ヘンスラーのプロフィーレーベルは想像を絶する音源があるらしく、ケクランをあのヴァントの指揮にて聞ける来るとは思わなかった次第。NMLネタ恐るべし。
PH05007 サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番/ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」/他 (ヴァント/ケルン放送響)
ケクラが著明になった「ジャングルブック連作」からの物まね好きな樹上の猿たちの様子を描いた「ヴァンダール・ログ」であり、ケクランは自身の瞑想的な曲想のみならず、このスケルツオに印象派そしてドデカフォニーに新古典主義のフォーマルな対位法的書法を引用して、ある種の自虐的ともいえる新しい書法へ飛びつく作曲家や、評価する評論達を、原作にある周囲の動向を噂して物まねする猿達に例えて表現する、多層的な表現意図を目論む次第であり。
曲は、印象派的な五度の累積の瞑想的な和音による静寂から、突然の滑稽な表現そして、音列と全音音階の登場で無調音楽へドビュツシーかシェーンベルクの間で無防備に飛びつく輩を揶揄して次第にそれらが対位法的展開でフーガに展開してゆき、行き着く先の新古典主義の形骸を揶揄しており、時に不整合な打楽器の衝撃は、ヴァーレーズあたりを意識しているのか、フォーマルな点での破壊にいたる音楽へのそれなりの、ケクラン的回答が見られる次第で、それらが一つの行進となって群れをなし、非常に野蛮で滑稽な異形の行列をなし盛り上がるが、突然のあらたるインパクトにて、ちりじりになり、猿どもは逃げ去り、元の静寂の森へ戻るといった、内容である。
これらをヴァントの演奏では性格を非常に明確に描き分けており、マルコポーロやジンマンのRCA録音などで納得のいかない音響が個々では非常に目的意識をもつ物として描かれ、全般を通して集中して聞ける充実感をもって味わえる次第にて候。
これは世界初録音を敢行し、ケクラン音楽の紹介を勤めたアンタル・ドラティーのEMI録音以来快挙ともいえる次第であり、ヴァント氏のフランス音楽へのコスモポリタンなアプローチは、本来氏の評判ブルックナの側面が騒がれ過ぎたために、支持層を得られなかったことが、伺える貴重な音源である次第にて候。
音楽が手法や国境を越える共通な言語であるのだが、昨今その音楽をするのに楽器や様式で差別化を図る傾向が強く、非常に偏向して聞かれる旨もあるが、、このヴァントのケクランはそれらが非常に無効であることを感じさる物にて候。
とはいうもののケクランゆえの成果であることも否めず、ケクランの音楽に国境より瞑想的な展開での微妙な書法の端的ナ相違を味わうことに起因しているのも認められる。
一面クラ音楽を救った「マーラーブルックナーブーム」だかその弊害というのもこの際考えておく必要があるかとも思う次第であり、一時期ヴァントがブルックナー周辺持ち上げられ、その次での昨今の古楽器ブームにも、その手のケクランが揶揄する新機軸への蒙昧な追従をする輩「物まね猿」のごとき匂いがしてきたことを警鐘しておきたい。
出来たての頃の新鮮もいいが、一度進化した書法や技術による歪み無い世界により成し遂げられる素晴らしさとはを考えると、ヴァントのゲシュタルト掌握の新古典的な演奏での、古典のケルビー二、そして近代書法に慎重な対応をなしとげ独自の均衡を保ったケクランの音楽は氏のブルックナーと同じ光を放つような次第にて候。
尚録音はテレビ用音源であり一部を除き当曲はモノラルとされているが、明らかに分離しており、ステレオと変わりない処理がなされており、ナウンスが間違っているか?それとも斯様な擬似ステレオなのかわかりかねるほどの、素晴らしい音質でありなん。
HMVの宣伝から引用すると
【曲目】
1)サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調
2)ケクラン:交響詩「バンダー=ログ」Op.176
3)ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」Op.9
4)ケルビーニ:歌劇「アナクレオン」序曲
【演奏】
ギュンター・ヴァント(指揮)、ケルン放送SO
ルッジェーロ・リッチ(Vn)
【録音】
1)1970年12月1~5日
2)1973年2月10日
3)1967年10月27日
4)1975年10月31日、ケルン
追記10-10-08アンタルドラティーのBBC響との競演はCD化しており、秀逸な演奏を聞かせてくれる次第。 CDM 763948 2
ブーレーズは水の中の太陽 自演 メシアンはクロノlクロミー他 パリ管弦楽団セルジュボード
なお作曲の系譜は、ドビュッシー→ケクランの流れはトゥルミエールというミッシンリングや枝葉のラヴェルのドラージュなどを含み、メシアン→ブーレーズそして武満という流れでゆくのは、ネット掲示板の黎明期によく話されていた。