承前ドボルザークの交響詩の題材は民話でも結構陰鬱な内容を取り上げている次第にて候。
今回ゆりかもめさんの取り上げる真昼の魔女しかり、それから水の精しかり、ヨーロッパのほんとは怖い民話の世界を地で行っているものが多い。
当該テーマの真昼の魔女も、子供を躾ける途上に、魔女が来て命をもらうような脅しをかけていたら、突然小さい魔女が現れ、次第に踊りながら等身大になり近づいてきて、母親が気絶、そして後に駆けつけた夫に介抱され、気がつくと子供が死んでいたという、謎めいている寓話的悲劇を題材にしている。
魔女自身の存在が円海山的には何通りか考察されるが、一つの呪詛的の側面からは、言霊であり、不吉な話題や縁起を欠くことの跡に、エンガチョなどの代表される、定型の文句をいうような風習が多くの民俗学的な研究の機縁になっているように、ウィギを引用すると
>声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。
次第でありなん。
これは先の引用先どおり西洋にも聖書の記述としてもあり、そこでは吹くという動詞が由来のプネウマであり、ちょうどこの交響詩の序盤のホルンの空虚音程で始まり、木管により指示された動機が、弦楽でメロディーで展開するプロセスなど、まるでその言霊の機構をも暗示しているかのようなのは、作曲家にそれらが念頭にあったのかは詮索をしてみたくなる次第にて候。
あるいは題名の魔女に当該童話がWitchと使用していることからも。その言霊として説が濃厚になる、Witch称される魔女の彼女らが呪詛という言霊に近い定義により、術を遂行するとされ、キリスト教以前の多神教の名残由来に関連しているのも、スラブの文化となにやらありそうな感ありありで候。おそらく呼ばれたのか、それとも自身が魔女だったのか・・・はたまたと推理してこの曲を楽しまん。
この辺はその筋のクラ人の小額機動隊のおかさんにバトンを渡しておきたいwwところでこの辺で。
同じウィッチならストライク・ウィッチだった萌殺されるかもww
これをもってゆりかもめさんへの新年のあいさつとします。