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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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受容者たる者の証-三大バレー以外のストラヴィンスキー1982(1)

 今年の夏は「CBSのストラヴィンスキー自作自演」集成22枚組みが、嘗ての歴代の購入者を失望させるほど「壮絶な廉価」で発売されたことが、一つの情報の産業が定着した時代を象徴もしている。もはや雑誌や嘗てのベンダー側のオブニマス企画という限られた機会でしか出会えない体験が、そのまま全容は個人の自由で出来るように、全て購入出来る次第にて候。
 これは当全集をある廉価企画での抜粋で知り、LP期に限られた分発売を買いあさり、CD期に清水の舞台例えのような価格にもめげずに、決起し購入したものにとっては、今の世代は恵まれていると思うことしきり。
 
 それらを受けてか一部の向きでは斜め聴きする方々や、一枚ずつ聴破マラソンを敢行する方々などもいて、各々様々姿勢にてその情報に挑戦する気概大いに感心にいたる次第でもありなん。

円海山的にそれらの方々に歩調を合わせてすこしストラヴィンスキーについて、ネタを供出してみようと思う次第にて候。

 多くの者達がストラヴィンスキーの音楽全般に挑もうとする時、宿命として立ちはだかるのは三大バレーの独創性と親しみやすさとの、ギャップであり、多くはその受容の難解を、作曲者の作風の変遷が発想の枯渇と捕らえ責任転嫁するかのように、作品の芸術価値を低く見なしもし、聞き手の蒙昧であることを否定したがる顚末に陥る。

 ゆえに歴代のストラヴィンスキーの音盤やコンサートレパートリーもそれらを反映しており、常に啓蒙者が三大バレー以外のストラヴィンスキーを建前上に聞くことを推奨しているのに関わらず、聴衆はその言説があまりに学術的区分で見なされすぎていることに、作品そのもの才気を味わう以前嫌気がさし、一向に三大バレー以外の作品に光が長らく当らなかった時期があったのも確かであり、子の全集も三大バレーでの一部の作品の演奏が、前提条件ゆえの結果であった可能性も忘れられただ単に、下手と誤解され、それらにより、へたな代表曲の演奏枯渇した作品の全集として事実無根の誤解がなされ、長らく日本のマーケティングの外に追いやられていたの時期も存在している。

 こうした気風は1980年代までつづき、おりしもマーラーブルックナーという、コンサート趣向あるいは音響趣向ににて多くの世紀末記号にも事欠かない音楽の再評価に隠れさえもした。そうしたなかかすかな光明に生誕100年に集成された31枚組みLP全集および、アニバーサリーにあわせた雑誌の面での特集であった。

 円海山的にはレコード芸術の1982年の11月号が端的にそれを象徴していると感じる次第であり、当時のマーラーブルックナーのブームを反映して、その号は第一特集にブルックナーそして第二ストラヴィンスキーと後者がやや少ないが同規模扱いの特集になっており、そして第一世代発売が始まったCDが第三特集に組まれている、破格の編集構成である。

 そしてここおいて、三人の評論家(石田一志・船山隆・諸井誠)諸氏の三大バレー以外のストラヴィンスキー名曲当りが始めて点前を超えての評論者として接するストラヴィンスキー作品群への本音が聞け、その受容の鍵にもなった。

 今回は石田氏のを紹介引用すると・・・・・。
弦楽四重奏曲のための「三つの小品」・「兵士の物語」・「プルティネルラ」・「管楽器の為の8重奏曲」・「オラトリオ エディプス王」・「三楽章の交響曲」・「エボニーコンチェルト」「ミサ曲」「オペラ道楽者のなりゆき」・「ピアノと管弦楽のためにムーヴメント」である。

ここでの石田氏のコメントから解ることは、氏は聴衆や読者の芸術文化における機能に注目した「受容美学」のヤヌスの言葉の
「文学や芸術は、、作品を受け容れ、享受し、判断を下す人々の経験を媒介として、初めて具体的歴史過程になるという考え方がある」
 という旨の引用に始まり、作曲者という創作側にもその「受容姿勢」が力量に関わることを言及しており、過去の作曲者書簡などもたとえ、歴史にあわせ作風を変貌させたストラヴィンスキーもそれらの、優れた受容属性故であると、指摘肯定して、その民謡からバロック、古典派にラグタイムなどのジャズそして12音音列主義までの
「良き受容者」
としての証にてのストラヴィンスキー像を聞く観点でチョイスしている次第にて候。

そして30年代の作品をそうした受容の社交性の「ポーズが」過ぎていると控えめに一喝して。、自らの選定から漏れていることを明示して分を終えている次第である。

実は偶然の一致か諸井氏のチョイスも1930年代が抜けており、次回は氏のチョイスを引用してネタを続けようと思う次第にて候(つづく)
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by dr-enkaizan | 2007-08-26 23:59 | 現代音楽
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