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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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没後20周年オーマンディー記念-外伝「考えるな、感じるんだ!!」(1)レスピーギ-

 さてここでは提灯な絶賛しまくりのオーマンディー指揮するフィラデルフィア管弦楽団だが、弱点としてはそのオケの技術性に相反して、芸術的評価で評論者から真っ当な評価が得られていない点にてご座候。これは一部の作曲者からも侮蔑的な「スルー」な関係を強いられたことも然り。

 それは、暫し当団の創意および技術鍛錬の成果である豊穣の音彩がこそ作品を「ペンキ塗りの状態」にしたと非難される旨であり、暫し伝統的演奏ならびに作品の誕生した諸国の「お国物」の演奏などを引き合いに、あるいはその的確な技術で安定した表情に、「いいががり」的といえる精神性などの不明確な情緒で評価を帰結して、多くの演奏が非難されることおおくそれを真に受けた購買層と販売層により当団の功績多き記録が埋没され憂いイル事多き今にいたっている次第。

 たしかに「作品と芸風」の適合や、一部演奏上効果においての器楽の変更に、大編成志向、それら等においては現在の表現常識の水準ならびに、あいまいな定義ながらも「有り難味」ある種の「芸術的啓発に欠く瞬間」も存在するも事実なれど。しかし、その豊穣の響きこそは作曲者の書いた譜面の即物的な響きを追求した結果もあり、それは時に作曲者も思いもよらない、スコアの果てにある自発的な偏在する音自体による「音楽の揚力」はたまた「エネルギー」を此処に提示せんとするものである可能性に至ること否めなく、見逃せない当団とオーマンディーの演奏の本質と所見さるるも似て候。

 ここでは作品のその響きの果てが聞ける音盤と、さらに芸風と適合に問題はあるが、背景を考えなければその音に素晴らしい感触を感じ入る音盤を一部始終取り上げる次第にて候。

 考えるな、感じるんだ。Don’t think. Feel!(燃えよドラゴン、ブルース・リー)

 さて燃えよオーマンディな音盤をいくつか連載

 不遇のオーマンディーながらもちろん定番されるものありて、その点ではやはり内容と質共に例外的に評価が高い最初にレスピーギの演奏でのオーマンディーの仕込みは鉄壁であり、代表作「ローマの松・泉・祭」の「ローマ三部作」は、もはや作曲者の管弦楽とオケの適性は、余裕で上回るような拡張的変更もあるぐらいの演奏をここで提示する。
CBS時代にローマ三部作を初期に1968年ローマの松と噴水を録音してRCAに1973再度三部作を録音現在に至るまで定番になる経緯をもつもの。

 ここで紹介するほどまでなく当たり前の必携盤にてござ候。もうベストでは何度も発売されている次第。
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 中世グレゴリア旋法と近代和声による色彩書法の楽曲が大編成管弦楽上の近代管弦楽法にて巧みに表出されたこの楽曲は、誠にこの楽団の威力を示すもの也。

しかしこれに陰に隠れた録音にある同じレスピーギの作品集はさらにそれが楽曲の著名に頼らないでも十分な力量を示すことを証明する。

それは「教会のステンドグラス」とクープラン(修正パスクィーニやラモー、ガロ)のグラヴサン小品などの古典以前の音楽を下敷きにした組曲「鳥」の音盤にて候

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教会のステンドグラスは旧作ピアノ曲集を一部変更して管弦楽編曲し、さらにオリジナルのフィナーレと聖書と黙示録などのを題材にしたテーマを与えて再構成さるるもので、三部作のレスピーギらしい豊穣な傾向の作品、しかし「ローマ三部」作とくらべると聞きなれない特異な器楽法の瞬間もあり、他と比べるとしょうしょう「ダゥナー」要素と、にエスノ的もしくは中近東的要素とグレゴリア的要素が強い作品で通常の楽団では禁欲的な響きに留まる楽曲でもありなん。
 これをオーマンディーは豊穣な管弦楽をもって、壮絶な絵巻物としてローマ三部作と褪色ない管弦楽として提示する次第。

第二曲の「聖ミカエル」の黙示録の題材の悪魔軍との戦いでの「嵐のような上下する弦楽」と「逞しいグレゴリア調の金管のメロディ」の巧みなバランスから、舞台裏トラペットの光に最後の大見得と銅鑼の一撃まで見事な「話の絵が浮かぶ音楽」として聴けてしまう次第。
 ちなみに同作品を再評価させたジャンドスのジェフリーサイモンの仕事でもあくまでも音響的なスペクタルにしか聞こえない作品がこのように音楽としての効果で聞こえる録音があったのには後から聞いた世代には大いにオーマンディ恐るべしの思い「ひとしお」でありなん。

 サイモンに対してオーマンディーの演奏にはレスピーギの音楽に潜む、パート間での旋律的色彩和声音程の要素への意識が端々に見えており、詳細は語りたいが煩雑ゆえに短くいうと、レスピーギの楽曲書法での折衷的な使用が目立つ「和声的音程関係の使い」において。その旋律の補強色彩での使用(オルガヌムや並列進行)と伴奏的や躍動への機能性(累積和音の解決や協和音程への配置)という使用の複合性に対し、均等な器楽の音色をもった前提での「単純な図式」で見切っている根幹の掌握にこそ、この演奏の分があると思える次第にて候。この辺が対位法と機能和声を不明瞭な管弦楽で見切りにくいブルックナーの表現においては主旋律の突起した演奏として違和感を持たれた要因になる次第だが。これはCBSのブルッナーの五番においては、例外的に、モノフォニックナ転調くりかす主題提示振りにその色彩の見切りが生かされ、内向的器楽欠点を補足する演奏方針でなされて、いい持ち味になっていること此処に報告セリ。
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(但し語弊なきように注意しべきは通常のいわれるブルックナーという範疇を考えない点での限り)
カップリングのメインの「鳥」はもはやレスピーギかクープラン(修正パスクィーニやラモー、ガロ)かはどうでもいい、幸せな音の瞬間によってつむがれる「鳥」達の様にに堪能セル以外の術は無し。

もはや感じる入を語ることこそこの音楽の本質は・・・・やも知れぬ次第。
by dr-enkaizan | 2005-01-15 23:01 | 解説のない音盤紹介
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