今度の国外のシャルランの復刻は此処までやってくれると良いのだがと・・・・期待してみたするものの一つ。
セザール・フランク(1822-1890)
の長大なオラトリオ「至福」の
ジャン・アラン指揮 パリアカデミー管弦楽団・エリザベス・ブラッスール合唱団ほかソリストの録音にて剛座候。
交響曲とヴァイオリンソナタに室内楽の狭間に、フランクにオルガン作品と宗教題材の作品が多いのは、作曲家が敬虔なカトリック信徒であり、また長らく教会のオルガニストであったことが深く関与しているのはここをご覧になる皆様には周知かと存知揚げる次第。
まあ・・・・・・おもにオラトリオなら「贖罪」の方が著名ながら、こちらの「至福」は規模管弦楽の充実ともそれを上回るものにて、現状に二種ぐらいに留まる録音・・・今後更なる音盤が登場されうことを期待したい。
ちなみにこのシャルランの録音は第一と第二の至福に省略のある版のスコアでなされているのが、唯一の難点であるが、その録音と演奏家の「至上の美徳」のような状態を捉えておりととても「安静なる恍惚」を体験することのできるありがたい音盤であることは強説しておきたい事でもあり。
さてテクストはキリストの山上で訓戒を垂れというマタイ伝弟五章の3-10第節の山の上での垂訓のもとづくオラトリオであり、その台本はヴェルサイユ高等中学の教師コロン夫人によって提供され、部分的に完成して部部的に初演されるという経緯にいたっており、プロローグと八つの至福すべてが初演されたのはフランクの死後の1891年になってしまったものである。
音楽はフランクお得意の循環形式のライトモティーフに、旋法的和声とワーグナーのパルシフォルを髣髴とさせる半音階的和声の交差する独自のヴォイジングに、フランス的な刺繍進行とそして対位法的構築と作曲者の破綻させない派生的書法の英知に満たされており、それらはテクストのキリストの教えにそって至福を得る過程の筋にのっとって、韻文を再構築したところの影響を受けて、フランクの音楽としてはその書法を守りながらも、例外的に劇的にあるいは感動的にあるいは色彩的に展開される。
それはプロローグのグレの歌やシュミットの詩篇を予期させるようなテクチュアノ、「悲惨な状況の地上を嘆くなかに、山頂から天使が舞い降りて歌うところ」の木管と弦楽の巧みな色彩表現からあたりから、顕著であり、その後すべてが聞き手を強烈に魅了する、フランクの隠れた醍醐味みちた物にて候。
(つづく)