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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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植木等さんを偲んで

植木等氏の追悼に、各地の60年年代世代が一般的な評伝で各位に書いているを思い、何かと一つをと思っていてた以前見た番組
 植木等さんを偲んで「スーダラ伝説・夢を食べつづけた男」自らの軌跡を語るロングインタビュー▽谷啓ほか2005年制作
ほNHKが放送していた再び感慨がまとった次第。

 まさに日本の音楽のほかの一面での事情が見えてくるのに感心するしだいであり、自らの思うに氏の活動には、結果日本の社会人への応援歌になったが、それらを生み出す背景には、複雑な事情を真面目に、ひとに心地よくこなしてきた氏の才能の結果に他ならなく、単なる「応援という」うわべだけのインデックスをつけるよりその背理の濃さに注目もすべし点が多いこと、ここに記してみたい。

 氏は大正デモクラシーの影響濃い、社会主義的な平和思想の親鸞の教えの流れの僧侶の父の家の生まれ、その当時の時流に会わず父は投獄、息子である氏は、家計の檀家周りの仏事などの多忙な少年時代、そして、趣味の音楽を生かしての上京戦後の進駐軍ジャスや歌謡曲歌手での、バンド活動、横浜伊勢崎の「モカンボ・セッション」の時代にはキャンプから来る進駐軍の従軍ミュージシャンのハンプトン・ホースなどとの偶発的競演なども経験して、バンドミュージシャンをへて、そのシュプレヒテンめいたアドリブでのコミックバンドへの適正をかられ、和製スパイクジョーンズのコミックバンドを目指すフランキー堺に勧誘され、そしてそこでの進駐軍バンドマン時代からの元同僚ハナ肇と進駐軍周りでの、コミックバンドクレージ・キャッツを発足する。

元祖!冗談音楽~クラシック編

 番組では秋吉敏子との交流伝えられているが、おそら黛敏郎などとも時代が一緒であり、横浜本牧から伊勢崎界隈の進駐軍ジャズの時代を共に過ごしているのは明確
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花魁譚

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Trio, Vol. 3ハンプトン・ホース
 そして当時のプロダクション渡辺晋社長の下、今度は訪れたTV時代には、渡辺氏と親しい現在ドラゴンクエストなどの作曲家で著明な、当時フジテレビでテレビディレクターのすぎやまこういちの下に、「大人の漫画」そして、そのコントおよびじゃないで一世を風靡した、「シャボン玉ホリデー」などのメインキャストにてお茶の間の人気者、そして後日東京都知事になる当時放送作家にして作詞家青島幸男氏他とン名曲「スーダラ節」を発表、その当時高度成長経済のもと、管理社会に生きる社会人の中産階級的な様々な暮らしぶりと悲哀を面白おかしく皮肉った歌詞を、嫌味なく歌う様がヒットする、なおその楽曲もクルトワイルを和製化したような、萩原氏の
アイデアなるフルバンドのチンドン音楽という革新的であり、これも時勢いそったものであるもの一因である。


驚くべきことにその本人が不真面目では躊躇していた歌詞を、教義に通じる信教的道理と賞賛して、このような歌を個人を指して歌わしてもらえる機会のありがたさを説いたのは、前述の風変わりな人生をおくった父であった。

 これらは所ジョジや大滝ら若いポップス音楽家に80-90年代再評価され、その大滝解説の付いたクレージの集成音盤が発馬されている。廃盤中

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結成50周年 クレイジーキャッツ コンプリートシングルス HONDARA盤



 そのヒットを受け、その路線で、後に通産30作になる映画無責任シリーズも作られ、世の中時代の寵児となり、今日のTV・芸能のエンターティナーの基礎を確立する。

 当時のクレージの付き人には、小松正夫やあのいかりや長助のドリフターズがいる。

そして舞台演劇、黒澤映画など経て今日にいたるが、本年春間際に逝去

氏は誠に芸能と芸術の複雑なカオスだった戦後日本象徴だった御仁であり申した。
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by dr-enkaizan | 2007-04-08 17:33 | 雑文
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