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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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カテゴリ:ドビュッシー蟻地獄@円海山編( 3 )

昔はデジレー・エミール・アンゲルブレックと読まれていた。

承前
さて海のネタでかつての掲示板のやり取りで思い出したのは、やはり耳学問が結構展開するターム多かった次第にて候。

 某英国の長老巨匠のドかトかという話にはしまり、ルかリの問題など本筋からもれる場合はそれとなし、殺気オーラのあるレスをして相手を恐縮させてしまい、本意の効果にながら申し訳ない思いしてしまったのは良い思いででもあり、あの頃は全国の独尊がネット上で初めて、各種整合の必然というプロセスにあったゆえの、黎明期ならではだったのだと、好意的にも考えるが・・・しかし、音楽をかたるものであり。承前の言葉を引用すると。
>日本語なんだから別にいいじゃん。方言だってあるんだし。

の如しと同じく思う次第にて候。
 猫でドビュッシースレッドで展開するさいは必ず避けて通れない、逸匠、現行発言での、デジレ・エミール・アンゲルブレシュトも、かつてはタイトルの表記で呼ばれており・・・これも、アンゲルブレックで発言すると遠まわしに、アンゲルブレシュトではとまるで、俄かのような耳学問へ展開して、各種書物でアンゲルブレックで承前だった当方は、あのころの俄かバブル経済が背景に涌いてでたマニア気取りな輩の振る舞いには、少し血管が走った思いでもあるが、しかしながら、日本人のフランス語のカタカナ表記の発展して、ドビュッシーですら昔は、だったわけであり(笑)今の表記を戻せとはいわないが・・せめて 大田黒氏やあらえびすの本とか全盛期の頃の発音は?はアンゲルブレックの表記だったりもすることは、ふまえて各位コレクトのコンタクトは取るほうが、なんか積み上げある箔のある趣味らしくなりはしないかとも、我大いに愚考致す所存にてござ候。

 正直、1980年代前のEMIのフランス音楽のエスプリ第二期にて、評伝でしか知りえなかったこの指揮者の音を始めて知り衝撃を受け、バークレーのペレアス涎し・・・EMIやエラートの管弦楽集やライヴに感激、CD時代にモンターニュステレオライヴに驚嘆して再受容組であるが、なぜかネット世代では?奇妙な耳学問はそれを支配するのか、それ以前の親戚や同興らのコミュニケーションでは、そちらのほうで通用していた次第であり、むしろネット黎明期に、早い者勝ちで発音のとどまらない、様々な慣例や評判を個人的技量で再構築してしまったのではとも、自らも含め反省する問題ではある次第、一概に音楽マスコミが偏向しているのではなく、双方で、つねにコンブアイランスは必要であることは肝に銘じておきたい次第にて候。

因みに1984年六月のレコ芸では巨匠達の時代という特集でジレー・エミール・アンゲルブレック表記で古川登志男氏が丸々1頁記事を書いている次第。まだドビュッシーのサンセバスチャンとフォーレのレクイエムしかディスコグラフィーの復刻が国内ではなされてなく、バークレーのペレアスの復刻希望が書かれている。

内容として簡素だが、父はフランス人で母はイギリス人で母の手ほどきの後、パリ音楽院に入って、(成績がよくなかったため放校)など両親の国籍なども触れており。あとはシュミッドのサロメの悲劇や1920-30年代のスエーデンバレー団(1921)オペラコミック(1924)や劇場そして、コンセール・バドルのコンサート兼任(1924)でのドビュッシーやラヴェルそしてフォーレの演目にか軽く触れ、コンセールバトルーでの1931年のカルメンの成功、1934年のフランス国立放送の成立、そのシャンゼリゼ劇場で1935年の辞任(後任はロザンタール)まで、演奏を週一回放送していた事も言及。さらにその後も客演で同団とは共演して、それらでも、1939での、ティボーを独奏者迎えた演目が評判でありヴィヴァルディーとバッハ(1月)ベートーヴェン(3月)メンデルゾーン(4月)を放送していて、記録があればと筆者がフランス以外演目*にも秀逸な指揮者だったことをもしのび渇望している(笑)。
 そのあと、その物腰と人柄に触れ、演奏については、晩年の円満な人柄の頃で、曲の真髄と魅力を引き出す洗練された指揮と評し、国立放送の指揮者たる所以と賞賛している。
 代表的レコードは当時未復刻ながらドビュッシー「海」(A AB8134(廃盤))そして復刻されたフォーレのレクイエムでの、カップリングのパバーヌが割愛されているのを残念と記述する次第にて候。
 そして締めくくりは当時一年前に音楽院教授を退官したもモラーヌがペレアスを歌いしドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」の1963放送録音のバークレー(当時廃盤)を紹介している。

その後EMIがデュルクレトムソン盤ドビュッシーの録音集成をLP組で復刻、後にCDに・・・なかなか当時のレコ芸は凄かった・・・orz

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関連

*アンゲルの放送録音は戦後では放送素材の音盤LPが放出されおりマニアの糧になっている、一部は承前の家主が紹介しているが、円海山もマーラーのなき子を偲ぶ歌と、ラヴェルのしシェヘラザ=ドとチガーヌを青◎でなにしたが・・・・すさまじい細緻な演奏に聞きほれた次第、フランスはもとよりマーラーは、この頃から歌曲でのマーラーはそれなりに認知されていたのか不明ながら、淡白ながらも、あまりに端的にマーラーのスコアを捕らえている、成る程ドビュッシー同時代の背景の響きを成しえることに、納得させられるものにて候。ミュンシュもRCAにボストンで録音しているが・・・これがあったゆえかとも妄想を書掻き立てるものにて候。
追記

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またあの妖精が
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by dr-enkaizan | 2009-02-05 02:16 | ドビュッシー蟻地獄@円海山編

水の束がその沢山の花を揺らし、月がそこを横切り・・・

てつわんこ様への月ネタおよびゆりかもめさまへのドビュツシーねたにて候

 さてドビュッシーといえば「月の光」が余り有名であり、ほかにも月の光を題材にしてもが多く。それらを全て掲げるときりがないので、今回の「噴水」そして次回予定の「月の光が降りテラス」あたりで・・・。

ボードレールの五つの詩(1887-1889)から「噴水」
当曲は歌曲集としては初期のドビュツシーの集大成的な作品であると同時に、ワーグナーの影響からドビュッシーの独自の創意あらゆるところで拮抗対立している、転換的な意義を感じ取れる作品にて候。

その後ドビュッシーはワーグナー先を探すように自作の詩で歌曲集「叙情的散文」を作成し自己の作風を確立する。

 なかでのその第三曲目の「噴水」はドビュッシーも後に管弦楽伴奏に編曲(1907)に選定するほど、絶品であり、旋法や半音階的メロディーにて、そのテクストたるフランス語を割り当てた朗唱直前の旋律に、二度や九度の開放感ある和音や全音音階で彩られた崩壊直前の転調を繰り替えす伴奏、水を表現した様々なピアノの伴奏はおそらく長らく論争となっているラヴェル対ドビュッシーのピアノ書法先駆論争(*)に終止符を打つ革新的な官能性を提示する。
(*)多くの言説がラヴェルの水の戯れとドビュッシー版画を比較論じ、さらにラヴェルの言説を鵜呑みにして「印象主義」と括られた作風でのピアノ書法の先進性をラヴェルする向きが多いが、しかしこれ以前のドビュッシーの歌曲でのピアノ伴奏の書法の存在を無視しており、実際革新的な先鋭的ピアノでの音彩はドビュッシーにも存在してたことを考慮にいれると、はたしてそのような断定ができるかもう一度よく考えてみよう

その情景は月夜の庭園の噴水で、まどろむ恋美と過ごすそのときの、流転する庭園の噴水を取り巻く情景と当事者(笑)の感情を描く次第であり。

全ての引用はしかたないので多少の紹介で。

最初に二度のクラスター的な律動和音の上に
「お前の美しい目がまどろんでいる、恋人よ!!」と感嘆あるさまが 解る半音階な旋律で歌われるあたり
この曲の歌詞的にもリフレーンたる「水の束がその沢山の花を揺らし、月がそこを横切り・・・」の箇所での前節より律動ある、上向き半音階は月の光との近親的発展ながら書法は先進的な和音付けがなされ、月の光と水のコラボエレーションをすごす恋人との素晴らしい一時が官能で歌われる
そして、後半の「夜がこれほど美しくするお前、お前の胸に(おいおい)体を預け・・・・」のくだりまで一気に心に訴える音彩が我々の聴覚を襲う次第。

 そして前述の管弦楽編曲は、ドビュッシーの繊細ながら、珍しくラヴェルばりの濃厚な工夫ある管弦楽編曲がきけ、その官能は数段上であり、ドビュツシー歌曲への入門としては最適なる次第にて候。

その音楽は「選ばれし乙女」や「春」やピアノと管弦楽の幻想曲の面影があり、そしてピアノ曲「バラード」も想起させ、゙なおも後の牧神の午後や夜想曲やペレアスに海の萌芽を含む摩訶不思議な混在を感じさせ、「海」のような層の厚い編曲により、それはなおさら高まり、熟成した芳醇な葡萄酒のような状態の音楽を堪能させる。

最初のこの管弦楽の版で推奨すると
ブーレーズが唯一録音を推奨
ラヴェル:歌曲集〈シェエラザード〉
オッター(アンネ・ソフィー・フォン) ブーレーズ(ピエール) ブーレーズ(ピエール) オッター(アンネ・ソフィー・フォン) クリーヴランド管弦楽団 ラヴェル / ユニバーサルクラシック

(あとシカゴ響楽団とのライヴにDVDに収録がある)
原曲は
旅への誘い(フランス歌曲集)
クロワザ(クレール) リーブス(ジョージ) ドビュッシー デュパルク トゥリュック(ジョルジュ) プーランク(フランシス) / 東芝EMI
ISBN : B00005GJDD
スコア選択:
歴史的名演奏に
ドビュッシー:歌曲集
スゼー(ジェラール) ボールドウィン(ダルトン) ブルジェ ドビュッシー ベルレーヌ / ユニバーサルクラシック
ISBN : B0006GAYC2
スコア選択:
名演奏で

ちなみに初期ドビュッシーに関わるなら必携アイテムやも・・・。
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by dr-enkaizan | 2006-09-18 22:22 | ドビュッシー蟻地獄@円海山編

デジレ・エミール・アンゲルブレシュトのドビュッシー(1)神秘劇「聖セバスチャンの殉教」(前)

さて猫のスレッドで書いた音盤の話を・・・・
 最初に暴言を(笑)・・・・多くのドビュッシー演奏に言説あれど、このアンゲルブレシュトの受容無きと感じられる者は正直認めたくない。

 それは氏の演奏を聴けばわかる次第であるが、一言でいえば、不思議の一言で片付けられる和音やリズムのドビュッシー音楽への、そのあるべき回答がそこにはある。

 確固たる理由に・・・・・・
無論氏は此処にあるとおりドビュッシーと同時代を生き、作品の初演に立会い、その技術幾つかを継承伝授されし者の一人であるが故もあるが・・・・しかしこの密着度は同じ立場のアンセルメやモントゥーとも異なり、さらに近く共感と情熱に満ちており・・・・

 ドビュッシーを語りたい、演奏したいものは必ず聴くべきものの可能性は高い。

 恐らく、交響曲などの言説などをクロッシュ氏名義で語るドビュッシーを考えると、ベートヴェンの音楽上で遣り残した領域での技術での、かつてない響きでの力強い存在を構成しようと目論んでおり、多くの演奏がその斬新への躊躇で止まり、爽やかとかパステル絵画的なというニュアンス的な語彙で語られる演奏がスタンダードかのような、あるいは構造的明快に終始した、反意的斬新に固執する、それらの演奏が大半を占めるの状況になっている次第にて候。

 無論それらの演奏には多数と時間の力ゆえに、曲の多様な感慨を引き出す発見の上では否定しがたい価値を放っており、逆に歪みのない譜面の真実を知らしむるのもの多い。

 しかしアンゲルブレシュトのドビュッシー演奏の醸し出す書法への自身と共感、そして明晰でにして熱いロマン溢れる音楽の豊かなる肉迫の表情を限られた条件なる音盤から、いまの演奏家が未だ凌駕していないのではという思いに、聞くにつれ苛まれる思いが強い。

 事実時に旧世紀名残ある、大見得も切る法外な加速もあり、若干ヴィヴラートも古のフランスを良しともする、しかし圧倒的に時間軸に配置される、音の置かれ方の存在意義の説得力が違い、その配分は適正以外の何者でもない造形を認知させるのである次第にて候。

さてそんなアンゲルブレシュトの演奏は少しカテゴリー不定期連続に語ってみようかと思う次第・・・・・。


Debussy: Le martyre de saint Sébastien
Bernard Plantey Claude Debussy Désiré-Emile Inghelbrecht Claudine Collart / Testament
ISBN : B00005KAOZ
スコア選択:



そもそも円海山がこの演奏家を名前で知ったのは、フランスアンチ前衛のアントワーヌ・ゴレアノ著のドビュッシーの評伝での推奨演奏にてであり、国内訳者はその入手経路の困難からあえて、全て管弦楽は当演奏家で表記されているが番号掲載は現在には無意味ゆえ演奏は割愛との異様な注釈と釈明があった。(無論ピアノ曲の推奨はギーゼーキング)

そして1979年の中ごろにレコード各社が、1300-1500での少々コアな企画での廉価版を発売するようになり、円海山もEMIのフランス音楽シリーズとキング(デッカ)のエルネスト・アンセルメ再発売での、神秘劇「聖セバスチャンの殉教」を心待ちにする日々のある日、その一ヶ月前の新譜に、EMIのフランス音楽エスプリに神秘劇「聖セバスチャンの殉教」があることに気づきふと演奏家を見ると幻扱いのアンゲルブレシュト演奏が・・・当時はレコード店のマンスリーとレコ芸を詳しく読む立場にない故に・・そのモノラルの表記に音質を心配しつつも購入。(心のなか大博打の厨房状態)そして拝聴して仰天した次第、当時FMで盛んに流れており先に購入したモントゥーやバレンボエムの交響的断章と同じ箇所の「百合の園」音楽が、斯様に官能的響きながらも、清楚という不条理さで驚嘆。

 さらに双子の歌の切実とその後の前奏曲のオケと合唱の編曲的な、セバスチャンの心情の告白が熱く展開して第一の薪の受難の奇跡での天使の合唱というところでもう夢中の状態になっている自分いた次第であり。

第二幕の魔法の部屋での現世へ帰還に立ちはだかる、原罪の化身となった暴君ネロに惨殺された、処女エリゴーヌの清楚な声の質のベルカントを控えた地声的な歌に宛てた東洋的音彩の美麗さに打ちのめされもした・・・・そのあとの聖母の登場の歌とオケの荘厳な咆哮の豊かさをこのモノラルであることを忘れさせるほどの演奏がそれを凌駕する状態を体感する次第。

あとは終わりまで一気に・・・・拝聴

もはや翌月のアンセルメの演奏も受けつけない時期がしばらく続く・・・・

 後年にモノラルの全集が出されて、さらにモンテージュのステレオで寸分違わぬ演奏で聞けるともこのとき思いもよらなかった次第。

Inghelbrecht Conducts Debussy (Box Set)
Jacques Jansen Michel Roux Andre Vessieres Marcel Vigneron Claude Debussy Solange Michel Orchestre N / Naive
スコア選択: ★★★★★

 ちなみに二幕エリゴーヌあとのかたりで後半が「ラ王! 高橋」に聞こえてしまいますが・・・笑
フェランド さん どうです・・・?


さてこの辺で・・・・・・(つづくかも・・かも?)
とりあえず猫に最後のご奉仕健闘中のsawyer さんに捧げましょう。
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by dr-enkaizan | 2006-07-21 04:00 | ドビュッシー蟻地獄@円海山編