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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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ハイティンク祭-ショスタコービッチ交響曲第八番-

さてブログを始めてまもなく一年になり申す次第、ことに思うのはTBでのコラボレイトの楽しききとは掲示板のRESとも次元が異なることにて候。
最近ではてつわんこ氏とのショーソン周辺の件、ゆりかもめ氏とのハイティンクなどが顕著な例であり、今後ブログがどのような局面をもたらすのかはいろいろ興味がつきなき事也。

 さてそんな全前回のハイティンクのウォルトンのコメントにいただいたショスタコービッチについてのゆりかもめ氏の言及せし件では当方が当該せる音盤になるのが、当八番にとござ候。

 コンセルトヘボウに全部入れてほしい希望の感慨も一緒だったりするのもあるが、録音したデッカかハイティンクのあざといところで、コンドラシンの客演でオケがすでにトレーニングされた土壌を目論んでのショスタコービッチの適正をこのオケに見出しての起用のところも所見さるるところもあるのではともふと思い起こす次第。
 
 実にフィリップスのコンセルトヘボウのコンドラシンのライヴあたりをご拝聴召されると?皆様もその辺がふつふつと妄想せる事をお約束せるものなり。

 ハイティンクがオケの客演した指揮者の受容から巧妙な謎解きをしているといえば話は出来すぎだか・・・・非常に興味深い事実の連鎖でもありなん。

 ところで実はこの円海山のタイトルポートレイトは、このハイティンクの八番のデッカ国外初出でのLPジャケットが元ネタであることを此処にカミングする次第にて候

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現在はオーベンジョンでの再発のジャケは以下のとおり。

ハイティンク祭-ショスタコービッチ交響曲第八番-_a0007939_342971.jpg

 デッカの録音技術もありそれに答えるかのようなハイティンクの演奏の音楽克明な追従は、むしろこの曲の屈折した感覚と凶暴性をことさら浮き彫りにする次第だり、ムラヴィンスキーのフィリップス盤でのライヴと比較しても、そのレンジの広い表現は、この演奏のおおいに存在意義を主張する次第でありなん。


 たとえば長大な第一楽章の冒頭の極度にあふれる剛直な弦楽から、不穏なおおくの動きが沸き起こり、ときに滑稽だが異形の形すら感じるような、強烈な金管の軍楽行進そして打楽器の強烈なトレモロと後に続く嘆きのドラマが、かつてソ連勢のメロディアの録音などでは血気あふれる惨状を訴えるようなプロパガンダな乗りでの他人事のような、そんな空々しさに聞こえたものが、のワイドレンジの録音で、厭世的な感情すら抱かせる音楽として、心に実直に響くのはこの録音が始めてではとも思う次第。

 それ以前にある西側の録音プレピンのEMIでのそれはむしろスポーティーなモダンに変貌しており、ショスタコービッチにおけるマーラー的な厭世的側面がないような表情であり、これも拝聴すべき価値あるものながらも・・・・・。

 ことさら両者の違いはこの後の第三楽章にて明確になり、後者がただひたすらに早いアレグロを重視して、疾走して均等な音の容量を維持しようとするのに対して、ハイティンクはここにても器楽のアテギュレートを明確に表す適度の余地があるテンポで、その衝撃のコントラストを歪めることなく我々に提示する、それは常に動く分散和音的躍動がトロンボーンの時点でよいよ、戦争というより、それらの根源的な恐怖と衝動興奮へ聞き手を駆り立てるに十分な聴内視覚の刺激となって効果を挙げる。

 これは・・・・ある種の音楽的価値観をこの作曲者にもたらした記念碑的な音盤とも所見さるるものなり。

そしえてそれはこ全集の最後の録音の13番でも敢行されるものにて候。
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by dr-enkaizan | 2005-02-22 03:42 | 解説のない音盤紹介
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