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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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黛敏郎 ナクソスの初期オーケストラ作品集

ナクソスレーベルが淡々と丁寧な体裁でリーリースし続けている日本の近代から現代への集成であるが、松平に橋本そして大澤や諸井の楽曲の発掘的パートリーやオケの荒いロシアオケの伊福部など好評と悪評取り混ぜて常にトピックはトップになる活動振りに、日本のレーベルには出来ない規模での活動をするナクソスに羨望と期待の眼差しをもって接し購入すべし。
(なんじゃそれ)

さて今回は戦後派で武満以前の国際的もしくは国内で話題になった「三人の会」の一人黛の管弦楽で、「三人の会」としては既製リリース済みの芥川に次ぐもの。
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内容は
シンフォニック・ムード (1950) 初演時のタイトル交響的気分「スフィンクス」
バレエ曲「舞楽」(1962)
「曼陀羅交響曲」(1960)
ルンバ・ラプソディ(1948)

珍しい発掘的問題作品に挟まれた著名曲という形をとる次第。
さらに片山氏の厚く熱い評論が付くという価値がこの値段で実現するのが素晴らしい。

 しかしプレロマスを多用したあたり何か「狙っている」いるような・・・気もして第二集でもでたら
、その言及しているヴァーレーズの音楽の影響の濃い、リズム音響語法の解体と再構成の先駆者の影響がわかるトーン・プレロマス55でも入ることを思わず期待してしまう次第でもあり・・・・単に語彙が無いわけではなさそうな・・・。

 最初の「交響的気分」は「ルンルン気分」のような題名でその先駆と影響を与えたのは大嘘で、実に黛が影響受けたフランス印象主義とラテン音楽にアジア音楽の書法を統合せしめた、野心的作品であり、第一楽章「モデラート・アレグロモデラート」は冒頭の持続低音から次第に音数を増やし動きが増え、壮大な音響へ変貌する冒頭は、ドビュッシーというより、バルトークの「案山子王子」あたりの冒頭のそれや、「四つの管弦楽曲」の「第一曲」を思い起こす次第、実際全体構成はその後が舞曲のルンバをフューチャーした第二楽章「ビィーボ」がくるゆえ、その緩急構成はバルトークの初期のドビュツシーへのオマージュとしてかかれた「二つの映像」に酷似するがこれは偶然か?否か?、さてそんなことを連想させる冒頭の後は、ガムランを思い起こす律動が来て暴力的な響きへ盛り上る、そして再び静寂あるすがすがしい響きで終わる。
 またフランクブリッチの交響詩「夏」のような、和音の引き流しの上に鳥の声のようなおとの動きを組み合わせるような、時間軸の違うサイクルの組み合わせと酷似したところもあり、この辺もライナーには言及無いが?単にストラヴィンスキーやラヴェルトビュッシーの影響だけでは片付かないような黛の評価も本来は期待してみたい所。

 黛の音楽としては上記の静寂は、後の東洋的な音響、趣向で変質してしまうが、その点では第二楽章の「ルンバ」を使用して時にガーシュイン調はたまたラテンの暴力的な躍動を管弦楽に置き換え前楽章の主題を循環し回想して壮麗終わるあたりの、書法的未消化ながらも、驀進の音楽は後の涅槃や曼荼羅に通じる、要素が積み上げられて展開を否定して横に進む音楽萌芽がある様に聞こえる次第。その前駆的作品の「ルンバラプソディー」はそのリトグラフ的なスケッチにも確かに聞こえるが、楽想の多様は明らかに後者に成長が見て取れる次第であり、貴重な資料的意味合いも高いが、この作品も人を魅了することは忘れてはならない。

 これを出発として、この四年後のフリージャズというかビックグバンドジャズのような音響と躍動へ最新の管弦楽テクスチュアをぶつけた感慨ある混沌が、ジョリベの「赤道協奏曲」との接近すら感ずる「宴」、さらに55年の「トーン・プレロマス55」をへて、さらにヴァーレーズの書法を自己のものにしたと思われる、「フォノロジー・サンフォニック―交響的韻律学―(1957)」の音楽的書法上の関連よりも、その音楽素材の縦の律動の組み合わせの語呂合わせにより交響的な瞬間を目論む様や、同時期に平行して行われた電子音楽「XYZ」などのコンポジションを聞くにつれ、黛が常に西洋の音楽動向や音響技術動向を意識して、素材を追求して、影響を恐れることなく研鑽して自らを磨いていったことがわかる。

 その実験的色合いが強くなるにつれ、多少魅了する外見の要素が後退するも、今度は新しい音響的組み合わせの側面にて興味を刺激することが多くなり、さらに日本の伝統的芸能や文化への音響現象や構成骨子としての変調を目論んだ要素がそれらの後退を補ってくる、我々がしる「黛」の典型の作品が出現するののだが、当曲集では当然それも網羅され。

 初期のストラヴィンスキーの原始的リズムの暴力と雅楽との融合を先駆者の松平氏の「変奏曲のテクスチュア」も睨みながら目論み作ったような?ところもある「舞楽」と、「カンパノロジー」「涅槃交響曲」(*)で「声明」に「鐘」と「お経」への「本格的な音響」としての「仏教文化への掌握」をした後に再び「音楽語法側面」を強化して作成した「曼荼羅交響曲」のうち「舞楽」「曼荼羅」が収録されるが、既製録音よりオケの力量の差を感じる素晴らしい演奏が展開されている次第。

出来うるなら「サムサーラ」のような涅槃や曼荼羅の概念的姉妹作品も扱われんことを願いつつもこの音盤の登場は歓迎できる次第。
なお香港フィルと福田義和の演奏はマルコポーロから出ている次第
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 後年の政治的活動で「憲法改定カンターター」が番組で取り上げらようとして、放送禁止なった、ことが有名なテレ朝らしくない「題名の無い音楽会」はこの「解説のない音盤紹介」の元ネタであり、初期の包括的作品から広がりを考えると、ある意味黛氏が音楽活動を少し、遠のいたは?「国粋」のレッテルで干されたと自ら言うが、あの番組事自体が「黛氏」の書法により、国家と政治そして文化(サブカルチャーを含めた)芸能メディアを楽器にした音楽作品だったのではとも思えてくる次第でもあり。


(*)岩城氏の正規録音やライヴも賛同できるが西洋人ジュヒターの音響として捕らえた現象振りが著しいライヴも音質を超えて刺激に満ちていること此処に報告せり。
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by dr-enkaizan | 2005-03-20 14:30 | 解説のない音盤紹介
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