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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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カテゴリ:オネゲル@交響曲( 1 )

オネゲル:交響曲三番「典礼風」:カラヤン/ベルリンフィル

オネゲル:交響曲三番「典礼風」:カラヤン/ベルリンフィル

敗戦日もしくは終戦日も近いので・・・・・・・平和で思考停止は厭なれど先人らの、運命のもてあそばれた末の愚かしき果ての「災厄」を哀悼の意識をもって偲んで。

これを我が「土瓶水」から改訂転載するもの也
(以下旧文転載)


戦後まもなく戦没者を悼むいとが充分感じられるこの曲、三楽章事にミサの典礼分からの引用が一行ついておるが故に、「典礼風」のタイトルがついております、フランスのカトリック文化最もたる典型でしょう。

 第一楽章の「怒りの日」は不吉なきな臭い低音の断続するざわめきから、突然終末ラッパのようなクラリネットと金管のファンファ-レに支えられ「怒りの日」の救いの無い表現がなされます。

 そしてオネゲル特有のパシフック231の如しメカニカルな表現がここではそうした機械文明が人を脅かす殺人目的のものの傀儡となった怒りの表現としてずいぶん続きます。

 ここの美しさは、不謹慎ですが、兵器の機能的なところの美しさも感じられ、なんとも複雑な気持ちにさせられますが、随所でならされる小太鼓や打楽器の軍楽マ-ティング風双方による不吉な軍隊の暗示がそれは人間の危機の状態という事を覚醒させてしまいます、そして全体を通してそうされる鳥の声のようなモチィ-フがここでは低音金管で力を込めて謳われますがバックのオスチナ-トにかき消されるようでもあり、蹂躪される平和の叫びもしくは、ひとつの主張が変容する恐怖を感じます。

 さて第二楽章「深き淵より我は叫びぬ」一定音程の平行を伴った対位法的な音楽で随所に転調や音のぶつかりがあるがすべて、穏やかで慎む気持ちの、喪の音楽世界が進められます、混沌として前奏から、フレ-ズとポリトナ-ル風な和音のうごめきに渡され、壮大な背景が露になりその上に第一主題が高い音域のチェロで奏されるあたりは、やはり現代人の宗教的慎みを納得できる形で耳にできるようです、そして途中悲しみとそれを引き起こしたものへの感情の憤りのごとく盛り上がりますが・・対象は第一楽章と同じ打楽器で鳴らされ象徴している戦争なのかもしれませんし、人間を襲うあらゆる不幸なのかもしれません、そして穏やかになって「鳥の声」のモチ-フが高い音域の木管で慰めと瞑想をさそいます。

 第三楽章「我に・安らぎ(平和)を」は穏やかながら釈然としない気持ちのメカニカルな行進曲で始まり途中讃美歌の引用などがあり、途中慟哭なのか再び復興とともに迫りくる、愚行の繰り返しによる何かを表現するがごとく木管の咆哮などがあり、最後に強烈テュッチ-のクレッシェンド盛り上がり突然先の木管の咆哮で静まり、その中弦楽の哀愁のある漂うフレ-ズのなか、行進曲の基本動機が穏やかに演奏され、その上に静かに木管で「鳥の動機」と第二楽章の感情盛り上がりのときの憤りの旋律も静かにソロ弦楽でならされ、すべては穏やかな心持ちに変容して曲を綴じます闘争と慎みから和解へいたるプロセスがなんとも感動的です。



さて推奨せる演奏は・・・・・・カラヤンの磨き上げたベルリンフィルとの演奏を70年代直前のDGに録音せるものが


第一に挙げられる。

Honegger: Symphonies Nos. 2 & 3 /...

 カラヤン個人的にもナチスがらみで戦後は冷遇された過去もあるが。そんな個人的な等の先入観がかかわっているかを請えても「ただひたすらに美しくあってその上心に響く悲しさ」としかいい様のない音楽を展開しており。カラヤンの演奏では非常に感情的に思い入れ(注)が先立っている珍しい部類の演奏を展開していると診断。

(注)後述のライヴがこの曲をカラヤンが愛好していたことを表している

 第二楽章のクライマックスの後の第1主題の確保部分での弦楽の歌の音量の不思議な存在感は奇跡としかいい様がないもので、晩年に演奏されたライヴをFMで聞いたときも同じ状態が記録されていて、このコンビの力量の凄さに戦慄させらるる思いであり。


 昨今の声張り上げて「ただ戦争イクナイ」で思考停止するような論説より、ここでの磨かれた「鬱」とやりきれない透き通る悲しさのはての達観と諦念をもって、いや・・目を背けないで、憂鬱のはてに希望のメッセージが潜まれていると信じて、偲びたいかの日かな。

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by dr-enkaizan | 2004-08-13 02:38 | オネゲル@交響曲