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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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スキタイ組曲によせて(2)絶えず律動し続ける喧騒と静寂

さて招き猫上にもスキタイスレッドが「何かを狙ったようなタイトル」で登場している次第、皆様はご覧なされた頃と存じあげる次第にて候。

さて小休止の小再開にこの曲の細部の特徴を淡々と、とりあげてみたい次第でござそうろう。
 
 実に若きプロコフィエフがピアノ協奏曲の第二の成功の評判を聞きつけた、ロシアバレー団のディアギレフの演目の曲目依頼に己が用意したプロッド(紆余曲折あって*)であり、その内容は古代スキタイ人の野蛮と信仰心に満ちた神話に基く「アラとロリー」であり、同バレー団が引き起こしたスキャンダルな評判がさめやらない。ライバルと目していた先輩ストラヴィンスキーの「春の祭典」へのあからさまな対抗心に満ちるものであった。

(*)ロシアでのクーゼヴィツキーの「春の祭典」初演を聞いたプロコフィエフ自体も春の祭典のすべてが「理解しきれたものでない」と評する傍ら、「自らの方法」で同様のものを用意出来る旨を発言してたとされ、こうした心情に願ったりかなったり状況であったのは事実であるが、最初プロコフィエフがディアギレフに立てたプランは、構想を暖めていたオペラ「賭博師」であるが、頑なに断られ避難すらされル次第、実はディアギレフはピアノ協奏曲第二のバレー化かロシアの御伽噺や寓話に題材を選んで欲しかったようであり、この「アラとロリー」(スキタイ組曲原題)もピアノ試演で没になり、その後次番号を与えられた「道化師」に落ち着いた経緯もある。

 そのストーリー神官ヴェレスの娘の巫女アラ が邪悪な地神チェジヴォーグに誘拐されるも、英雄ロリーの活躍と月の女神の助けによって救済される、どこかでダフニスとクロエの影響を感じるハッピーエンドな古代神話である。
 その全貌は未だに計り知れないがの残された組曲の曲順にその片鱗がうかがい知れるのは確かなることであり、むしろ全曲を聴いたら幻滅する可能性があるぐらい纏まりは良好なのは確か。

 さて当曲は、この曲の影響を与えた春の祭典に対抗する術が随所にこらされており、多数言及も出来るしだいだか今回は第一曲の「ヴェレスとアラの崇拝」に着目してみたい。

 多数の人間がトランス状態になって喧騒

そして、神の到来を待ち、そして呪文と兆し 到来壮大に崇拝が行われ儀式は頂点に、そして転じて静寂に巫女の信託をきく神秘の儀式と厳かな崇拝へ沈着するかのような音楽であり。

あらましは

最初の喧騒は弱進行の和音組織か、テトラコルド音程の交差する三連音と金管とタンバリンシンバルのノイズある打楽器で描かれ。

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そして呪文は金管とホルンのトリルの対話

そして木管リズムの刻みの本反復に導入されて不協和で暴力的な旋律と伴奏がオーケストラに歌われ古代人の崇拝が描かれる。

そして野蛮な足踏みを思わせる呪詛的なリズムが打楽器とオケで刻まれ興奮は絶頂にそれが沈着すると、ハープとチェレスタによるリトミックなる伴奏へ移行し、二つのプルートの交代による神秘的なフレーズが導入され、陰旋法風の旋律が時に全音音階風な節を歌う。

それらに繰り返しが弦楽の半音階の早い上下運動をともない行われた後、時節に移り高音域のの不安定な半音階的旋律の挿句が入り、フルートの問いかけのあと崇拝の旋律が低音に静かに再現され、呪詛のようなリズムが金管の和音で再現され、低音のうごめきで不吉に終わる。

これらのプロセスの中でプロコフィエフが仕込んだものとしては常に八分音符単位の刻みが存在していることであり、最前半の崇拝も旋律の核となる音の背後に金管と弦楽の刻みが存在し。
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中間の静寂ののチェレスタやハープが刻みそして低音が刻むといった、常にモーター回転するかのような躍動が音楽を支配している。これはプロコフィエフの音楽全般に観察できる、常に躍動が偏在している音楽の端的なる例が此処ににても確認できる次第であり、これこそ「春の祭典」に対抗すべき秘策でもあったのではと想像もできる。

 しかし当曲には二番煎じ感が強いところもあり第二曲「邪悪な神チェジヴォーグ」においては。プロコフィエフの「春の祭典」へのリズム構成興味とその狼狽振りが観察できるがこれは次回に。

なお此の刻みをに着目している端的な演奏は三つ代表としてあがり、一つはレナード・バーンスタイン指揮ニューヨークフィルの演奏であり。次にキリルコンドラシンの演奏であろ共に崇拝の弦楽と金管のリズム刻にこだわり、アクセントの「タンタタタンタン」の合いの手が見事に確認できる。さらにシンセサイザーの冨田勲氏の「バミューダ・トライアングル」での当該部分も上記譜例にわざと外した同じ動きをするマレット系の音で強調、それを疎かにしないところが作曲家の目を通した演奏とでも言うべきなもので、平伏する次第。
by dr-enkaizan | 2005-06-28 02:20 | クラシック
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