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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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伊福部昭作曲、交響譚詩

 伊福部昭氏作曲 交響譚詩が、遠からん意味での示唆において、戦争の犠牲者由来の音楽であることは、その曲の2楽章の土俗の勢いを失い深い感情的側面へ向かう、構成が、おりしも南方進出(事実上は、物資拠点と航路確保のための他国武力による領地略取)に陰りが見え、戦意高揚がさらに望まれていた時勢との、その違和感に気づかない限り悟ることが出来ないことは、多くの好事の方々には周知の通りになるや。
 曲の馴れ初めは、戦時下の1943年の夏に書かれる、そのスコアには蛍光質(*1)により倒れなくなった、氏の兄君の勲氏を偲んでのものであり、それをヴィクター管弦楽コンクールにの送り、入賞し、国策により愛国的楽曲として、類似の経緯をもつ渡辺浦人の交響組曲「野人」(1941作 なお両曲の初演。録音はともに山田和男(後の一雄)によりなされている。)
等と共にいち早く録音もされディスクが出回り、著明な日本の管絃楽曲(*2)として知られるようになった次第にて候。

(*1)実際にソースが不確なるゆえに、多少正規のトピックで書くのはためらわれるが、日本の「蛍光質」の研究には多様な用途があり?

 一部で、知られる光弾性を利用しての材質本体の変形挙動認識の為の、竹・木質材料の造影に、鉱石の偏光、さらに塗料などの用途があり、一部の放射性をもつものもあり体に有害である、なお諸説ある伝聞ゆえの情報ゆえにさらなる仔細は不明であり、一部は後述の話とごったに伝えられている模様で注意が必要。 

 そして作曲者本人の伊福部氏も北大で木質材料 の振動(建材および航空機がらみか?)の測定の放射能体に変調をきたしており、北大にて林学を志し、そして林務官になった氏が、趣味の作曲へ職務を転向する契機になった。 


 なお氏の振動研究の片鱗は、音楽においても氏の管弦楽法の教科書に楽器の波形の倍音的な特性を言及ある記述や、当曲を含めす氏楽曲の器楽法に弦楽器の特殊奏法多様、はたまた、一躍有名された特撮映画「ゴジラ」での、チェロの音を歪ませた音で「怪獣の咆哮」の音響効果への監修等に伺える次第。 当時の情勢と照らし合わせると明らかに戦時の物資不足の打開を目論む由来での、新材料の開発に軍部からの発破がかけられてた事情が伺える次第。
(*2)戦後に渡辺は芥川氏の同曲の演奏会のプログラムに、野人の作曲の根底の由来が、表向きの表題を実は無縁であったかのような随筆を書かれており、フォンテックのライヴ盤で拝読できるが、本人は何ら意識していない文章ながら、芸術文化の戦中の祭り上げられたかを推し量ることが出来て面白い

 曲は、本人がスコア上で明言する悪化する戦局での管弦楽の人員の確保の困難を受けて2管編成(一部持ち替え)の小編成で作られており、戦局の悪化によると理由はあるが、巨大編成の日本狂詩曲の次の、近作の土俗的三連画の室内管弦楽編成の成果を踏まえた例もあり、これは前作ピアノと管弦楽協奏風交響曲の肥大、複雑化した編成と構成の不評を受たことと関連も一因があるのではと邪推もされルル次第にて候。

構成は第一と第二の譚詩からなっており
第一はアレグロ・カプリチィオーソとなっており、最初に桶の一撃のあとすぐに提示される主要主題は四拍子に三拍子と二拍子交差複合するリズムで、楽章中何度か表われ、曲の構成の主幹をつかさどる。それは常にリトミックで土俗的な性格をもっているが楽章ごとに微妙なアクセントのズレと管弦楽の違いを与えられており、氏の主題展開がストラヴィンスキーや師匠ティレプニンのような小節単位での細胞的な動機のプログラッシヴにあることが伺える、それらの主要なと主題の間に叙情的だったり、非常に野蛮な副次主題の推移が挟まれる構成概要をもつ、そして韻律においても、日本古謡の音階を教会旋法的な拡張を目指す傾向が現れ、時にプロコフィエフの使用するような白鍵盤での全音階的な主題などの主題も使われ、さらに七や九度の和声解釈での三度累積のハーモニーの幅のあるヴォイジングなどが顕著になり、前作で萌芽を形成した後年の音楽スタイルが昇華し、確立したことが解る。
 第二は、アンダンテ・ラプソディコであり二回の序壊急の構成を持つ楽章であり、前の楽章より内省的な音楽である、そのプロセスは冒頭の多オーボエの憂いあるソロから、弦楽の日本情緒ある歌が流れ、管弦楽で盛り上がり、最後の幾分リトミカルなオケの土俗的盛り上がりでオケが雄たけびを上げるというものであり、二回幾分の相違を経て繰り返され、最後にトランペットに導かれた冒頭のソロ回想にて深遠の沈黙を獲て終わる次第にて候。

 それらの管弦楽は前述の通り弦楽器の特殊奏法としてはハーモニクスや開放弦、バルトーク・ピチカート(駒板に弦を当てるように弾く)、引弓による重音など多用、そして打楽器ではティンパニーのバチの種類や方法そして、叩く場所の些細な文字指定があり、そのほか目立たないが常に多くの器楽が何らかの補強するような挙動を示し、小編成の管弦楽から多彩な音色と、音量を多く獲ようとした作曲家の配慮が伺える次第にて候。

これはストラヴィンスキーの火の鳥の1910年とその後の組曲1919-1945改訂や、ペトルーシュカの1911と1947の改訂を彷彿させるものであり、その和声や構成の簡素な整合性追従は師匠チェレプニン(*)の指導の賜物であることは想像に難くない。

(*)なおチェレプニンはモスクワ時代に生徒の一人であったプロコフィエフにおいても亡命直前にハイドンのフォルムでピアノを一切使わないオーソドックス発想で曲を作れないのかと挑発的ともとれる提言をしており、プロコフィエフが古典交響曲を書く経緯になったと伝えられる、恐らく彼がいち早く、春の祭典の外見で誤解されがちな、ストラヴィンスキーの音楽の緻密な書法主義の側面を見抜いていたところがあり、それらを安易に模倣肥大化した音楽を嗜好する弟子に、傾向、流布徹底させていたことも窺い知れる。
演奏としては1984年に外山雄三がNHK交響楽団とおこなった日本の管弦楽作品集での収録が非常に均衡のある演奏を行っており、

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録音の安定もあり、円海山的にはファーストチョイスとしてきき、その後、より作品の共感に満ちた初演者の山田一雄ステレオ再録音

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や弟子の芥川氏の演奏を聞くことで作品の存在する位置推し量りながら聞くことで、

伊福部昭:管弦楽選集
伊福部昭 / / フォンテック
ISBN : B00005EZTX

この曲の後半に拡散しゆく構成のなどの扱いの相違を大いに楽しむことができると、所見さるる次第。
 ただ細部としては芥川氏の演奏では録音レンジが狭く、ティンパニーなどの特殊奏法不徹底がるように見受けられ、それなりの割り切りは必要ではある。

たしょう仔細については、気が向いたら続編にて。

なおスコアは近年ポケットスコアにて発売がある。
OGT-302 交響譚詩
伊福部昭 / 音楽之友社
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by dr-enkaizan | 2007-06-24 10:24 | 解説のない音盤紹介
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