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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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ロドリーゴの標榜しつつげた音楽は何なのか?

 アランフェス協奏曲で知られるホアキン・ロドリーゴはそのイメージが付きまとい、デュカスやモーリスマニュエル門下でのフランス近代書法の多彩な技法を熟知している作曲手腕の持ち主に関わらず、件の協奏曲の評判が引きずり、スペインの内乱期のナショナリズムのころの作品が一人歩きしており、ギターの復興および一部の作品での民俗イデオムの書法から作風に、アウトサイダー・アートの如し天然で表われているかのような、評価言説がまかり通る嘆かわしい現状である。

 しかし、実際ためしにナクソスの管弦楽集成を一巻から追って聴くと、年代順に近い配列で聞け、不幸なことに、アランフェス協奏曲が奇跡だったかのように・・その近接の作品があまりに、一つ考えないで聴くと、シンプルな新古典的で発想展開に乏しい音楽一見評価しかできないものが羅列され少々つらいのは事実である。

 実はこの集成は後ろの番号から聞くのと前の番号から聞くのとでは作曲家の感慨が180違ってくるという奇妙さを具有しする次第にて候。

最近ではこの袋小路に鎌倉スイス先生も嵌っておられるようなので、ここに上記提言と気になることとあるヒントを書いて見たい次第にて候。

 まずこれらの症例を一考して欲しいのは・・・ロドリーゴのアランフェスの頃の時代背景であり、スペイン内乱期に書かれた国家を国中の人々が考えていた時期に、その気運のなかに作曲家は幸か不幸か居合わせたことであり、同時期のナチスのまかり通る独逸でのナショナリズムでのカールオルフの単純主義や、ソビエトでの粛清下でのショスタコービッチやプロコフィエフそしてモソロフの平明な書法への転進と会い通じるものがあることである。

 これはその危うい社会的気風を転機にしたイタリアのレスピーギにも、復古主義的題材にイタリア古楽の復興を目論んだ新古典編曲作品がその現れであり、ことさら鎌倉スイス先生もロドリーゴの上記作品群への鋭い近似を指定している次第である。

しかしながら、当作曲家が音楽書法的に後退して、単に民俗書法を表出する作品*を輩出することを生涯にわたり、標榜し続けたといえは、敢えて「否」といえるだけの作品も、第二次大戦後の70年代の作品に存在する。
(*) また此処で形容に出てくるグリーグも、その表向きとは違う書法的先鋭より民俗イディオムを優先したかということも大いに疑問を投げかけたいが話がそれるのでいずれ。あえて叙情小品集いくつかの音階と音程への大胆な試みを示唆するに留まりたい。


 その書法的先鋭標榜するかのような(*注)・・・代表格は、初期の交響詩「青い百合のために」の民俗素材をコラージュして、管弦楽の即物的表現の混在するカオスへの試みであったり・・・・上記年代のフルート協奏曲の「田園協奏曲」での第一楽章の累積四度の音程を楽想の骨子にして、各種旋律を結ぶという機知に富んだ発想は?もはやアランフェスでの素朴な民俗素材は表出しての演じられていたのか?疑わしくなるほどの作曲書法の職人芸を感じるものに候。

(*注)追記’両作品の時期を言及した記述がごっそり抜けていたため、追加


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8.555962 ロドリーゴ:管弦楽作品全集 6 「交響詩青いゆりのために」/他

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BIS-SACD-1559 ロドリーゴ:田園協奏曲/イベール:フルート協奏曲(ベザリー/サンパウロ響/ネシュリング)
この書法的発想は無論アランフェス以後の成長とも、情勢の変化の反映とも・・・いえるが、それらを踏まえて、大胆さや霊感力の事欠いた作品もある意味合から、むしろ仕事の質を加減できる手腕は持ち合わせていることの証とも、円海山的には所見さるる物にて茣蓙候。
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by dr-enkaizan | 2008-01-08 01:43 | クラシック
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