想像力、または鏡に向かってキレるショートコント
まあ常識提示をファッショと称して切れる人物口がたち、良識はおいてきぼりにという。
チョウ○○新聞は何処の国の新聞か知れない状態になっており
「マナー違反対策」を「キレる客対策」とすり替えたのか、日本語わからないのか?
当該新聞の奇者は、さて・・・・音楽をすべて、受容形態をどこぞのライヴハウスでの軽い路線の「それ」へもっていこうとする・・・安い感動系の水準へ言論術をもって引き下げようとする意図がみえみえで、苦笑すらもおきる次第にてそうろう。
昨今のクラのポピュラリティーぶりは、嘗ての巨匠の伝説の時代を過ぎて、無理やり解りやすい状況や、楽屋落ちなどで、一体感や妙なコミュニティーを形成する路線、特定の趣味性に呼応してのマニア路線、さらに町おこしのネタなのか、無理やお祭りにして、よさこい祭りと区別が付いていない系など無批判に創意されすぎたきらいがあり、あまりに個人の趣味性を除いてその音自体を聴き楽しむ行為無頓着な次第なきらいがある。
一部の向きでの、営利目的有無を問わず、親しまれたい不採算事業対策のクラ祭りへの、無批判に参加宣伝賛同してきた「つけ」がこの意識低下の助長にほかならない。
音を楽しむということは、演奏会の第一の目的、それらに付随して、全ての事象が存在することを考えれば、雑音のうち不可抗力以外は、第一目的に相反するわけであり、回避をすることは当然な事は明白にて候。
もっとも・・・・ジョンケージなどのライヴパフォーマンスでマナー違反がでた時は、どうするか?
じつはさらに事態は深刻になる・・・
つまり・・・4:33の無音、ならびに内観的風景のように会場をトランジスターラジオもって歩きまわる、騒音の意味も本来は会場の沈黙の上にその異形がなりたつわけであり、聞き手は耳を澄まし0であることを望もうと思うのが道理にて候。
それゆえに議論を吹っかける輩には、我々は「音楽の絶対0度」というスローガンをオタでなくとも解る道理として掲げよう。
その一言以外なにもいいようがなし(笑)さしずめアナウンスは消費されすぎたクラ音楽コンサートの「マナー温暖化対策」と とらえるべしか。
その音での利き所の魅力の伝播を怠って、あまりに親しまれることに重点を置きすぎた結果が、これらの当たり前アテンションをファッショとして捕らえる向きが現れるという事態を引き起こしてる所見さるる。
アナウンスされなければわからない、ゼロを知らない馬鹿も世間を大手を振っ歩けるという、なんとも平和な時代なのかも・・(欝