ブログトップ

六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

drenkaizan.exblog.jp

チャイコフスキー:ロメオとジュリエット(1869年版)

さてオーソドックスと思われがちなだか、近年の研究でその創作プロセスに並々にならぬ労力を費やしていたことが解る作曲家と注目もされているチャイコフスキーについての音盤を。
a0007939_11564927.gif
CHAN10041 チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」(1872年初稿版)/ロメオとジュリエット(1869年版)
最初期のジャンドスを飾るアーティスト ジェイフリー・サイモンの活躍は、おもに、既存の作曲家の影にかくれた曲に、周辺の珍しい反応など網羅するものが多く、それらはレスピーギ二枚に、フランス近代の競合舞台音楽作品集などが、残されており、のちに、自主レーベルに独立して、ドビュッシーやラヴェルの表曲+他作曲家の編曲集やストコフスキーのアーカイヴにレスピーギの続編そして珍しい器楽編成などの音盤を輩出しているしだい。
なお当音盤はもう一枚のCDと共にLP時代二枚組で出され、レコ芸の海外版視聴記にも紹介されている。

 ここでの注目は当作曲家の各種稀なる作品と初期原稿での演奏が主であり、とりわけ興味深い状態での、幻想序曲ロメオとジュリエット(1869年版) が収められている次第である。

 現行版との違いは耳でも明らかであり、悲劇を暗示するコラールがなくこれは冒頭から展開部など全体を通じて存在なく後半では致命的な充実の不足となって表われており、その代わりに冒頭がバレー音楽の一場面のような、サロンのような緩い舞踏会風の舞曲になっており、おそらく物語の筋をおった構成になっている次第である、この主題は中盤の展開部に変容され推移の区切りの素材に使用されているが、余りに唐突な感慨をもたされる。

 そして金管の変格的な終止が特徴的な短いコラールと弦楽のフレーズの交代など推移かなされティンパニーのトレモロの起伏の後。静かに二人の愛の主題が先行して提示され低音に半終止され、やっと主部のアレグロで通常に戻り進んだと思うと、愛の主題の推移部分が途中ハープのアルペジオのみの集中を欠いた部分があり、そしてアレグロの主部の推移の両家の対立を描くような、対位法的な遁走的展開がなされるところが多少入り組んでおり、技巧的課題の回答めいていおり、非常に現行のスパルタンな様相から比べると興をそがれる思いにかられる。

 さらに愛の主題での主部との交差は現行とかなり異なっており、その素材の断続的対比にためらいが見られ明らかに集中力を欠く、そして後半に至っては突然四度上下するテンパニーの導入という後のマーラーの巨人の葬送行進曲の先駆けのような音楽に導かれ、やがてハープのアルペジオに導かれた和音強奏のゴーダであっけなく終わる。

 まあ・・・・感慨はロシア五人組の誰かの作品といってもおかしくない構成の緩さでもあり、音楽ファンにとってはある種の刺激あるネタになりうる新鮮さでもある次第にて候。

 先日鎌倉スイス先生の所コメント楽しく炎上していた、チャイコフスキーの他人補筆の問題にも関連する問題に共通する事項として、冒頭のコラールの有無や、推移素材吟味削除そして、フレーズの曲想の統一とおそらくチャイコフスキーは「最初の掴み」と全体統一を、消去的な観点に立ち返り、改訂をする傾向のでは思われる次第であり、そのほどは皆様これをご拝聴して何が現行に残り、残らなかったを個人の好みという逃げ道を作らすに真っ当な判断を下す事を切に願ってこの項終了セリ。
[PR]
by dr-enkaizan | 2007-05-20 11:55 | 解説のない音盤紹介
<< うーんヤニグロで胸キュンが頭を... 音楽廃墟系・・・リムスキー=コ... >>