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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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カテゴリ:クラシック( 151 )

それは言霊か・・・真昼の魔女

承前ドボルザークの交響詩の題材は民話でも結構陰鬱な内容を取り上げている次第にて候。
今回ゆりかもめさんの取り上げる真昼の魔女しかり、それから水の精しかり、ヨーロッパのほんとは怖い民話の世界を地で行っているものが多い。
 当該テーマの真昼の魔女も、子供を躾ける途上に、魔女が来て命をもらうような脅しをかけていたら、突然小さい魔女が現れ、次第に踊りながら等身大になり近づいてきて、母親が気絶、そして後に駆けつけた夫に介抱され、気がつくと子供が死んでいたという、謎めいている寓話的悲劇を題材にしている。
 魔女自身の存在が円海山的には何通りか考察されるが、一つの呪詛的の側面からは、言霊であり、不吉な話題や縁起を欠くことの跡に、エンガチョなどの代表される、定型の文句をいうような風習が多くの民俗学的な研究の機縁になっているように、ウィギを引用すると
>声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。
次第でありなん。

 これは先の引用先どおり西洋にも聖書の記述としてもあり、そこでは吹くという動詞が由来のプネウマであり、ちょうどこの交響詩の序盤のホルンの空虚音程で始まり、木管により指示された動機が、弦楽でメロディーで展開するプロセスなど、まるでその言霊の機構をも暗示しているかのようなのは、作曲家にそれらが念頭にあったのかは詮索をしてみたくなる次第にて候。

 あるいは題名の魔女に当該童話がWitchと使用していることからも。その言霊として説が濃厚になる、Witch称される魔女の彼女らが呪詛という言霊に近い定義により、術を遂行するとされ、キリスト教以前の多神教の名残由来に関連しているのも、スラブの文化となにやらありそうな感ありありで候。おそらく呼ばれたのか、それとも自身が魔女だったのか・・・はたまたと推理してこの曲を楽しまん。

ドヴォルザーク:交響詩集

ケルテス(イシュトヴァン) / ユニバーサル ミュージック クラシック



この辺はその筋のクラ人の小額機動隊のおかさんにバトンを渡しておきたいwwところでこの辺で。

同じウィッチなら
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by dr-enkaizan | 2009-01-21 00:48 | クラシック

ルルイエから来た指揮者

ピエール・ブーレーズのBBCでの放送映像アーカイヴが発売中とのこと。


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そして


その宣伝がようつべにアップされている、
情報提供厚木太郎殿

1960年代後半の当時帯状疱疹にて?サングラスをかけて*の指揮ぶりであり、氏独特の指揮棒を持たないで、冷静で的確な千手観音な指揮振りを垣間見れる次第。

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Pierre Boulez / Medici Arts



*
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by dr-enkaizan | 2009-01-19 23:59 | クラシック

ジャン・フルネ死去

承前

承前のとおり、一線を退かれており歴史の区切りがまたの思いに。
ご冥福をお祈りいたします。

 壮年期は、フランス音楽の東欧や、日本での普及に貢献し、そのデビューは晩年のアンゲル・ブレシュトから、放送の演奏にて見初めされ、ドビュッシーの歌劇ペレアスとメリザンドの日本初演を任されるなどの誉ある音楽活動にて日本では評判・・しかし長らくヨーロッパでは他の個性的巨匠の間で影も薄かったのも否めなく、フランス音楽の録音はチェコフィルそしてオランダの放送オケなどに集中しているのが非常に不遇*な次第ながら、それらは、録音コンディションを超えて我々に、そのドビュッシーやフランクの作品を中心にした、それら、フランス音楽の鳥瞰的な機構を知らしむる内容を誇る。
 なお未発表音源では、フルネ自身の発言では、デンオンにてオランダにおいて、フローランシュミッドの「サロメの悲劇」が録音されており、まだそれは、未発表の模様であり、この際発売を希望する次第にて候。

 そして我々がクラシック招き猫で大いにフランス音楽で盛り上がれたのも・・・・この指揮者の日本国内での晩年の最後の活動が一因であり、その点においては、感謝の限りでもある次第。

‘追記追悼はショーソンの交響曲 変ロ長調にて・・・・できれば三浦半島奥まったところの海を眺めて聞きたい・・・次第にて候。

フルネは不遇だったのか?
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by dr-enkaizan | 2008-11-05 00:05 | クラシック

今回取り上げない奴らは、所詮以下略。

さて件のパリ編のアニメの放映が始まった次第にて候。
かねてからこの作品には、一部肯定ながら、多くの部分で否定的であり。
それを話すと長くなるが・・・この作品の真骨頂はこのパリ以降にあるのは確かであり、作者の更なる取材や情報取得と作風がよいよ一致し始めるあたりを楽しむのが、本来のありかたなれど、どうも一般蔵人系の食いつきは、ドラマでのパリ以降以来悪いと所見さるる次第にて候。
 これを読んであわてて取り上げようが、そうでないも、結局多くのサイトが、アクセスほしさ、掲示板での話題づくりに「さも面白いですかのようなこと」をこの作品の表層を浚って語っていわけという構図が見え隠れ知る次第にて候。
 このアニメの巴里編の放映にして、各位は冷淡で、かつて強引に紹介記事を割り込み、ものすごい軽薄な文面で記事を書き、その号の圧倒的部数を売り上げた雑誌・・・にはじまり、大手の音楽ライターの文面の単語を散りばめたさも熱烈なレヴューそれ自体、作品を何かの目的や顕示欲の小道具にしていたのではという疑いすら感じられる。
 本来それほど熱烈なら・・・グラビア扱いや製作者への取材を某雑誌なら敢行してもおかしくないのだが?それはサブカルチャーへのある種の視線や、その文脈の難解さも要因にあるのも否めないが、この潮の引き具合とチェックの甘さは・・?突き詰めると上記構図であるのは明白にて候。
 当該者のむしろ同胞氏らの、その善意のサービス心かはたまたで、無理をして浅い洞察で騒ぐ醜悪な身振りを見ないで、静かに、私の某カンタービレを考えることができて幸いな次第にて候。


実際アニメもサブカルチャー的な補足がなされており、これは蔵人は明確においてかれているのが痛快であり、なるほど表層の蔵というだけで話すにはあまりに未知の要素(*)があり、実はこの作品が蔵向けではないところにも面白みを付加できる論点もこの際、各位は認識して、慎重にそれを知る機会にもしてほしい次第似て候。

これから騒ぐ大手ライターやブロガー諸氏のその辺の認識もどれぐらいかはおいて置いて・・・・
蔵の希望の火のように騒いでいて、いきなりスルーということに、その事例に対しての深度が知れ、このブームは所詮以下略だったのは確かであり、これからが本当の正念場としてついてきている各位健闘を願わん。

*さて今回第一話の見所がフランクのオタクが強化されていたのだが・・・・・
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by dr-enkaizan | 2008-10-23 00:30 | クラシック

高いのか安いのか?

承前 ルイサダ+モディリアーニQでお腹いっぱい@名古屋
こちらに編集まとめてTB
「東京は」ではなく「@名古屋」での話し。


 内容は「音の動体視力」全開のSonnenfleckさんレヴューにあるとおりで、音を聞かない人間にもコンサート臨場感を感じる次第。
そして、やはり氏注意を喚起する、一律を8000円に設定すること自体は微妙な次第と所見さるる。
 まあ、同様の問題にて、外海在住の視点だったなら、日本が異常と一括、上から目線(笑*)で己の勝手な自慢を始めそれは如何なれど、海外諸国に比べ、日本が悪いと帰結する識者の所見にはありがちであるが、確かに日本という我やSonnenfleck さんを取り巻く環境問題としては、経済の問題が深刻にのしかかっている上に、アーティスト嗜好に足元を見た興行主にと百鬼夜行、そこに住むものには「今日も涙目」を生きるわけでありなん。
血管 #そんな涙目の人間を相手に、正論ながらを口語調にコミュニケーションをとらない姿勢(#)で、ときにスタンプを押したかのような諸事で、にやけて境遇を自慢しに来るのは、ウォール氏同様に我も遠慮申し上げたい所ではある。#血管

(*新現代語「上から目線」のある一つの派生的な使い方(民明書房)より嘘))
(#)失○天の「ぱら★いぞ」道満晴明作の簡略版の呪田さんのような、ストーキング前提の特異趣向コミュニケーションレス萌スタンスでならあり、だがリアルでしかも男性以下略
 さて一例としては・・・・。
 古のころ一般向けの同様の企画では、神奈川県立音楽堂、安川加寿子女史他若手の弦楽三重奏で、ラヴェルやハイドンというショートプログラムでは、自由席で3000円もしない価格でなど、ジュニアを問わない、一般向けのコンサートが廉価であった。

 おそらく問題の根幹は、昨今のアーティスト嗜好がメディア寄りになっており、それらのリテラシーと連動した商売が芸術という聖域にも浸透普及しつつあるということでありなん、巨額を稼ぐ巨匠なき時代では、漫画アニメだろうがTVの番組だろうが、それが売りになるならという、だけでこの手口の扱いになる次第にて候。


ある意味承前
でのおかさんの「蔵を取り巻くネットとメディアの憂いたる方向性の肥大化」がそれらを誘発してるのかとも愚考いたす次第。
 楽しければとか共有できるものがあるということが、相手の意図に利用されてリテラシーの手順にて演出されていないか?ということを踏まえるのが、世の必携の時代に来ているのかもしれない次第にて候。
そろそろ我々は蔵系情報配信主に内容によっては・・・・
>このジャンルを何故そう親しみ易くしたがるのだろう。
を叩き付ける必要性あるのやも。
と言いつつ、まあここもゲオルクさんとかアントンおじさんとかネタ絵にしているのでなんともだが、絶対に非常に多くの蔵人に読んでもらいたい次第。
その点では変に最近勢いついているおかさんのところを紹介して(了)。

呪田さんは笑顔で・・・
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by dr-enkaizan | 2008-10-11 11:58 | クラシック

あれのパリ編が10月から・・・

承前
朗報来たり。
当然いま図書館戦争で低迷中のあの枠にである。
是非バルトーク舞踏組曲がアニメで流れるのを期待行く末は、ちょっと因縁あるフジサンケイグループの放送枠でバゾンは何某もいずれ・・・リメンバー文化放送日フィル(*)な今日この頃。
そんなことは考えず、さらなるこの界隈の活性化を期待。

 *まあ当オケは日本でおそらく唯一バゾンを使用してたプロオケであり、単行本奥付けの感謝されていた団体は説明不要の由来ををもつ・・・そのオケにこのアニメを放送して利権を得ている放送局をもつ団体は何をしたのかよーく考えると、笑えない
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by dr-enkaizan | 2008-05-13 23:20 | クラシック

フローラン・シュミットのバレエ「小さな眠りの精(小さな妖精は目を閉じる) Petit elfe Ferme l'Oeil 」

おそらくおおよそ誰も食いつかない、フランス近代音楽の真髄ネタをここに始めてみる次第にて候。
 それはフローラン・シュミットのバレエ「小さな眠りの精(小さな妖精は目を閉じる) Petit elfe Ferme l'Oeil 」にて候。
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当曲で今
私たちは20世紀に生まれたのs_numabe氏の記事が熱くそれを語っており、
承前1長年譜面でしか知れない謎の曲の仔細が解りつつあり、コメントで円海山も大いに盛り上がりさせてもらい、さらに最初に言及しているバレエ「小さな眠りの精(小さな妖精は目を閉じる) Petit elfe Ferme l'Oeil 」をアンドレ・エレが絵本にしたもの(垂涎物)について、少々仔細を述べておられ
承前2

承前3
それに大いに刺激させられ思わす今回の譜面からの言及を連作で試みる次第にて候。

作曲家のシュミッドはWIK引用にて言うとフローラン(フロラン)・シュミット(Florent Schmitt, 1870年9月28日、ロレーヌ・ムルト=エ=モゼル県ブラモン(Blamont) - 1958年8月17日、ヌイイ=シュル=セーヌ)はフランスの作曲家。
という扱いであり1889年にパリ音楽院に入学、マスネやフォーレに学んでおり、同時期に学んていたラヴェルの兄弟子に当たり、ラヴェルとは深い親交関係を持ち、ラヴェルに指揮者のアンゲルブレシュトや音楽評論家M.D.カルヴォコレシ、ピアニストリカルド・ビニェスらと芸術サークルアパッシュを結成して、最新の音楽について様々な草の根活動をしたとさるる。
 それは時に激しく、最右翼のシュミッドは、ラヴェルのスペイン狂詩曲の初演時に、アンコールとしてマラゲーニャが演奏された直後に、好意的でない平土間のアカデミズム層をやじり「何度でも演奏してやれ平土間連中がわかるまで」と野次を飛ばした次第にて候。
 また師匠の一人ビュッセルの証言がその著書に記載されており、ローマ大賞受賞後の作品詩篇47の初演の、その音楽の爆裂ゆえにひるむ打楽器奏者を首にして、代わりの演奏者を探す混乱した様子などが記載されており興味深い。

 また日本で同じビュツセル門下だった池内 友次郎(1906年- 1991年)氏の回想とされる話に、当時国家留学生でそれなりの住居に住んでいたゆえに、そこの風呂目当て、放蕩か?貧乏学生で?自宅の風呂が入れない事情になったシュミットが訪れて、風呂を借りていったという、伝説が伝えられている次第にて候。
 そんな彼はその後、詩篇47から飛躍しサロメの悲劇そして戦後パリの音楽の重鎮へ駆け上るのだが・・・そんな円熟期に書かれたのがピアノ連弾曲「小さな眠りの精の一週間」1912作である次第。
曲はデンマークの世界的著明な童話作家アンデルセンの童話「眠りの精のオーレ」を題材にした、そのオーレの物語で少年のヤルマーに眠りのせいオーレが語る一週間の眠りに付くお話をモティーフにしている、その辺は上記承前を参照して欲しいが、ここに引用すると、

1. 二十日鼠の婚礼……原作では「木曜日」
2. 草臥れたコウノトリ…… 「水曜日」
3. 眠りの精の馬……「日曜日」
4. お人形ベルタの結婚……「金曜日」
5. 石板の文字のロンド……「月曜日」
6. 絵のなかへの散歩……「火曜日」
7. 中国の雨傘……「土曜日」

というものであり原作の曜日を変え最後の中国の笠は原作に手を加えた筋書きになっておりこれも承前先を参照して欲しい次第にて候。

その後1924年に前奏曲と幾分の間奏音楽(恐らく*)を付け加えバレエ音楽に改変され(『小さな眠りの精 Le Petit Elfe Ferme-l'Oeil』作品73、1923)となり新たな作品として生まれ変わり、そして翌24年パリのオペラ=コミック座で初演される。

このあたりを譜面は如実に示しており、前書きに、一覧があり
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その配役キャストが掲示されている次第
その拡大は以下のとおり
タイトル
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中の左
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中の右
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そして下の演奏者・・
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なんとアルベール・ヴォルフであり・・・今となってはラヴェルの演奏もクリュイタンスあたりに淘汰され、デッカのシャンタパルティエあたりの管弦楽が廉価で発売され名を留めるほど認識が軽くなっているのがなんともな・・・?次第。

 そして曲はおそらくトレモロを交えた、同作曲家のアントニオとクレオパトラの前奏曲や夢想を彷彿させ、映像第二集や前奏曲集のドビュッシーを彷彿させる前奏曲ではじまる。
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 そしてアルカイックな三拍子の舞曲で二十日鼠の婚礼が始まる
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そして曲がおわると間奏が追加されており?
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次へ進みどう各曲曲想の違うような導入や回想がなされており、バレーとして情景音楽を添付している考えられるのだが、その辺が原曲の解説には不足しているか、原曲も接続音楽があるのが、原曲譜面を所有していない円海山には如何しがたいorz・・・
 さて中国の笠にて最初の部分すこしのところで
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歌詞のある譜面が出現し、これはバレーでは歌が付いたことを示唆するのでと思われる。
まあリクエストあれば続行するが、この辺で一端終わり。

 真の知られざるとは音に記録されていない譜面も含めるとまだまだあることをしるべしか?
この路は茨なりや。うーんorz・・・・・。
追伸コメントでは二台ピアノと言ってましたがピアノ独奏譜面でしたこと此処にお詫び申し上げます。
追記’前奏曲を嘗てのデーターを補完してmidiにする、
これ
前奏曲
しかし、この譜面事態バレー用の簡易編曲の譜面であり比較的未校訂と思しき故か、臨時記号の整合性が多少怪しいのと、久々の読譜が災いし1:20以後の半音階部分に舞曲や中華音楽風のフレーズが混ざるところがまだ検討の余地あり(*)、あえて恥を偲んで、この曲への注目を喚起したく、ここに現段階の状態を提示する。



最初はドビュッシーのビリティスの歌や六つのエピグラフに出てくる同音トレモロ音形に始まり、同じく前奏曲集の枯葉や花火を彷彿させるフレーズが現れ、この先の物語を示唆するようなライトモティーフが、シュミッド独自の半音階的までに、拡大された旋法的和声法のけだるい中に、舞曲やお囃子のような旋律が混じる、ある意味この箇所は、後輩ラヴェルのこれに先駆けること十数年の作品、マメールロワのバレー版の前奏曲と言う先駆例に類似しており、依頼主の要求従い踏襲したかが想定できる、しかし手法はシュミッドのラヴェルへの密やかな対抗心をうかがわせる。

 そして冒頭のフレーズが盛り上がり、次第に熱を帯びてゆくが、此処は作曲者の詩篇47を彷彿させる箇所などがありこれも興味深い、そして一瞬軽妙で神秘的な音楽に導入されるが突然ポリトナールの不協和音のトリルの咆哮で中断、そしてドビュツシーの牧神午後冒頭に出てきたホルンの動機と酷似したフレーズが朗々した雰囲気を形成しする、おそらく題材の「ヤルマールの夢」と牧神の夢想への導入を捩った意図が強いのではと考察される、自身の作品の類例として、混沌に浮き出るあたりは 夢想 、そして禁欲的ながらエキセントリックな雰囲気は アントニーとクレオパトラでの前奏曲 、そして倒錯した盛り上がりなどは ディオニソスの祭り あたりの関連を示唆したい、そして短調の和音により、次の二十日鼠の婚礼になるが、それはまたいずれ。

*明らかに臨時記号のシャープ・フラッドの解除関係が怪しいようであり、
フレーズの前後の関係から推測すると和声的不整合になり、さらに色々怪しい、件の箇所も果たして中国の笠あたりを意識した中華風なのか?、単なる誤読の結果なのか?どちらか判別しかねる、恐らく管弦楽の譜面もしくはパーティセルに近い段階作者自身もしくはそれに近い立場の正規版としては初版譜面であり、なにか管弦楽スコアあたりは承前での前提が?当譜面の演奏には付きまとうのではと思われます。(教えてエロい人(笑))

尚一部譜面の解像度がソフトで対応できない箇所が生じ、適当にピアノビューででっち上げたグリッサンドや、メロディーラインが単音では弱い箇所は、オクターヴ補強ししたり、トリルの和声箇所は、むしろ管弦楽法でのやり方を踏襲して想定で変更しております

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by dr-enkaizan | 2008-04-30 23:50 | クラシック

カラヤン生誕100年

承前:帝王百年
生誕百年記念演奏会

ヘル・ヘルベルト!

世評どおり反発も共感もし、そ晩年の活動はFMでリアルタイムに体感。
とりあえずベートヴェンの序曲集にて生誕100年を祝う次第。
Overtures
/ Universal Internation

 情報未開発の時代の折に、巨匠主義と放送と記録媒体にて世界の隅々に、研磨された流麗さをもってクラ音楽を届けた彼の功績にどれだけ我々は報いたのか、これをもって考えてみたい所存。

 なおスイス放送曲にルツェルンのライブがデジタルで録音されており、その音源がいつか音盤にならんのかと期待もしている。

 主にオネゲルの交響曲第三番やプロコフィエフの第五交響曲などは、壮絶ながらDGのデジタル正規録音から漏れたレパートリーでありなん。

またバルトークのピアノ協奏曲第三番もザルツブルクでのゲンダのライヴから以来の?演奏である手兵ベルリンとルネ・デュシャーブルのライヴもあり、それら放送音源に商品化絶対なにかなされるべきであるが・・・なされず、業界の弱体を意味するのか否や?
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by dr-enkaizan | 2008-04-05 23:44 | クラシック

ロドリーゴの標榜しつつげた音楽は何なのか?

 アランフェス協奏曲で知られるホアキン・ロドリーゴはそのイメージが付きまとい、デュカスやモーリスマニュエル門下でのフランス近代書法の多彩な技法を熟知している作曲手腕の持ち主に関わらず、件の協奏曲の評判が引きずり、スペインの内乱期のナショナリズムのころの作品が一人歩きしており、ギターの復興および一部の作品での民俗イデオムの書法から作風に、アウトサイダー・アートの如し天然で表われているかのような、評価言説がまかり通る嘆かわしい現状である。

 しかし、実際ためしにナクソスの管弦楽集成を一巻から追って聴くと、年代順に近い配列で聞け、不幸なことに、アランフェス協奏曲が奇跡だったかのように・・その近接の作品があまりに、一つ考えないで聴くと、シンプルな新古典的で発想展開に乏しい音楽一見評価しかできないものが羅列され少々つらいのは事実である。

 実はこの集成は後ろの番号から聞くのと前の番号から聞くのとでは作曲家の感慨が180違ってくるという奇妙さを具有しする次第にて候。

最近ではこの袋小路に鎌倉スイス先生も嵌っておられるようなので、ここに上記提言と気になることとあるヒントを書いて見たい次第にて候。

 まずこれらの症例を一考して欲しいのは・・・ロドリーゴのアランフェスの頃の時代背景であり、スペイン内乱期に書かれた国家を国中の人々が考えていた時期に、その気運のなかに作曲家は幸か不幸か居合わせたことであり、同時期のナチスのまかり通る独逸でのナショナリズムでのカールオルフの単純主義や、ソビエトでの粛清下でのショスタコービッチやプロコフィエフそしてモソロフの平明な書法への転進と会い通じるものがあることである。

 これはその危うい社会的気風を転機にしたイタリアのレスピーギにも、復古主義的題材にイタリア古楽の復興を目論んだ新古典編曲作品がその現れであり、ことさら鎌倉スイス先生もロドリーゴの上記作品群への鋭い近似を指定している次第である。

しかしながら、当作曲家が音楽書法的に後退して、単に民俗書法を表出する作品*を輩出することを生涯にわたり、標榜し続けたといえは、敢えて「否」といえるだけの作品も、第二次大戦後の70年代の作品に存在する。
(*) また此処で形容に出てくるグリーグも、その表向きとは違う書法的先鋭より民俗イディオムを優先したかということも大いに疑問を投げかけたいが話がそれるのでいずれ。あえて叙情小品集いくつかの音階と音程への大胆な試みを示唆するに留まりたい。


 その書法的先鋭標榜するかのような(*注)・・・代表格は、初期の交響詩「青い百合のために」の民俗素材をコラージュして、管弦楽の即物的表現の混在するカオスへの試みであったり・・・・上記年代のフルート協奏曲の「田園協奏曲」での第一楽章の累積四度の音程を楽想の骨子にして、各種旋律を結ぶという機知に富んだ発想は?もはやアランフェスでの素朴な民俗素材は表出しての演じられていたのか?疑わしくなるほどの作曲書法の職人芸を感じるものに候。

(*注)追記’両作品の時期を言及した記述がごっそり抜けていたため、追加


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8.555962 ロドリーゴ:管弦楽作品全集 6 「交響詩青いゆりのために」/他

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BIS-SACD-1559 ロドリーゴ:田園協奏曲/イベール:フルート協奏曲(ベザリー/サンパウロ響/ネシュリング)
この書法的発想は無論アランフェス以後の成長とも、情勢の変化の反映とも・・・いえるが、それらを踏まえて、大胆さや霊感力の事欠いた作品もある意味合から、むしろ仕事の質を加減できる手腕は持ち合わせていることの証とも、円海山的には所見さるる物にて茣蓙候。
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by dr-enkaizan | 2008-01-08 01:43 | クラシック

新たなるクラアニメか?「七浜フィルハーモニー交響楽団」の常任指揮者アニメ

の●●はもう古いのか・・・・
承前
早速第一話で黒髪ロングがボロディンの「韃靼人の踊」管弦楽版を・・むろん原作は18禁ですが・・・・

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『君が主で執事が俺で』(きみがあるじでしつじがおれで)は、みなとそふとより2007年5月25日に発売された18禁恋愛アドベンチャーゲーム。
信頼度30%のヴィギより。
 
 因みに・・・・・その指揮者の二人いる妹片方は・・・・うちの康代さんシリーズの康代さんの舎弟後輩三人娘の一人(*)と炉という点を除くとキャラデザが被るのがいて、中の人が「線香持参の部下」もしくは、「SOS団の天然エロ担当の未来人」・・・あるいは、「収穫物私物化の幼馴染」だったりもして、その新境地 (但し正規名義上で) が・・・含めて激しくツボで、彼女役どころが製作したナビゲートAIをもつロボットの声は旧ジャイアンもしくはワルサーの中の人というベテランが起用されている。

片方の妹のアマチュア無線の趣味・・・・でっアキバの裏路地系w激しく地雷アニメの予感。
TVKは今期このあとのサイコ欝な死後文とのギャップがいかんしがたい。

 ちなみに韃靼人は中盤のワルツあたりで、普通合唱がないとショボイのだが、ここでは非常に充実していて使用音源が気になる・・・・だれかレコ芸の相談室へ問い合わせヨロシ。(海軍仕様呼称)

ちなみに砲台のあいざーまんさんはこれをとりあげるか?否か・・・。

私信あいざーまんさん観てたらなんかコメントください。
追記’もともと設定は横浜市で、本編上では七浜市であるが、舞台の屋敷が円海山元町山手散策コースのベーリックホールというコアさで軽く吹く、聖地訪問ネタが・・・・そして第二回の次回予告で中の人関智一氏繋がりのGガンにつづく ●だめの‘千秋ネタ・・jが前回は、軽く元ネタの ハヤテ ネタで今回はこれパロディー主体予告なのか?切るに切れない予感w。

(*)
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by dr-enkaizan | 2008-01-06 05:03 | クラシック