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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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CEDILLEのイーズリー・ブラックウッド

NMLの可能性として、大よそ流通にての利益を見込めない規格ながら、資料的要素としての価値と機能を求められる音盤の普及もあり、単なる道楽の相手もするが、こうした文化的機構の一端を担う隙間のビジネスにも着目している点に・・国内の音盤メーカの人気中心主義と、芸能による利益の余剰に成り立つビジネスのような概念と違う、その考えの差を著しく感じる次第、もはや著しい焦燥を感じないのか?。

さて当音盤も、アメリカのシカゴに本拠を置く非営利団体「The Chicago Classical Recording Foundation」のレーベルであり、、シカゴでの音楽家の活動を記録する趣旨にて発足しており、ここでも、シカゴでの音楽の教鞭をととり、20世紀音楽のピアニストでもあり、作曲家としては、アメリカの戦後に活躍した第一世代とも言えるべきイーズリー・ブラックウッドの交響曲第一番がシャルルミュンシュボストンにて収録されている次第にて候。

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CDR90000-016 ブラックウッド:交響曲第1番(ボストン響/ミュンシュ)
BLACKWOOD: Symphony No. 1
Easley Blackwood: Symphonies Nos. 1 & 5

しかし今現在NMLではカップリングのデプリーストの交響曲五番が割愛され、おまけに楽章の並びが辺なのでこの辺了承していただければ幸いにて候。

  作曲家は系譜的にはヒンデミッドとメシアンの直系であり、作風は交響曲第一番ではルーセルとオネゲル足したような、渋さのある音楽であり、その咆哮するオケでの不協和なスケルツアンド風のモットーで始まり、対位法的なヒンデミッド張りの音楽ある第一楽章に、木管のユニゾンから謎を問いかけられ幾分の律動の上にうたわれるメロディーがルーセルのような第二楽章そして、スケルツオは対位法によるレントラー風であり、ベルクのヴァイオリン協奏曲を彷彿とするが、木管の不協和な組み合わせでのメロディーとリズムであっけなく終り、フィナーレは深刻に盛り上がり、陰鬱に瞑想して終るという古、幾分後期ロマン派風のフォルムと古典的技法による構成であるが、その向かう先には何か前衛を趣向するところがあり、甘さのない緊張を強いられる驚きと、合間の美しさに満たされた世界が展開される。

 なおミュンシュの指揮は一気唖然にこれらを描き重厚で色彩感を疎かにしない適正を生かしており、かなりの名演奏を披露している、音源は?RCAの録音か?かなり分離は良い。

 その後の氏の活動は12音以外の調律世界による作品などの古典的要素をリファインするような、実験的活動もしており、それらの萌芽はこれらからも遠く見て取れる次第でありなん。

CDR90000-018 ブラックウッド:微分音作品集
BLACKWOOD: Microtonal Compositions
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Easley Blackwood: Microtonal

この微妙に狂った調律によるマトモな楽曲の歪みの美しさはなんともいかんしがたい・・・・
クラフトワークあたりを好きな人なら飛びつくことを推奨。

欲を言えばビード世代と呼称される世代に入った時代の交響曲二番などがこれに欲しい次第であるが、まだまだ未開発なNMLの部分をここに見てこの辺で。
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by dr-enkaizan | 2007-04-30 14:22
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