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六国峠@ドクター円海山の音楽診療室-無用な営みの、えも言われぬ、この上なき喜び

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ファースト「ゴジラ」の凄さ

今現在ゴジラをNHKBSが放送中であるが。

一言

 伊福部の作品への特撮サイドから取り上げられられる不満はあれど、最初のゴジラは別格なのは言うまでもない。

 さらにその後の数作品の伊福部音楽は映画音楽としても神ががりでもある。

 暗闇から足音とチェロのディストーションノイズによる怪獣の雄たけびに、変拍子のおなじみにゴジラの主部が現れるオープニングは電子音もしくは加工と効果音組み合わせにによる音楽はコンクレート前触れでもあり、伊福部の当時の録音媒体の入物を考慮した、ユニゾンに、時に単純なパートの組み合わせ交差はドラマの緊張を持続させる。

 さらにストラヴィンスキーの「春の祭典」の構成が根底にある刺激的な音楽を多用しており、東京の実況中継の名場面は特に効果的でもある。

さらに今で言えば「セルフリスベクト」「セルフパロディー」の類になることも行っており、漁村における正体不明の伝承「ゴジラ」厄災魔よけの神楽は日本狂詩曲の「祭」、ゴジラ自体は
ヴァイオリン(協奏曲第一番)狂詩曲の第一楽章あるフレーズを引用しており、さらにラヴェルのピアノ協奏曲ト長調の終楽章の地雑な引用と揶揄されることもあるが、ラヴェルは双子の立場の左手のピアノ協奏曲ニ短調にもときにジャズ風に不吉な印象として使われており、あのフレーズ自体グレゴリオ聖歌の韻律であり、汎用性の点では、伊福部作品にも多用されおり、伊福部作品の旋法との親和性という注目しその辺の言及こそ意味合いのある事例になるが、ただラヴェルのパクリというネタわおわる方々いて残念でもある。

(追記:そもそもあのフレーズはゴジラに抵抗する人間の意志と恐怖のテーマとして生まれたと聞く、そのごキングコング対ゴジラのでの12音ドデカフォニーによる爬虫類的テーマがゴジラとしてのフレーズで後日それを組み合わせたのがゴジラのテーマとして採用去れるにいたる。)

 その点例外的にラヴェルとの関連で、面白く賞賛できる例はあり、あるお記念に黛氏が書いた、その師匠にあたる伊福部氏の作品群をゴジラをベースにコラージュして、その親和性を提示して、賞賛して後にラヴェルのピアノ協奏曲のゴーダを組み合わせて笑いをとる競作のトりビュート作品は、そんな作風の本質を捉えた作曲家が見据えるまなざしと言えそう似て候。

 また四作のSF交響ファンタジー(1984)にて管弦楽として作品上に正式にゴジラの音楽が登するが、それ以前に吹奏楽のロンド・ブルレスクでフリゲート艦隊の攻撃場面の音楽なども変容拡張されて使用されている。


さて「ゴジラ」ごらんのみなさま何を感じ取りまするか?
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by dr-enkaizan | 2004-11-15 20:35 | クラシック
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