頭におけるクラリネットに始まる旋律が、幾つかの楽器に歌い継がれていく際に、幾分のリズムの変化が行われており、その点においては西側側の演奏が飽くまでも冒頭のクラリネッドフレージンに矯正してしまうに反して、流れるコンベア上の工程物のような勢いであり、その細分化されたリズムに強引にフレージングを進めている点にある。

 この内在する運動性においては初期ロジェストベンスキーの演奏の秀逸なる点でもあるが、弱点もある次第だが、ソビエト時代にソビエトの指揮者と演奏家でのみ理解しうる感覚での、ソビエト時代のプロコフィエフという貴重な感覚を体感する意義を知ることを求めたい演奏にて候。

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追記:12-23近日展開予定の康代さんシリーズの周辺キャラお披露目をかねて・・・・。

あらすじ・湘南にある某女学院聖歌隊副隊長(書記長)の康代さんは、かなりツンデレに聖歌隊の後輩達に毒気ついております・・・。
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by dr-enkaizan | 2006-12-23 18:42 | プロコフィエフ@交響曲

ロジェストヴェンスキー/モスクワ放送響プロコ全集

庭は夏の日ざかり様の
ミスターRの異常な愛情で吉報が
さて先月の塔に対して犬のも負けじなのか?
この録音はLP時代の東の横綱と呼ばれ、70-80年代に廉価版として再発売さて、当時のクラ少年のプロコ属性の輩を培ったのは言うまでもない。

CD時代にメロディア契約晩期の日本ヴィクターから一度CD化して出され、いごは1-4番がRCAとの廉価でリリースされ、その残り番号の続編が期待されるも、音源入手のほうほうでメロティアとトラブル、双方仲たがいにて中断に終わる因縁があり、今回のVENEZIAレーベルにての再発売はまさに待望全曲再発売にて候。

 周知の通りロジェストベンスキーはそのデビューがプロコフィエフの「シンデレラ」や交響曲第四番の改訂版の初演者ということもあり、まさにこの指揮者の第一認知事項のレパートリーともいえるのが、プロコフィエフな次第。
 今回は・ピアノ協奏曲全集が(ヴィクトリア・ポストニコワ(p)ソヴィエト国立文化省交響楽団)が付きおまけとして作曲者の自作自演が付く模様。


 R氏の前期及び改訂(OP112)の交響曲の評判は、既にRCAの再発にて現在のプロコ愛好家に不動の地位を認知されている次第であり、今回の後期交響曲では特筆すべきはやはり初演者ムラヴィンスキーなどのソビエトのスタイルに従った演奏を踏襲してる、交響曲六番であり、さらにR氏ならでは機知に溢れる演奏で熱い重々しさよりもされにクールな重厚さを醸し出し、録音も水準より上であり、六番の随所に現れるティンパニーを強打する開放感や恐怖感や、ハイライトに表れるピアノやハープによる和音や重ねなど美しいバランスで聞ける次第。
そしてフィナーレの阿鼻叫喚は速度を落とすタイプの方に属するが、若干痛快さを具有しているが後ろめたいぐらいの開放感もある次第。

 このR氏の全集を聞くと、恐らく全体掌握では優れている小澤の録音が、誰でも解るようなピッチの高さにより聞き難い難点があったり、ロストロポービッチの盟友の直伝という貴重な立場ながらもバトンと速度に難点があることを認知させるは確かであり、さらにゲルギーの最新の全集の忙しない点についてもことさら問題を感じてしまうのはたしかであり。

さらにこれに唯一対抗できる。西側のマルティノンのVOX全集の、甘口のフランス趣味とドラマに視線の違いや、4チャンネル方式?めいた逆位相のある録音方式の難点などより優位な立場にあることが感じられる次第でもあり。
 もしラインズドルフが全集録音をしているなら辛口として、完全なる西側の対抗馬になりえたのも感じる次第。

 なお個人的希望としてはカンターター「彼らは七人」と三つのオレンジへの恋組曲に道化師組曲に道楽息子全曲に俗称アメリカ序曲などを余白にひれ欲しいような・・・思いに駆られ残念。

R氏のプロコフィエフ思い出としてはFM放送でのBBCとの来日公演での一こまで、RVWのテューバ協奏曲の後に「三つのオレンジへの恋」組曲が演奏され、その最終曲の「逃走」が余りにモーレツに終わってしまい、観客が戸惑い拍手が起きない状況になり、指揮者振り向いて拍手に至った経緯がある、日本の聴衆は当時はマーラーブームゆえ認知が少ない曲の一つにしても、余りに楽曲に忠実な「意表を突きかた」はこの指揮者楽曲へのこだわり第一t主義を感じさせるエピソードとして想起できる次第にて候。
 これはゆりかもめ氏が最近の扱っているショスタコの初期未出版曲集なども、その曲マニア振りをうかがい知れる次第であり、このほかにBBCにはディーリアスの「高い丘の歌」やヒンデミッドのピアノ協奏曲などのライヴもありFM放送や一部は音盤で聴ける。

そして最近広まっている風説にR氏がバクエン系と誤認されている次第だがむしろ、入手した譜面の特徴を最大限に取り上げる結果の賜物であり、ただ単に爆演奏一遍でなく、その曲へのこだわりから、楽曲フリーク系と評したい次第にて候。

 それを裏付ける事実としてはR氏来日の折には、必ず神田の神保町へ出向き、古書のなかから古い楽譜購入しているのがお約束なのは、その筋では評判次第でもある。

さてこんなR氏の至芸の発売に乾杯

それでは康代嬢は?
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by dr-enkaizan | 2006-06-26 01:06 | プロコフィエフ@交響曲

■♪こんな、4個入り~はいやだ/(´Д`)/


オネゲル再開の前にトピック二つばかり・・・・。
その一から
茜ちゃんでお馴染みTBN様の
5/9
[本日のヒトコト]

冷凍蜜柑が歌の力で売れそうな、今年のGWの朝の話題を席巻した陰鬱な「平塚の・・・」はご存知の程。
 TVでは文芸的ニュース・バラエティーコメンティターが得意げに文学的に注目すべき「日本的な性」の事件と評ずる。
 ある意味「人の不幸は蜜の味」の面で日本的なのではと突込みを入れたい気持ちを、抑えつつたしかに「そのキグシナイ」成り行きは「切ない思い」にさせる、人間模様には哀悼の念を禁じえないと言いえよう。

さて可のうたの四体入りは歓迎されるべきではないが、下記四枚組はなにかちょっと歓迎されそうな予感をもつ。

 ゲルギエフ/プロコフィエフ:交響曲全集ロンドン交響楽団
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
録音:2004年5月 ロンドン、バービカン・センター(ライヴ録音)
プロコフィエフ:交響曲全集
ワレリー・ゲルギエフ / ユニバーサルクラシック
ISBN : B000EMH8AE

多少問題は散見しており・・・・猫でのプロコ&春祭論客「つーち」氏の指摘する点が端的であり、前回の「スキタイ・ネフスキー」なども合わせると?なぜか?ゲルギーはプロコではその唐突な音楽に戸惑いを感じているのではという思いにかられる次第。
さて全曲を細部に再度レビューは現在の課題と多忙ではかなりの時間を要することはここに表明するが、いずれラインズドルフと絡みで言及の予定の程よしなに候。

 ところで・・・・・・

 あの七番のゴーダーの別バージョンは?論客達と山川さんとの楽しいやり取りで始まり最後の「第三者の音楽に言及ナキ単なる薀蓄披露出現で大いにちっらけた落ちが有る」去年のプロコフィエフの交響曲スレの内容を反映したか?それともかつてのゲルギーハルサイでのドラズレをネタにした、つーち&熊蔵@円海山への狙い撃ち的反応と報復ともとれるような・・・・いやいや妄想妄想・・・・。

しかし国内企画だけとはカの掲示板は今だ業界感心なのやも。

 まあ・・・・今後とも掲示板を個人的使用して「レスしない」でというような人の庭先(サーバ)での 「資源の無駄使い」的なる、無意味なスレッドを立てないぐらいが望ましい「投稿者の質」を保っていられるかは・・・・・微妙なれど・・・・とりあえずたかみで応援する次第。
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by dr-enkaizan | 2006-05-09 22:50 | プロコフィエフ@交響曲

ツングースの隕石はエイリアンの宇宙船?

エーリアンの宇宙船残骸を発見=ロシアの科学者らが主張 (時事通信) - goo ニュース

ロシアのインタファクス通信の12日の報道
であり申すが大丈夫か?否や?
 爆発の起こった当時の1908年はロシア革命の前で日露戦争の最中で帝政ロシアは混乱していて調査は13年後の聞き取りから幾度と調査が断続的になされた筈である。


「宇宙物体の残骸を求めて、調査隊は」
と言うことはそれらしきものをなんでも結びつける可能性あるのではとも危惧せるもの也。

科学者達は、1908年に墜落事故が発生した地球外生命体の
技術的装置の残骸を見つけたと主張している
取合えず「団体の主張」であつかうマスコミは正常かもしれませぬ。

-宇宙人達だって、人で御座います、墜落事故くらい起こしましょう-てか?

 それではそんなストーリを「予言してた」冨田勲のバミューダ-トライアングルでのプロコフィエフの交響曲第6番で第一楽章思いを馳せましょうぞ。
 
 編曲に付けられたタイトルは「シベリアのツングースに激突したことのあるまばゆく光る円筒形の物体」当時はターベルインターフェイスの、モデムカプラー音の先祖のような、データーがはいる事が驚異音盤トピックで御座った。
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 しかしテーマやパピプペの会話などの音は流石に歴史を感じるが、プロコの6番の極北ないイマジュネーション同時期に元曲と比較して褪色ないもの似て候。

まあプロコの音楽自体音のSFと言う面持ちありにて候。
追記:プラウダの記事まであるよ・・マジかよ・・・・・
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by dr-enkaizan | 2004-08-15 03:27 | プロコフィエフ@交響曲

交響曲第二番ニ短調・グリン/TEMPERE PHILHARMONIC ORCHESTRA

 新たにサティーとジャンコクトーにより選ばれた若いフランス圏の作曲家の集団「フランス六人組」の活躍での、オネゲルに代表されしスティ-ルメカニックの機械様式の時代、そして、それらに影響傾倒をもたらしていたダダイズムが割拠していた1920年代のパリ、それらの刺激を受けて、ロシアからパリへ活躍を臨んだプロコフィエフは、新しい自分の根幹をロシア前衛に近似するこのスティ-ルメカニックに注目、また当時の彼への批判「旧い作品を食い物にしている」「遅れた新古典主義」という趣旨の内容に答えるべく今までにない巨大で複雑で「鉄と鋼で作られた」交響曲を作る事を決心1924年に着手し、翌年の六月に1925年六月六日ク-ゼヴィツキ-の指揮で初演さるるも、聴衆に理解を得られず、その後ソヴィエトに戻ったゆえに長らく封じられ、晩年に新たな作品番号を与えられ改作プランに乗るも、達成されなかった問題作と言えるのが当交響曲也。

 作品は作者曰く「それはパリの空気が反映されているのです・・・複雑なパッセイジも不協和音もここではすべて当たり前になっているのです」「私の作品中もっとも半音階的な作品」などの言葉からわかるように、複雑な三つの主題によるソナタ形式のうえに、悲劇的で刺激と衝撃を与える要素を満載した効果のある、不協和音と音の塊と対位法での音楽のページェンとに埋め尽くされるる第一楽章と、東洋的主題による清楚な主題が次第にグロテスクに変奏曲として展開し、清楚に復帰して不気味な終止で終わる第二楽章からなる構成。

 それらの複雑怪奇な作品を、グリンの演奏では慎重な音楽運びで、効果に埋もれがちな作曲家の思考を読み取ることすらい垣間見ることのでき見通しの良い表現の演奏を我等の前に披露せるものなり。

 特筆すべき第一楽章の展開部の変拍子のフーガのスタティク運びとゴーダの打楽器のニュアンスあたりか?

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(オンディーヌ ODE767-2)
 カップリング「夏の夜」「秋の素描」も快し落ちつき振りなれど好みは分つやも?
 なおデメリットはオケの金管が少々弱いところ、ながらこの交響曲で美音を感じる珍しい演奏の価値高し。

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by dr-enkaizan | 2004-08-06 03:33 | プロコフィエフ@交響曲