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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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カテゴリ:ドビュッシー@管弦楽( 4 )

改宗したブルターニュのケルト人の伝説の無き寺の鐘

さてドビュッシー生誕日ゆえ、道楽息子祭りの前の「鐘」企画
当然前奏曲集第一巻の「沈める寺」でそして鎌倉スイス先生負けずに一ひねりして、ビュッセルの編曲した版のある音盤で
Impressions of the Sea
Frank Bridge Claude Debussy Anatol Konstantinovich Lyadov Felix Mendelssohn Joann Falletta / Albany
ISBN : B00003XAUP
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当曲は余りに有名なゆえに多くを語ると陳腐ながら、ドビュッシーの「鐘」といえば映像第二集の第一曲よりもドラマッティクに仕上がったのは確かである所見さるる次第にて候。

 聞くところによると・・・・そもそもドビュツシーの管弦楽の為の(元は四手9の為の)映像第三集の第二曲「イベリア」のスケッチ帳に描かれた冒頭の酷似した断片が発端であり、最初はそこからスピンオフして、曲として書き上げられた次第であり、そのとき、題名を後に明記するルールの前奏曲集第一巻の10曲目(*)として、どの時点で作曲者が「鐘」と後述の「イスの伝承」を結び付けたかは不明ながら、どう聞いても意図的に伝承の一部の件の過程を克明に追った、ドビュッシーとしては珍しくも・・・交響詩的なる直接的な描写に富んでいる楽曲にて候。 

(*)手稿の前奏曲集での曲の銘銘は宜しく、終止線の後ろに控えめに書かれていた、ゆえに最初から題名で書いた楽曲というより曲のイメージにより題名をつけた可能性のある楽曲もままあり、その後の第二集では、さらに抽象性が増したもので、そのピアノの指の動きだけ明記した「交代する三度」という題名以外に着けられなかったものも現れ、さらに次回作の練習曲集では、さらにピアノ技巧のノウハウ的な題名にて題名が構成されるに至っている。
因みにスケッチの本筋のイベリアも後半に鐘が様々に使用されているゆえに、その素材は鐘と関連深いものを含有している節も推測できる。


イスノ伝承は下記を参照にするかしてもらえれば(笑)曲のあらましがわかる次第だか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9_(%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)

 要するに後半の件における、罰当たりな顚末で沈んだ町「イス」が
水没したものの、今でもイスは海の底に地上にあった頃と変わらぬ姿で存在し、いつの日か復活してパリに引けを取らない姿を現す

そのときそこの寺院の鐘が鳴り、浮き上がった寺院から人々の古い聖歌の合唱が鳴り響き、モ一つの伝承としてのそれは再び幻としてその歌と鐘を鳴らしながら静かに消え行くといった、有様を描写した次第である。

 冒頭は空虚五度と四度が低音と高音に隔離された、長いペダルの上に、水の波紋のような四度の和音の上昇と低音の動きでピッチを下げて反復され、やがてその和音の動きの頂点でなされるEの音が直接的な鐘の音とし現る。

、その上に東洋の陰旋法とも中世の旋法にもとれる物悲しい、歌が現れ、次に冒頭の和音の動きが上下に山を描くように動き、低音の律動が始まり、みなの強大なるなみの如し、そして鐘楼の鐘とダブル四サイクルでの転回込みでの刺繍進行和音が繰り返され、寺の浮上の予感・・・・・・・そしてそれが頂点になり高音に、中間部の聖歌の冒頭の音形の先取りとも取れる三サイクルの鐘の上に、気高き寺院の大伽藍を表現したかのような、煌めきたるミクソルディア旋法による幾分斜めに雁行しながら下降する音形が現れ、頂点にたっし、その安定の上で圧倒的な象徴での心理的効果の鐘のうとかオルガンのペダルか?最低音cのソステヌートペダル上に、両手のオクターヴを押さえたユニゾンを含む、並行進行和音の壮絶な響きで聖歌が歌われる。

そして、ペンタトニックでの朗々とした盛り上がり、二つの隔離した音程による鐘の対話があり、その下のの鐘の音程が下がる時に、消え行く幻である定めのように、最初に出た東洋の陰旋法とも中世の旋法にもとれる物悲しい、歌が再現曲はアーチを描きだす予感に満ちつつ歌は名残を惜しむかのように幾分展開して熱く盛り上がり、そしてとれを突然さえぎるかのような呪文か魔術の実行めいた、短三度に下降する(*)未解決の二度を含む属9の和音の並進行、そして低音での鐘か?それとも再び寺を沈めんとする水面の動きか?二つのクラスターの僅かな対話がなされる。

(*)この呪文は和音の頭に付いている未解決な二度を半音で交互に折り返した形になり、その部分の動きはメシアンの移調の限られた旋法2番の先駆類例でもあるが、この件のドビュッシーの発想については、鍵盤の未解決の音程をタブタチュアライズに動かしたらこうなったという経験則の可能性もしくはムソルグスキーの楽曲の影響が今後研究の課題として成果を各位に期待したい。 

そして、水面に沈む寺を思わせる情景での聖歌の核の音たるペンタトニックの低音律動の上に、聖歌が静かにしかし荘厳さを保ちつつ歌われ、静まり返り冒頭の和音の群のやりとりが再現して、神妙に朗々たる三和音が引き伸ばされ曲は終る。

今回はこれを鑑賞する演奏としては、ピアノ盤ではもう他所で腐るほどの紹介もあり、さらに管弦楽編曲としては一番適切で著明なストコフスキーに、さらに適切なシンセサイサーの再構築による冨田勲氏編曲などもそれに准じており当然推奨ながら、少々ひねくれて上記の音盤に含まれるビュッセルの1910以後の管弦楽版をご紹介したい、この編曲特徴的なるは、直接に目立つ組み合わせで、金属打楽器を使用し、さらに鐘を一切使用していないものである。

そしてハープの活躍が著しく、その点ではストコフスキーのハリウッド編曲よりケルト伝承らしいところが強調される面白みがある次第にて候。

冒頭の空虚な音程和音の対話は引き伸ばしは低音弦と木管で、上昇は弦、
そして物悲しい歌は背景のEの鐘楼は木管のオクターヴにトライアングル(+セレスタ?)歌が弦楽そして、件の聖歌は金管で低音の弦を背景に歌われと時々ハープがそれをなぞるあたりがケルト的で面白い、そしてl後半では、およそハープの「ケルトではありえない」ペダルによる同名音的挙動によるグリッサンドアルペジオが活躍しており、それが様々な形で随所に現われ、まるで魔術的な色彩効果に変容しており、まさ沈み行く寺の情景をターナ的な色彩を彷彿させる次第。

当演奏はストコフスキーや冨田編曲に慣れた耳には少々最初フラストレーションが溜まる次第だが、ドビュッシー存命中の近親者の編曲である意と・・・・ケルト伝説の素朴を内向的な広がりで求めるには、格好の嵌る編曲として我推奨する。

追伸:でもはフラストレーションは溜まるときはストコフスキー
この録音に間に合わなかったが、開発されていた幻の電子楽器トラウトニュームを使って聖歌の背景のペダルのc音を倍音豊かで重厚なものにしようとした試みも考慮されたらしく、録音ではオルガンを使用してそれらしく威圧感をまして居る次第。

このペダルはピアノでも注目であり、その引き伸ばしは作曲当時のピアノのペダルではありえない中央ペダルで聖歌と低音を独立するものや、ペダリングで巧みに低音切れを回避するものなどあり、重要なる当曲の聴き所でもあることは此処に言及セリ。

さらにべーゼンドルファークラスのC0鍵盤があるピアノではcをオクターヴだダブらせて聞かせる兵ものあるが・・・この辺で終了。

てつわんこさんのTBに・・・・・
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by dr-enkaizan | 2006-08-22 00:00 | ドビュッシー@管弦楽

管弦楽のための三つの「夜想曲」(ノクチュルヌ)ポール・パレー/デトロイト交響楽団(前編)

 さてよいよ春一番吹き荒れ季節の変わり目な状況、気温もなにか温くなり、寒さに切れもうしなわれし状況。もしや夜の鎌倉の海辺は、おそらく吹きすさぶ風に流れる雲の切れ目に覗く月光が、海面をにぎわせているやも?
 丁度稲村ガ崎~三浦のコースにて天候と月齢に恵まれれば、斯様な状況に出会うときが暫しあり、どうしても円海山的に想起せるのは、今回のお題になる。ドビュッシーの管弦楽曲「三つの夜想曲(ノクチュルヌ)」の「海の精」という次第。

 当曲は装飾的意味でつけられたノクチュルヌというくくりに反して、唯一夜の詩情であり、月光と人魚そして海という具体的表意ありて。前二曲(雲・祭)の同じく管弦楽の独創的創意に加えて二部16人編成を要求する女声合唱が加わり、怪しげなセイレイーンよろしく輝かしくも格調あるターナーの絵画のような色彩で官能的と神秘を繰り広げる。

 さて念頭にあがるのはアンゲルブレシュトのライヴでの直伝の匠な色合いか?アンセルメの明確な表情などの挙げればいとまなき、しかし、もし本日のような春ちかしの荒れ気味の海に移る月になれば?凛として引きしめた中に、律動の官能を具象化せしめたポールパレーの演奏の録音などで興に入りたいことここに告白せるもの。
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
パレー(ポール) デトロイト交響楽団 ドビュッシー / ユニバーサルクラシック

さてこの録音にはそれ以外に大いなる付加価値があり、この掻い摘んで明示
当演奏においては海の精冒頭において低音の弦に「ガガガガ」という十六分の四つの刻みがあるが、通常に国外と国内に出回っているスコアの大半には斯様な音は存在しない。(*)

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多くの音盤で聞こえそして大半のスコアにもあるのはハープ(*)の動きであり、明らかに斯様な刻みとして聞こえるものでなく、聞こえるのは紛れもなくチェロ以下のコントラバスにである。

(*)多くの演奏はハープの波動が聞こえるはず

当部分は、後述部分と合わせてパレーの音盤を聞くにつれ非常に不可解な箇所であるところ。
しかし80年代から出回っているドーバーのスコアをみるとその謎は氷解する。
Nocturnes for Orchestra in Full Score (Dover Miniature Scores)
Claude Debussy / Dover Pubns
ISBN : 0486445453


Three Great Orchestral Works in Full Score
Claude Debussy / Dover Pubns
ISBN : 0486244415
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実はパレーの録音セッションにて使用していたスコアは現行ではない別稿のスコアであることが解る次第。

 さて時期を考証すると?版献切れ物では比較的学術的考察を行っているぺーター社(音楽の友社にて国内で出版されている)でのマックスポーマ校訂のスコアに添付せし、現版の元にある1930年版の但し書きに言及ある、旧版の1900年版の譜面である可能性が高いが、これ以後調査を続行する課題でもあり可能性は示唆するも帰結は避けたい。

 この夜想曲は、大半の作品を出版するデュランと契約以前に、ジョベール(旧フロモン)より1900年に原典版の立場の譜面が出版され、作曲家の死後1930年に婦人に残された周辺者とのやり取りでは流布されたであろう、指示やオーケストレーションの変更を反映した第一改訂版が作成され(序文に表記される)、その後誤植や表記を改めた1964年に第二改訂版が出版される。

 おそらく、このドーバー譜面の状況が譜面が少数派なのは?

存在していた原典版よりも恐らくそれの「第一の版権切れ」が他社に版下になり、今日に至ったと想像される次第であり、余り知られないが当曲にも版問題存在していること以外の何者でもない。


なお聴覚上の相違は後半の女性合唱が顕著であり。
現行ではハープと女性合唱とクラリネットの掛け合いになると箇所が
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ドーバーでの旧譜面は?
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女声合唱が一貫して歌われ

パレーの演奏でもそれを踏襲しており、あきらかに該当部分での事例が後者と一致する次第であり。鑑賞の注目すべきポイントとなっている次第。

 さて多くのメティアの評論がドビュツシーの版問題と指揮者の解釈変更と混用する事態が多いようであり、多くの愛好家を惑わしている次第なるは、大いにドビュッシーの譜面の問題がマーラーおよびブルックナーより軽んじらる扱い、ことほか嘆かわしきと所見さるる次第。

 さてパーレーがなぜ旧版の使用に到るかは、パレー研究者に委ね、この件は多少継続報告せり。
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by dr-enkaizan | 2006-03-13 01:43 | ドビュッシー@管弦楽

ドビュッシー 交響組曲「春」(1)原典復元版(甲)

さてゆりかもさんのコメントで言及して、「ざわ・ざわ」と影響があった件

ドビュッシーの交響組曲「春」のオリジナル版想像復元版を中心に。

毎度なる不定期シリーズに。


Debussy: Rediscovered
Claude Debussy Emil de Cou San Francisco Ballet Orchestra Lisa Vroman / Arabesque
スコア選択: ★★★★★


当音盤は主に作曲者以外の編曲によるドビュッシーの各種作品を集成したもので、それらのなかで誠に珍妙なるは、指揮者のエミル・コウによる復元された,交響組曲「春」完全再現というものが収録されている次第でありなん。

さて件懸命なる愛好に音楽家の方々には周知なことながら・・・・・現行の交響組曲「春」にては、必ず「ビュッセル編の件」付くことである。

その経緯は後の章にj詳しく言及するが、あらましとしては、作曲者が「放蕩息子」(1884)による受賞した「ローマ大賞」の成果作品としてつくられ後述の理由で全貌が失われた「ジュレイマ」「森のディアーヌ」などのカンターターなどと同時期に作成される、そして趣向があわないローマからパリへ留学を早めに切り上げて帰国したドビュッシーの「最初の成果」として提出されたが?その特異な作品の状態によるものか、アカデミーに反抗的なドビュツシーへの嫌悪からか?当初アカデミーから拒否される次第似て候。

 その講評時の審査員だったサンサースが評論の言う「ドビュッシー氏この奇妙な印象主義から脱却すべきである」旨の発言から、音楽史上で始めてドビュッシーの周辺の類似した語法の「不確かなくくり」として「印象主義という喩え」が現れた作品にもなる次第であり。

(*)尚成立の一説にはローマ留学のボッチチェリの「春」への印象が一端とされているが、その具体的関係は音楽の構成に影響が見られないが、今後の各位の検証が期待される。
 そしてドビュッシーは次回作「選ばれし乙女」(1887)を作成する、その後他留学作品(*)の初演トラブルを巡り、そのとばっちりで「選ばれし」以外は演奏される機会を完全に失った、さらに追い討ちをかけるように「春」「ジュレイマ(注)」「森のダイアナ」などの音楽院の倉庫の火災で焼失してしまう。

(*)ピアノと管弦楽のための「幻想曲」での抜粋初演を巡る初演者ダンティーとドビュツシーのやり取りが要因であり。言及すると長くなる「諸説」ある理由の為作曲者が総譜を引き上げた顚末

 その消失した編成は同時期のカンタータ「選ばれし乙女」こ酷似している管弦楽と女性合唱という組み合わせであり、後の夜想曲の「海の精」の編成の前駆とも言える。

なおこの編成への執着がドビュッシーのオリジナルといえばそうでもないようであり、当時は文化教養として女性合唱が流行しており、社交慣習的タブーとして混声合唱は民間で形成することが趣味としては好ましくないという背景もドビュッシーの当編成の起用の要因の一つとも言われいる。

なお同様の編成では非難をしてサンサーンスがサムソンとデリラの次女の合唱当たりの前駆があり、同時期にはフォーレのカリギュラおよびプロメテウスといった1880年代の作品にもあり、その前後に類似の編成の作品(*)もある次第でそれらを裏付けている。

ショーソン「聖セシル」ダンティー「マドレーヌ」キャプレの「弦楽四重奏と女声合唱のための音楽」など出現しており、その後当該例と遠い影響を感じる英国のホルストの「惑星」の「海王星」などがある

さてはなしを戻して、消失したスコアをよそに、その曲の残された2台のピアノと女性合唱の草稿が雑誌の付録として発表され、それを1912-13にビュッセルが作曲者の承認を受け、当草稿の合唱部分の器楽化をメインにした編曲を行い1913年の4月に初演される。

 このビュツセル版の春には特異なる「2台のピアノ」などが残されているのは上記理由によるものであり、その版の音楽も、おそらく余長な理由で作曲者と協議した可能性もあるが?現在出版されているドーバに収録されている草稿版の2台ピアノ+女性合唱版と比較せると、何箇所にわたる小節のカットがなされており、一番大きい終楽章のゴーダの直前の削除部分は結構音楽の印象が変わるほどのものにて候。
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今回のエミル・コウはその失われた管弦楽部分を、2台ピアノに残された部分も含めて管弦楽化しており、それはビュッセル版で削除された部分まで再現している次第。

 それゆえに2台のピアノは編成から除かれ、弦楽とハープの流麗さが際立つ編曲になり、より同時期の「選ばれし乙女」や当時ドビュツシーが心酔したワーグナーのパルシファルのかすかな影響が見えるものに変貌している次第にて候。

なお詳細の言及はまたいずれ
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by dr-enkaizan | 2006-03-09 01:59 | ドビュッシー@管弦楽

ドビュッシー:付随音楽「リア王」

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2004年アテネオリンピックで聖火の伴奏音楽として「ファンファーレ」が流れ、一躍ブレイクしそうな音楽へ成り上がりそうな気配、よもやドビュッシーも、かつて晩年の貧困の時代に、自由劇場のアントワーヌからの依属による、ジェークスピアの同名の劇への付随音楽として、仕方なく受け、結局ファンファーレ-とリア王の眠りしか書かれなかった「「破棄」同然の作品が、このようなメジャーな場所で鳴り響くと思わなんだで御座候。
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 1926年に編曲はロジェ・デュカスがオーケストレーションを整え、初演

勇壮な旋法的ファンファーレと行進が金管と打楽器で展開され、アルカイックな荘厳な音楽である「ファンファーレ」とピアノ曲「スケッチブックより」と近親の響きを持つ弦楽に始まり、金管の物憂いが勇壮なモノローグ的奏楽の調べ、そして最後はまどろみの如し二度音程の特徴付けされた和音で渾沌の果てに向う「リア王の眠り」から構成される小品。

演奏はジャンマルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団がスタンダードに他にサイモンラトルのバーミンガムの録音あり。

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by dr-enkaizan | 2004-08-14 06:21 | ドビュッシー@管弦楽